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失敗には、まだ続きがある〜接着剤とカビとクッキーから考えたこと

『質問箱』という機能を、ご存知ですか?
僕のnote最下部に設置していて、noteの内容、僕自身のこと、なんでも構わないので、質問・感想を送れる機能です。あまり僕のnoteには質問箱を通じて質問は来ないんですが、つい先日、珍しく、こんな質問が届きました。

視点取得は、セレンディピティが生まれる過程でとても重要な要素なのではないか。物事を一つの見方に固定せず、別の角度から捉え直せることに、セレンディピティが起きやすい人の共通点があるのではないか。ただ、実際に自分の視点から離れて別の視点に立つのは難しい。三上さんが視点を切り替えるときのコツがあれば知りたい

質問箱より

僕はこう返しました。

僕が、視点取得が得意かどうかは、わからない。
ただ、技術というよりも体質に近いところがある気がする。複数の名刺を持っているおかげで、都市と地方、経営と現場、評価する側とされる側……そんな両方の視点を行き来する仕事が多く、実践的に役立っている。(※一部省略)

「あまり長々と返信するのもなぁ」と思いつつ、返信してからも、どこか少し引っかかっていて。本当にこれは、「相手の立場に立てるかどうか」という話なんだろうか?今日はこの質問をきっかけに、少し自分の考えを整理していこうと思います。


なお、僕のnoteでは、記事の内容をより深く理解するために、AIによる『音声解説🎧』を配信しています。 記事には書き切れなかった補足や、読者がさらに理解を深められる視点を提供していますので、セットでお楽しみください。


名刺が、僕を"分裂"させてくれた

初めましての人に簡単に自己紹介すると、僕はカタリスキーという会社を経営しているセレンディピティ・オタクです。

僕は自己紹介の中で、「複数の名刺を持つ男」だと話すのですが、今日はその話を、もう少し掘ってみます。

「肩書が多いから視点が多い」という足し算の話がしたいわけじゃなくて、むしろ、その現場現場で、どちらの立場にも完全には乗りきれない、中立というのか、その立ち位置の中途半端さが、僕に、両者の言い分を見せてくれたという実感値の話で。

経営者サイドとして決断しなければいけない場面で、現場に立てば決められる側の感情もわかってしまうし、地方の仕事に通い続けていると、都市側の論理だけでは見えないものに気づかされることもある。

複数の名刺は、仕事を説明するための道具というよりも、それ以上に、一つの出来事を、複数の視点から見続けてきたことを示す証とも言えるかも知れないなって。

つい先日も、最初につけた意味が、途中で動き出すような出来事があったので、ここで少し紹介しようかな。


「僕じゃない」と思った仕事

僕は今年、ジャパン・クライメート・アライアンス(JCA)という組織の理事になりました。これは、僕におきたセレンディピティの代表例の1つですが、その最新の報告も兼ねて、少しエピソードを紹介しますね。

ようやく情報解禁できるので、先行してここで発表しますが、実は、JCAがこの7月に新しく始めたYouTube番組『ReBALANC(リバラン)』に、MCとして加わることになりました。

元ジャーナリストでもあるJCAの中田さんと、『解像度を上げる』の著者でもある馬田隆明さんがダブルMCを務める、知的で、インタビューのような丁寧な対話で進む"上品な番組"

でも、正直、自分がそこに映っている姿を想像できなかったんだよね。二人が持つ知識量や見識の隣に、自分が立てる気がしなかったし、僕が加わることで持ち込めそうな"エンタメ性"が、この番組には求められていないように感じたのもある。

最初に浮かんだ解釈は、「僕である必然性がない」だった。

ただ、番組が抱えている課題感そのものは理解できた
ハイコンテクストな対話が魅力である一方、取り残される視聴者がいるのではないかという課題感だ。「それ、どういう意味ですか?」と、視聴者の代わりに立ち止まって聞く役割がいてもいい。深く掘るMCと、あえて「分からない側」を引き受けるMC。ゲストによって、この3人のMCを使い分ければ良いんだ、って。

そう考えた瞬間、自分に足りないものが、弱点ではなく、役割に変わった。

そのうえで、JCAという組織の側からも考えてみた
僕が番組に関わることで、その作業の一部を引きとれば、中田さんは、自分にしかできない仕事に使える時間を確保できる。それは組織にとっても有益なことだった。だから引き受けることを前提に、僕が感じていた怖さや違和感もすべて伝えたうえで、変えていいものと、譲れないものを一つずつ話し合った。

よく考えれば、僕は以前、QUINTBRIDGEで月2回のペースでトークイベントを企画し、自分の全責任で、司会進行やファシリテーションをしていた。媒体も雰囲気も違うけれど、今回求められていることのすべてが未経験というわけではない。

くわえて、これまでのゲストや、これからの候補者の一覧を見せてもらった。9割くらい、僕の知らない人だった


自分でも不思議なんだけど、そこにいちばん心が動いた。
「あ、知らない人に会えるかも。面白そう!」って


「知識が足りないことを突きつけられる場所」
ではなく、
「自分の知らない世界に出会える場所」に、
この仕事は見えてきたんです。


打診されたという出来事は、最初から何も変わっていない。変わったのは、それを誰の立場から、何のための仕事として受け取るかだった。

そして先日、正式に引き受けることにした。8月末、初めての収録に臨む。この選択がどこにつながるのかは、まだ僕にも分からない。

続きは、まだこれからだ。


出来事と、僕がつけた意味

振り返ってみると、この時の僕がしていたのは、打診された出来事そのものを変えることじゃなかった。その出来事に、最初につけた意味を動かすことだった。

先日書いた『桃太郎』のnoteを読んでくれた読者の方から、こんなDMをもらいました。

「事実」は1つだけど、立場が変わると「真実」は、変わる。

これ、実感として、よくわかるんです。関わる人がいればいるほど、事実に対して、各々の主観が入り混じるという話です。組織開発に関わっていると、こんなことばかりで(笑)

このDMが言っているのは、人や立場が変わると、同じ出来事の見え方も変わる、ということだと思います。でも、DMを読んだ時に、僕が考えたのは、少し違う方向のことでした。

見る人が変わらなくても(同じ僕一人の中でも)、立つ場所や、目的や、時間軸を変えることで、出来事の意味は動いていくんだなってこと。

ReBALANCの打診が、まさにそうでした。「僕である必然性がない仕事」に見えていた同じ出来事が、視聴者から見て、番組から見て、JCAという組織から見て、そして自分の未来から見て、少しずつ違う顔を見せてくれた。最後には、「知らない世界に出会える仕事」に変わっていた。


【出来事は、何一つ変わっていないのに】です。


目の前で、何かが起きる。
ここまでは、まだ出来事でしかない。

それを失敗と呼ぶのか、異常と呼ぶのか。
それとも発見と呼ぶのか。
そこから先には、もう受け手の解釈が入っている。

『パースペクティブテイキング』は、「視点取得」と訳されるチームの関係性構築などで使われることが多い、基本的には相手の立場や考えを想像する、対人関係の働きを指す言葉だ。

でも、相手の立場に立つ視点取得も、自分が出来事につけた意味を読み直すことも、根っこは同じ働きの上に乗っている気がする。

「最初の見方を、唯一の見方にしない」という、
もう一段土台側にある働きだ。


失敗した接着剤と、混入したカビ

このnoteでも何度か触れてきた、有名な2つの事例からも考えてみます。

強力な接着剤を求めていた研究の途中で、奇妙な接着剤が生まれました。貼りつくけれど、強くはくっつかない。当初の目的から見れば、期待した成果ではなかった。その時点では使い道が見つからなかったが、それでも、その"弱さ"を「役に立たない」という意味のまま終わらせなかった人がいた。

貼れて、きれいに剥がせる(なんなら貼り直せる)
その一点に、別の用途を見いだしたことで、ポスト・イット(付箋)は生まれた。接着力が弱いことは、変わらない。でも、「役に立たない」という意味までが、動かしようのない事実ではなかったわけ


似たようなことは、ペニシリンの発見にも起きていました。培養していた菌のシャーレに、カビが混入。

実験の管理という観点から見れば、これは汚染であり、捨ててやり直すべき失敗であり、初歩的なミスでしかない。ただ、そのカビの周りだけ、菌が育っていないことに目を留めた人がいました。

培養皿にカビが混入したという事実は、何も変わっていません。

なのに、それを「捨てるべき失敗」と考えるか、「なぜこの周りだけ菌が育たないのか」と考えるかで、その先の未来は大きく変わっていきます。

それはまるで、背景でしかなかったものが、突如、問いとして前に飛び出してきたようにも思えます。


チョコチップクッキーは、本当に偶然だった?

ここでもう一つ、チョコチップクッキーの話をしたい。

溶けて生地に混ざるはずだったチョコレートが、塊のまま残り、それが偶然クッキーになった、という話は、いかにもセレンディピティらしいエピソードとして、知られています。

ところが、この誕生譚には異論があるそうで。考案者であるルース・ウェイクフィールド自身が、後年のインタビューで、新しいクッキーを意図的に考案したという趣旨のことを語っていて、「偶然の失敗から生まれた」という有名な話は、後から広められた「起源の物語」なんじゃないか、と近年になって再検証されているらしいんです。(びっくり!)

どっちが本当かの話をしたいわけじゃなくてね、ただ、僕が面白いと思うのは、そこで起きていることのほうなんです。昔から、成功した出来事には、後から「始まりの物語」が与えられていく。

人は、偶然をなんでも神秘的にしたがる
すべては運命だった、奇跡的な失敗が大発明を生んだ。そう語る方が、記憶に残りやすいからだ。

その一方で
偶然をなんでも自分のものにもしたがる
自分は最初から見抜いていた、意図してやったことだった。成功体験であれば、そう語りたくなる瞬間もある。


でも、セレンディピティは、そのどちらでもない
すべてが運命だったわけでも、
すべてを自分が生み出したわけでもない。

自分では起こしていない出来事に出逢い、それを見逃さずに意味を与え、動かした……僕がセレンディピティに感じる面白さは、ここにあるんだよね

ところが、何かがうまくいった後、人はその始まりまで、きれいな一本の物語にしたがる。

「最初からこれを目指していた。だから、いまの成功がある」ってな具合に、偶然だったものまで、自分の意図や計画の一部だったように語り直してしまう。そこには、事後合理化や「自分が生み出した物語にしたい」という気持ちも入り込む。

でも僕は、すべてが最初から意図されていたことにするよりも、偶然に出逢い、それをしっかりキャッチできたと考える方が、よっぽど神秘的で面白いと思うんだ。(まぁ、これは好みの問題でもあるんだけど。)

だから、見直すべきなのは、接着剤やカビ、桃のように与えられた意味だけではなくて。チョコチップクッキーについて広く語られてきたような「偶然の失敗から生まれた」という話ですらも、後から与えられた一つの解釈かもしれないってこと。

出来事の意味だけでなく、その出来事が後からどんな物語として語られてきたのか。そこについても、最初に聞いた説明を、唯一の正解だと決めず、見つめ直してみることも大切だと思うんだ。


桃を割ったら、中身が違った

思えば、『桃太郎』の老夫婦がしていたのも、同じことだったのかもしれません。※詳しくは前回で終わった『桃太郎シリーズ3部作』を見てね。

老夫婦にとって、拾った桃は、最初は食べ物だった。 割ってみたら、想像していたものとは違うものが出てきた。気味の悪い異常事態として片づけることもできたはずだ。それでも二人は、そこに「子どもがやってきた・天からの授かり物だ」という意味を与えました。

桃から子どもが生まれたことだけを、セレンディピティと捉えるのでは物足りなくて。想定外の出来事に、どんな意味を与え、どう関わっていったか。そこまで含めて、はじめてセレンディピティになっているってことなんだ。


出会って、立ち止まって、意味を見つける

ここまでの話には、共通する流れがあることが分かってきました

想定していなかったものに出逢う。

すぐに失敗やノイズだと決めつけずに、いったん手元に置いておく。わからないものを、わからないまま持っておく時間だ。

そこに最初とは違う意味を見いだす。

その新しい意味を、試したり、使ったり、誰かに話したりして、実際に動かしてみる。

ここまで進んで、ようやく出来事は次の展開を持ち始めるということ。


僕は、セレンディピティが生まれるこの流れを、『EPCA』という四つの要素で整理してきました。

・想定外のものに触れる:Exposure

・起きたことをすぐに捨てず、
 いったん受け止める:Processing

・そこに別の意味を見いだす:Comprehension

・その意味を次の行動へ移す:Agency

視点取得が深く関わるのは、おそらくProcessingからComprehensionへ進む、その間なんだ。ただし、視点取得はEPCAに付け加わる五つ目の要素じゃなくて、意味を一つに固定せず、次へ進むための働きの一つなんだと思うんです。


で、どうすれば見方を変えられる?

ここまで考えて、質問箱への答えを、もう一度考え直してみたいと思うんだけど……。

相手の気持ちを想像する「視点取得」だけが、見方を動かす方法じゃない。

・これは何の役に立つだろう?
・本来とは別の場所で使うならどうだろう?
・欠点を残したまま価値にするならどうだろう?
・失敗ではなく、
 まだ途中にある出来事だとしたらどうだろう?

立つ場所だけでなく、目的や時間軸そのものをずらしてみることも、最初の解釈から離れて俯瞰してみる助けになる可能性がある。

いま自分が見ているのは出来事そのものなのか、それとも自分がすでに与えた解釈なのか。例を挙げてみます。
その場面をカメラで撮影したら何が映っていただろう、と考えてみるのも一つの方法かも知れません。会議で提案した後、全員が下を向き、誰も発言しなかった。そこまではカメラに映る。「みんなが僕の提案に反対していた」はもう解釈、ということだ。

次に、すぐに意味を決めないこと。
セレンディピティに必要なのはすぐに意味を見つける速さより、「まだ意味がわからない」と保留していられる時間なのかもしれません。僕はこれまでも、この保留する力を『ネガティブ・ケイパビリティ』と重ねながら考えてきました。

たしかに僕にとって、視点を行き来することは、技術というより体質に近いように思えていて。でもこの体質は、生まれつきのものじゃない。

違う場所に身を置く。
違う役割を引き受ける。
最初の解釈を疑ってみる。
わからないものを、すぐに手放さずに持っておく…..そういう小さな習慣の積み重ねが、少しずつ体質をつくってきたんだと思う。


いま、あなたが
「失敗」「遠回り」「自分には向いていない」
と呼んでいるもの。それは、
動かしようのない事実でしょうか。
それとも、
今のあなたが与えている、最初の解釈でしょうか。

接着剤にも、カビにも、クッキーにさえも、まだ続きがあった。
あなたの失敗にも、まだ続きがある。



096.失敗には、まだ続きがある
〜接着剤とカビとクッキーから考えたこと
Fin.


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三上浩紀:Catalyski CEO | セレンディピティオタク| 点と点をつなぐ人 | 8枚の名刺 いただいたサポートは、私の知見を広げてくださる出会いとの交流に充てます。具体的には、お茶代、本代、もしくはここで繋がった方とのコミュニケーション代などです。それをnoteへの投稿で還元していきたいと思います。

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