【古賀コン8】父、帰る
昔の道頓堀には色々な人がいた。まあ、今でも色んな種類の人がいるけど、心情的にといった意味だ。昔の道頓堀は涙の業が深い。
「優一郎ってさ、クラシカルな文学青年って感じだよね。沈み込んでると思ったら、すぐエネルギッシュになるし。絶対ノーベル文学賞獲れるよ」
最初で最後の彼女である優梨子の言葉だった。
二十年近く生きてきて親しくなったはじめての人間だったし、
随分後になるまで僕は優梨子の言葉を信じていた。
しがみついていた、と言ってもいいかもしれない。
そんな優梨子とは、ありがちな理由で別れることになる。
俺は本気で文学をやりたかったから当然定職には就かなかった。
優梨子は、文芸サークルに入って本気のようには言ってはいたものの
彼女にとって文学とは人と仲良くなるための青春時代のツールの一つでしかなかった。付き合ってたった一年で別れてしまった彼女は
今、どうしているのかもう全く分からない。
僕は相合橋の欄干にいて、少し遠くに見えるネオンサインをぼんやりと見ていた。今回の文学賞もダメだった。毎日のアルバイトがくだらなく思える。
学生時代は楽しい社会体験だったアルバイトも、下手をすれば自分の本分になってしまう。通りすがる女子大生たちのグループが
「お兄さん、死んでもいいことないよ」とあははと笑って去って行った。
相合橋は元々人通りがそこまで多くもなく、その分落ち着いていられた。
友人はいない。一人でいるのも楽しかったから、いつもはそれで良かった。
でもこの日はどうしても誰かと一緒に飲みたかった。
宗右衛門町の方から、会社員風の男が歩いてくるのが見えた。
自分の父親と同じくらいの年齢で、でも実父とは似ても似つかない
見た目だけでも愛情深く力強い父親といった感じがする人だった。
僕は勇気を出して、その男に声を掛けてみた。
「すみません。一緒に飲んでもらうことって出来ますか?」
「ブルーなの? 振られた?」と男はアハハと笑った。
宗右衛門町でたらふく飲んできたとのことだったので
男は代わりにうどんを奢ってやろう。と言った。
僕は天ぷらうどんを啜りながら
人生を賭けた夢が破れそうであることを話した。
夢にも他人にも振り向いてもらえない。
苦しくてたまらない、と。
男はわかめうどんを注文していた。
「思うにだな。兄ちゃんは多分他人に興味がなさすぎるね。
愛されるわけがないって決めつけてるんだ
俺に声かける度胸があるんだから、出来ないことなんて何もないんだぞ?」
「おじさんが強いのはお子さんがいるからですか?」
「そうだな。我が子が出来たら、人を愛せるMAXがデカくなる」
僕らは、ものの五分ほどでうどんを食べ終えた。
二人でのれんをくぐって、寒空の下に出たとき
「きみが大人になったら、今日みたいに悩んでる若い子を助けてごらんよ
友達でも恋人でもない。他人のことを愛してもいいんだよ」
そう言って、男は南海電車の始発に乗ってうちまで帰って行った。
あれから20年。
朝焼けを見るたびに、人生の悩みが徐々に晴れて
空を明かしていく感覚を思い出すことがよくあるよ。
(完)
