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多分私はあの家のボトルネックだった【長文エッセイ/家族からの虐待と疎外感】

以前米澤穂信先生の小説『ボトルネック』を読んで以来「もしも自分が産まれて来なかった世界線」について、思いを馳せるようになりました。


先に述べておきますと小説『ボトルネック』にはひどく感銘を受けました。
こちらを拝見して病んでいるわけではございません。むしろ好きな部類の作品です。
自分を見つめ直す良いキッカケとなり、出会えたことに感謝さえしております。




⚠後述では核心的なネタバレは避けておりますが、それでも物語の雰囲気は分かってしまうかもしれませんので未読の方はご注意ください









『ボトルネック』は「読むとしんどくなる系」と前情報で聞いておりましたが、私はむしろあのラストに「新たな希望」を感じました。
本当に二極化されたラストなのだろうか。
むしろあれくらいの方が、新しい一歩を踏み出せそうな気が……
そう思いつつ、主人公のことはなんだか応援したくなりました。

「大丈夫、例え家族から見放されても、人って案外どうにかなるもんだよ」
「言ってしまえば、みんな誰かにとってはボトルネックだよ」

そう言いたくなりました
他でもない、私がそうだからです


ここでは「ボトルネック」という用語について
端的に「都合の悪い存在」と解釈して述べています

家族から疎ましく思われることの辛さについては、身に染みて感じて来たつもりです。
人によっては「家族が疎ましいだなんて、考えすぎなのではないか」「実はそんなに悲劇的な家ではないのではないか」と思われてしまうかもしれませんが。私にとっては実体験なのです。


ここから先、如何に当時の私がおそらく家族たちにとって「都合の悪い存在」
「ボトルネック」だったことだろうか
そう思う根拠と考察についてまとめて行こうと思います

はじめての方ははじめまして
自己紹介よりもまず己の不幸話が止まらないアラサー女?の、これまた独り言です。今回は少しユーモラスも交えて話して行けたらなと思いますが、やはり重たい内容かと思います。


何でも許せる方は是非この先も覗いてやってください。貴方に格別な感謝を。




🏠まず簡単な家族構成

うちは父と母と姉が2人、兄が1人、私の計6人家族でした。私は4人きょうだいの末っ子として誕生したのです。
きょうだいの順番としては姉、兄、姉、私の順で
私はそれぞれと15歳以上、12歳以上、10歳以上離歳が離れておりました。

お気づきの方はもうお分かりでしょうか

そうです
私以外の「5人」は、5人家族で10年以上過ごして来ていたのです


もう私の方こそアウェイだのなんの…
未だに「塀」くらいの疎外感を感じています

おまけに戸建ての実家は、私が産まれるのに合わせて建てられた、なんて事はなく。
「5人家族想定」で建てられたものでした。
なので私にだけ、明確に私室がありませんでした。

姉が大学生になるのをキッカケに、部屋もお下がりで使わせて貰っていたのですが、それまでは両親の寝室か姉の寝室の往復でした。

戸建ての家が出来上がる前は、5人でボロアパートに住んでいたそうです。
私以外、貧乏な生活も経験している。
おそらくある程度絆も出来ていたことでしょう。


父は私が産まれるのをキッカケに煙草を辞めたらしいのですが、むしろそれまで全然辞めてくれる気配がなかったそうで。
それに対しても他のきょうだい達はうんざりしていたそうです。

私だけが知らない父の側面まである。おそらく母の方でも。それは度々感じていて。


たまたま父が丸くなったタイミングに私が関わっていたのでしょう。
それを姉たちからは「いいな〜」「お前はやっぱりズルい」とやはり言われました。



✔私だけが、明確に家族計画から外れていた

いや、私は「出来上がったコミュニティに突如として割り込んできた謎の生命体」の方がしっくり来るのかもしれません👽
実際私が産まれると知って、兄たちは「マジで???」と大変驚いたと言っていました。

養子などではなく、本当に血の繋がったきょうだいです。多分。DNA検査はしていませんが顔などは似ています。それでも一時期「珍獣」を見るような目で兄たちが私を見ていたのを、よく覚えています。小学生の頃まで「お前は川で拾ってきたんだよ」と常々言われていました。

「お母さんたち頑張ったんだねぇ」と昔から人に言われる度、当時はピンと来ておりませんでしたが、今なら「ああ‪💡‬」と納得できます。
私を産んだ母は40を越えており、父もそうでしたので。「頑張ったんだなぁ…」と。



💭なぜ10年以上越しに私を作ったのか


それが未だに謎なのです。
小学生の頃、道徳の授業で「貴方が産まれると知った時、授かりものだと思った」と母からは聞きましたが、正直本音とは思っていません。

「いっそ今度本音を聞きにだけ実家に行こうか」などと血迷ったりする時もあります。多分ろくな返事なんて聞けないだろうに。

でも正直真相が気になる

おそらくは
①単純に避妊に失敗して、堕ろすのも可哀想だと思ったから
②店の跡継ぎが欲しかったから
そのどちらかだと思っています。

①は分かりやすいですが、問題は②ですよね



うちは自営業をやっており、昔から私は「お父さんの跡を継ぎなさい」「その為に色々やってるのよ」と言われて来ました。
そうしてきょうだい達が大学へ行く頃には
「他のきょうだい達は駄目だったから」
「失敗したから、貴方は代わりに頑張りなさい」

などともよく聞かされていました。
私は当時、その意味がよく分かっていなかった。


所謂、きょうだい達は「能がなかった」「頭が悪くてその道に進めなかった」というニュアンスだったようです。私は初め「そうなんだ」くらいしか思ってませんでした。あまりにも無知でした。

その当時の「純粋無垢さ」が、どれほど彼らを苦しめていたことか


保育園児の頃から「将来の夢」は「お父さんのお手伝いをする事」と書かされていました。そうすれば母は喜びましたし、先生たちからも「偉いね」と褒めてもらえていたので。当時の私は何の違和感も感じておりませんでした。



👫母はもの凄く、父のことが好きなのです


なので「お父さんに迷惑を掛ける子は許さない」というスタンスでした。きっと昔から兄たちもその制裁を食らっていたのでしょう。それについては兄たちにも同情します。

特に姉たちは私に対して「お前だけ甘やかされてズルい」「私たちは昔随分苦労したのに、ボロアパートで過ごしてさ」「お前は恵まれているのに」とお説教してくる事が多くありました。


おそらく私がワガママすぎて、そう感じる何かが多々あったのでしょう。そうは言われても「困る…」「分かんないよ…」という気持ちだったのですが。

お説教をされる度「怒られる私が悪いのかも」「空気が読めてないのが悪いのかも」「姉たちの苦労を想像出来ない自分が」と、身を縮こませていました。


結果的に「謙虚さ」を身に付けることは出来ていたかもしれません。現実を教えてくれた事に変わりは無いので、そこは「学び」だったなと思うことにしてるのですが。それにしたって容赦はしてほしかったですね。まだ当時は小学生~10代でしたから。



その面兄は優しかった。
宿題を手伝ってくれたり、よく私の事を褒めてくれました。よく面倒も見てくれましたし、小さい頃は一緒にお風呂に入ったりもした。
そんな兄が当時は癒しだった。当時は大好きだった。

まさか下心があっただなんて、この頃は思いもよらなかったのですが……



シスコン(ガチ)はやはり、気持ちの良いものではないですね。
おそらく兄の行動について、私以外の家族は気づいています。それも気まずいのでしょう。
兄の中で私は「6歳の可愛い頃のまま」で止まっているのだそうです。半ば冗談だと思いつつ「大きくなって欲しくなかった」「あの頃は可愛かったのに」と学生時代はよく言われていました。

初めて彼に猜疑心を抱いたキッカケは、兄の部屋に漫画を借りに行った際「歳の差兄妹の成人向け本」が落ちていたのを見たのをキッカケでした。何も隠してる様子も無く、床にポンっと置いてありました。

結果的にそれが私が初めて知った「成人向け本」となりました。

他にもあるのかと探してしまった私は、その後更に複数同じような内容の成人向け本を見つけてしまいました。


「彼はどこまでをフィクションで、どこまでノンフィクションだと考えていたのだろう」
そう思ってしまった。


「高校生の頃、兄から二人きりで温泉に行こうと誘われたことがある、家族風呂で」とカウンセリングの先生に打ち明けたら、信じられないものを見る目で聞いてくれました。
「多分あれも、そういう事なのだろうな」と。


小さい頃、兄にされた事はよく覚えてません。
ですが確かに触られたし、触らされた。

私は今でも兄に対して猜疑心がある。




次女は分かり易くグレていました。
曰く「お前から末っ子の座を奪われてショックだった」「私は愛情不足だった」「お前なんて妹って肩書きがなかったら関わりたくねぇ」とのことでした。

無理もないです、10年末っ子やってたのにいきなり現れた奴に居場所を盗られてしまえば、文句の一つも言いたくなることでしょう。その鬱憤の矛先が私に向いただけ。

正直それがど〜〜〜しても
「解せない」のですが……

本当に、ままならないですね
言ってしまえば「私が産まれたこと」について、私が責められる筋合いは本来全く無いはずなのに
暴言を言われる筋合いは無いはずなのに


次女からの精神的虐めの話はかなり盛り沢山なので、いつかまた別のnoteで綴りたい所存です✍️
一周まわって面白ぇ女すぎるんです、彼女




長女はかなり所謂「親代わり」をさせられてる事が多々ありました。送り迎えや学校のちょっとしたイベント参加、家でのご飯まで。一時期長女ばかりにお世話になっている事が多くありました。

そんな長女もたまに発狂しては私に暴力を振るっていたのですが、きっと鬱憤まみれだったのでしょう。「なんで私ばかりこんなに頑張って!」と。
高校の頃私が不登校になって、実家暮らしの長女にとってはそれも腹立たしかったようで、よくドアを激しく叩かれて「出て来い!じゃないとぶっ壊すぞ!!」と脅されもしました。

皿洗いしたくなさで皿を割り始めた時もありました。「皿なんて無くなれば良い!そうすれば洗い物をしなくて済む!」と。
姉も限界だったんだな……、と思いつつ。


そうは言ってもやっぱり、さすがに私に手を上げるのは良くなかったとは思いますね。
「お前ばかりズルい!」だなんて、そんな。
私が高校受験期の頃、実家に居た姉はもう30を越えていて

どちらが世間一般的に見て「扶養内に相応しいか」というのは、一目瞭然じゃないか

私はそう思っていました。
「姉だってずっと実家暮らしで、親に守ってもらえてズルいじゃないか」「いくら親代わりをしてくれていたとはいえ、鬱憤を私にぶつけるなんて。一人で暮らしたことも無いくせに」
正直そう思っていた。

なので、ヤバい姉より私の味方をして貰えるのではないかと、当時は両親に期待してしまっていました。私が殴られてると知って母は「可哀想に」と言ってくれました。言っくれただけなのですが。


私はきょうだい達を、見下してしまっていた
「自分が一番愛されてるのだ、大事にされているのだ」と、そう信じて
自分の厄介さを棚に上げていました

この家の住民は全員過干渉なのに無関心なのだと、私はまだ気がついていませんでした






父と母が選んだのは、長女の方でした


父と母は「姉は出て行くつもり無いらしいから、お前の方が出て行くのが良いだろう」と結論付けました。結果的に私の方が本当に出て行く事になりました。


理由は「はじめてのnote」にも書いたように、私の方が家族から不当な扱いを受け、逃げることにしたからではあったのですが……
▼参考


正直「なんで味方になってくれないのに、私を産んだのだろう」「なぜこんな目にあわないといけないのだろう」
当時は色々と不服の疑問まみれではありました。

「不登校が最大の親不孝」というのであれば
私は言い逃れできません
でもじゃあ姉は?と思ってしまっていた


次女が私に「アダルトチルドレン」の概念を教えてくれたのですが、彼女はずっと
「私とお前だけ、絶対愛されてないよな」
「長女と長男だけ、扱い違うよな」
と言っていました。

自分も私に対して「お前さえ居なかったら」といつも言ってきてたやん、とは思いつつ。
アダルトチルドレンの話を教えてくれた当時の次女は鬱だったので、そこはツッコまないことにしました。彼女も限界だったんだと思います。


当時の私はまだ「アダルトチルドレン」についても家の違和感にもピンと来ていなかったのですが、今なら分かる事も多い。
ただ正直、私の方が次女より全然マシだったと思います。彼女には悪いですが。

私は両親たちから、生活費を充分に与えられていました。でも次女はグレたのをキッカケにそういった援助を受けられていませんでした。


主に金銭面で、私は他のきょうだい達より困った事が少なかったように思います。それが唯一私が親たちに感謝できる側面であり、同時にやはりきょうだい達を不憫に思うキッカケでした。
いくら「10年の間に貯蓄が増えた」とはいえ、彼らも解せない部分があったことでしょう。




⚓️私が己をこの家の「ボトルネック」だと感じてしまった最大の理由


ここから更に、如何に私があの家の中で「都合の悪い存在だっただろうか」
そう思う理由を話していくのですが。

正直家庭内虐めは、両親より姉と兄から受ける方が苛烈でした。すべてはおそらく「嫉妬」から。


「お前ばかりズルい」「お前さえ居なければ」


きっとそれは本音だったと思います。
あまり覚えてないですが、きっと私の幼少期は怒られてばかりだったと思います。
何となくその記憶はあります、心当たりも何となくあります。


正直姉や兄たちの「10代」や「受験期」といった多感でとてもとても大事な時期に
私の存在は邪魔でしかなかった心当たりしかないないのです
まさに「ボトルネック」だった
だからきっと、姉と兄は私に意地悪をした
「お前だけズルい」と



考えてみればそうです。姉と兄たち3人は、あまり年の差が無い分「節度」が分かります。
でも私だけは違った。
「家で手懐けていないチンパンジーが解き放たれている」のと大差無かったのでしょう。

長女が受験期の頃私は赤ちゃん
長男が受験期の頃私は保育園児
次女が受験期の頃は幼稚園児

さぞかし元気だったことでしょう。
今頃になって罪悪感も募っていくのですが、私は多分勉強中な彼らの部屋に、執拗に侵入しようとした事が何度かありました。鍵をハンガーを使って開けたりなんかして、その度に怒鳴られてた。無理もないでしょう、多分相当イラついたと思います。

そして「だいがく」というのがよく分かっていなかった為、母からの説教もよく理解できておりませんでした。一時期から姉や兄たちが家に居ないことも多かったような気がします、多分外で勉強していたのでしょう。


ああ、なんというすれ違い。






ここまで考えて、私は再度『ボトルネック』の概念が浮かび上がってしまったのです

「もしも私が産まれていなかったら」
「その世界線では諸々いったいどうなっていたのか」
「私の家族たちはいったい」と

多分、今より上手くいっていたと思います。
私が居ない方が良かった。
悲観というよりこれは「分析」と「諦観」に近いのです。考えてみればそうだ。

だってあの人たちは10年以上「5人家族」だったんだもん。急に「6人家族」をやることの方が難しかったんだ。


自惚れかもしれない。それでも。
私の存在が、みんなを狂わせてしまったとしか思えないのです。
合理的に考えてしまうと、私が産まれたことによる「不都合」の方が圧倒的に多いと感じてしまうのです


私が産まれて来なければ、経済的にももっと余裕が出来ていたことでしょう。それに合わせて、姉と兄たちはもっと好きに大学を選べたかもしれない。自由な生活が出来ていたかもしれない。


私が産まれて来なければ、次女はグレなかったかもしれない。痴情のもつれなども無く、まわりと清い関係を築けていたかもしれない。鬱にだってならなかったかもしれない。


私が産まれて来なければ、長女が親代わりをさせられることも無かったかもしれない。友人と遊びに行ったり、もっと好きなことがたくさん出来たかもしれない。私に暴力を振るうほど理性が失われることもなかったかもしれない。


そして私が産まれて来なければ、兄は「異常性癖」に目覚めることも、気がつくことも無かったかもしれない。部屋に「歳の差兄妹ものの成人向け本」が落ちてることも無かったかもしれない。ただただ他のきょうだい達とも健全な関係を築けていたかもしれない。家族たちから変な目で見られることもなく。







私の方が、あの家の「ボトルネック」じゃないか







最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ





私だけ、明らかにタイミングが悪すぎる!!!!!!!!!!!!!!!!





そう気づいてしまった時、私は声を出して泣きました。こんなのあんまりだと。
両親はどんな気持ちで私を産むと決意したのだろう。本当に他のきょうだい達のことも考慮していたのだろうか。


本当に産んだ理由が「堕ろしたくなくて」「跡継ぎが欲しくて」なんだとして。
それにしては、私の扱いも雑な方でした。本当に困らなかったのはあくまで学費と生活費だけ。
それでも充分なのかもしれないけれど。


もっと私に関心を向けて、高等な教育を受けさせてくれたら良かったのに


「KUMONに行きたい」「進研ゼミをやりたい」と言えば「そういうのはお金の無駄、お姉ちゃんたちから勉強を教えてもらいなさい」と言われて
だから姉たちに「教えて」と言えば、ある程度は見てくれつつ、出来なければ「お前は本当に馬鹿だな」「出来損ない」「ググれカス」と言われていました。

悲しかった。教えて欲しい事も充分に教えられない。優しく教えて貰えない。
私だって、年相応な子どもで居たかったのに。



歳の離れたきょうだいばかりで、ろくにきょうだい喧嘩もしたことがありませんでした。むしろ出来なかった、だって脅し文句が強すぎる。

「言うことを聞かないとお前がお漏らしした事、学校に行って壁に書いて知らしめてやるぞ」
そう脅してきた長女は、多分半分以上本気だった
実際そういう事が出来てしまうと思った、私よりも大人だったから


私は幼少期の頃からずっと、世代もライフステージも違うきょうだい達から「大人の世界」を強要されていたような気がします





ああ、本当に可哀想な私……
やっぱり幼少期の私を思い出すと、あまりにも健気すぎて泣けてきます。
私室が無い頃は家の空きスペースにダンボールハウスを造ることもありました。「ここが私のお部屋!!✨」と言って毛布やぬいぐるみを詰め込んだりして過ごすこともあった。

波乱万丈な家すぎて、半ば映画を観てるような気分で昔の事を思い出すのですが「いや、これ全部私の体験なんだよな…」と、現実に引き戻されては何とも言えない気持ちになります。
こんな形の複雑な家庭事情があるのだな、と。


最近はどこか達観してしまって
「そりゃ私が居ない方が良かっただろうなぁ…」と、家族たちに対して同情の念も湧きます。
それはそれとして、やはり解せない部分は多々あるので、もういっそ金輪際干渉して来ないで欲しいとは思っています

「自分が悪魔的存在だった」感も拭いきれず
「離れる事」で今は家族孝行をしてるつもりです

手を煩わせない、存在感を薄れさせて行く
そうする事で、私自身の心も落ち着かせたい



私たちは多分、一緒に居ない方が上手く行くから
お互いを気に掛けないで済むならきっと、それが家族にとっても良いことだと思うから
私は「新たな人生」を歩いていきたい




「世のお父さんお母さん、家族計画を立てる際はよ〜〜〜く考えてから臨んでください❗」

「一時の快楽が人一人の人生めちゃくちゃにする可能性だってあるんです、何でしたら被害を受けるのは一人じゃ済まないかもしれない❗」

「よーーーく考えて、マジで❗❗」
そう思います。

お金は大事だよ〜、アフラック🦆
愛情も大事だよ〜、とっても






ここまで読んでくださった方はありがとうございました。ユーモラス、あったかな……
やはり重たい話になってしまいましたね。

吐き出せて私は少しスッキリです。
ちなみにカウンセリングの先生はこの話を聞いた時頭を抱えておりました。
これでも以前よりは心が軽いのです。


私だけでも私のことが好きで良かった。
今そう思えてる奇跡に感謝。
そう思えるキッカケを作ってくれた友人たちに、これを読んでくださった皆様にも改めて幸あれ🕊


例え私が誰かにとっての「ボトルネック」でも
誰かにとっては「居ないと寂しい」存在に成れるかもしれないから




だから諦めたくない
私も、幸せになりたい



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