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出会って19年の妻が、noteを読んで初めて気づいた私のこと。

こんにちは、芽芽斗 守(めめと・まもる)です。

妻と出会ったのは私が21歳、妻が18歳のころです。
7年付き合って結婚し、今年で出会って19年目になります。

19年といえば、生まれた子どもが成人するまでの年月です。
あっという間のようで、長い月日を二人で歩んできました。

そんな妻と今日、2時間ほどのウォーキングをしてきました。

タイミングが合えば片道1時間ほどの場所まで食事に行くのが最近の定番です。

歩きながら息子のこと、家庭のこと、起業のこと、このnoteの感想などをじっくり聞けるこの時間が、私には大切なものになっています。

今日の会話の中で「認知のズレ」という話になりました。

子育て、夫婦のコミュニケーション、そして私という人間について。

誰かの気づきのきっかけになればと思い、帰り道にこの話をnoteに残そうと思いました。

子どもを比べるときの前提条件の話。

きっかけは昨日会った幼馴染の話でした。

幼馴染の下の子(3歳)が静かでおとなしかったので、妻が
「息子が3歳のときはどうだったっけ?」という話になりました。

思い返せば息子は3歳のころ、森に連れて行けば大声をあげて走り回っていて目が離せませんでした。

二人で顔を見合わせて笑いながらも、どこかで比べていたのだと思います。

その流れで、息子が通っている幼児教室の話になりました。

息子は教室でそれほど嫌がらずに授業を受けている。でも同じ教室にいる別の子は、「いやだよーー!」と大声で拒絶しながらも、いざ授業が始まると応用が利く。文章が変わっても概念で解いてしまう。

息子は同じ問題でも文章が変わると詰まってしまうことがある。

妻が感じた「あの子のほうが伸びているかもしれない」という感覚は、正直なものだと思います。

ただ私はこう思いました。

同じ条件でなければ、比べても意味がない。

たとえば幼馴染の下の子。上のお姉ちゃんは森に連れてきて虫に触れる訓練をしていると言っていました。下の子も虫が好きではなくてテンションが落ちていただけかもしれない。

一方で息子は虫が大好きなので、森に連れていけばテンションが上がって走り回る。あの落ち着きのなさは、好奇心の表れだったとも考えられます。

教室で応用が利くあの子が、家でどんな学習環境にいるかは見えていません。教室のあとに教科ごとの家庭教師がついている可能性だってある。

大げさに聞こえるかもしれませんが、私の小学校時代の友人に実際そういう子がいました。2代目として家業を継ぐことが決まっていて、塾のあとに教科ごとの家庭教師がそれぞれついていた。

息子と比べてしまったあの子も、そういう環境にいるのかもしれない。

息子は宿題が終わったら自由にゲームをさせているので、予習もしていないし、勉強量は圧倒的に少ない可能性がある。

スポットを切り取って並べると差に見えるものが、条件をそろえると見え方がまったく変わることがあります。

私は仕事で、2種類の広告を比べてどちらが効果的かを測るABテストをよくやっていました。

たとえばウェブサイトに載せる広告画像の効果を測りたいのに、それ以外の要素も同時に変えてしまうと、何が原因で効果が出たのかがわからなくなる。

だから時間がかかっても、測りたい変数をひとつに絞り、他の条件はそろえてテストを細かく繰り返すのがセオリーでした。

子どもの比較も、構造は同じだと思います。見えているのはあくまでスポットの断面であって、家庭環境や学習量、その日のコンディションまで含めた「前提条件」がそろっていなければ、正確な評価にはなりません。

それを伝えると妻は「あーなるほど」と納得していました。
子どもを他の子と比べてしまうのは、親として自然な感情だと思います。

ただその比較が「前提条件のそろっていない比較」になっていないか、立ち止まって確認することが大事なのかもしれません。

noteを読んで、初めて夫の内面を知った。

次に出てきた話のほうが、私には刺さりました。

妻から「noteを読んで初めて、ちゃんと私の話を聞いてくれていたんだなと思った」と言われたのです。

もちろん聞いていなかったわけではない。

ただ、聞いたことをうまく返せていなかった。
インプットではなく、アウトプットの問題だったのだと思います。

私はずっと、話すことを仕事にしてきました。
ファシリテーション、プレゼン、社内調整。

15年以上そういう場にいたので、自分では「説明するのは得意だ」と思っていました。

でも妻からすると、私が日常会話で話すことと、このnoteを読んで私が実際に考えていることは「ぜんぜん違った」というのです。

思い当たる節があります。

私には物心ついたころから右耳が聞こえないという特徴があります。先天的な失聴で見た目にはわからないので、自分から言わなければ誰にも気づかれません。

複数人が参加する会議は常に鬼門でした。片耳が聞こえないと音の方向がわからないだけでなく、雑音の中から特定の声を拾い上げることが難しくなります。発言のタイミングを見計らうことも一苦労です。

そのため会議では事前にある程度の原稿を用意し、想定される質問への回答も準備してから臨んでいました。これは自己防衛的な工夫でした。

ただこの工夫が、副次的に私のもうひとつの苦手をカバーしていたのかもしれません。

それは、口に出して説明することがとても下手だったという可能性です。

頭の中が整理されないまま話し始めてしまう癖があるのだと思います。
だから口で説明しても、伝わらない。

ただその話を聞いて、少し嬉しくなりました。不思議なものですが。

ものを書く人には、そういう特性を持っている人が多いと聞いたことがあったからです。

話をする方があまり得意ではなくて、自分がインタビューされたりすると、緊張してうまく喋れないことが多い。だいたい自分の考えていることを流暢に話せるような人は、わざわざ苦労して小説を書いたりしない

村上春樹(『雑文集』新潮社)

小説を書こうとしている私には、少し救われる言葉でした。

私をよく知る友人からは「お前は絶対に営業は無理だよ」と笑いながら言われていました。

一時期、企画としてビジネスパートナーと対面で交渉する仕事もしていたので「それとなく営業っぽいこともやってるよ」と話したら、本気で心配されました(笑)

その心配の理由が、ここにあったのかもしれません。
気づかないものですね。

そして妻も同じでした。19年間一緒にいた妻でさえ、私のnoteを読むまで私の内側を知らなかった。それは責める話ではなく、伝える努力を怠っていた私自身の問題です。

書くことで、私は初めて自分の考えを誰かに届けられるようになっていたのかもしれません。

賢さとは何かを妻と話してみた。

もうひとつ、帰り道にこんな話になりました。

妻が「私ってバカじゃないとは思うんだけど、賢いとも思えない」と言ったのです。

私のnoteを読んで思ったことだと言います。

いろいろな本を引用しながら書く私の文章を読んで、自分はあまり本を読んでこなかったなと気づいたのだと。

私からすると妻はとても賢い人です。ただ彼女の言う「賢さ」は、学歴や読書量や難しい言葉を使いこなす力のことを指しているようでした。

私はこう思っています。

学校にいるあいだ、賢さは「学識」で測られる面が多い。
でも社会に出た後は話が変わります。

学歴や資格より、現場で人を動かし生活を回している人間のほうがよほど力があると感じる場面が何度もありました。

そして妻には「生活力」がある。

私にはほとんどない種類の力です。日常の段取り、家計の管理、家族の体調管理、息子の学校関係のあれこれ。妻がいなければ我が家はまわりません。

知識や言語化の力は私の方が持っていて、生活を動かす力は断然妻が持っている。

「私たち、いいペアだよね」

家の玄関に着いたとき、そういう結論になりました。

どちらが上でも下でもない。

車の両輪のように、それぞれが違う役割を担っている。
だから正反対に見える二人が、19年も一緒にいられるのかもしれません。

往復2時間の散歩が、一番よく話せる場所

今日の話を整理してみると、子育て・コミュニケーション・夫婦の役割という3つのテーマが自然に出てきました。

特別な場所に行くわけでも、時間をつくるわけでもなく、ただ歩きながら話している。その時間に、こんなに大事な話ができているということに、書きながら改めて気づきました。

夫婦の会話というのは、ときに家の外でしてみるといいのかもしれません。

歩きながら話すと、向き合わずに並んで話すことになります。

正面から向き合っているときよりも、言いにくいことが口から出やすい。
視線が合わないぶん、少し気楽になるのだと思います。

体が動いているのも関係しているのかもしれません。単調なリズムの中で思考が緩み、ふだん出てこない言葉が浮かびやすくなる感覚があります。

夫婦のコミュニケーション時間が1日15分未満になると関係満足度が急激に低下するという研究があります。それと比べると、往復2時間の散歩は相当に贅沢な時間です。

ただ私たちの場合、意図してその時間を作ってきたわけではありませんでした。ウォーキングの習慣がたまたま生んだ副産物です。

歩きながら話す。
それだけで、19年一緒にいても知らなかったことが出てくる。

夫婦というのは、19年経ってもまだ、お互いを発見し続けられるものなのだなと思った今日でした。

この記事を読んだ妻と、どんな話になるのかが今から少し楽しみです(笑)

最後まで読んでいただきありがとうございました。
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