Unbeaten Tracks in Japan (4):第1報 「第一印象」@横浜、オリエンタルホテル(5/21)
富士山やサンパン、日本人の描写
船で横浜に到着する少し前の場面から始まります。
船から見える景色や、富士山を見た船の乗客から歓声が上がる様子が描かれています。
静かで穏やかな情景描写に続くだけに以下の記載がいっそう対照的で、少しドキリとさせられます。
(略)私たちの船がやかましい音をたて、振動しながら進んでいき、その背後に砕け散る泡を残していくさまは、さながら眠りについているアジアに荒々しく侵入していくかのようだった。
前の記事の「序章」のところで少し書きましたが、当時の日本に対する外国(少なくとも英国)のイメージからもわかるように、バードにとっては、未知(未開?)の国に足を踏み入れるようなイメージだったのでしょうか。
明治時代の横浜といえばとても素敵な街をイメージしがちですが、バードの評価は低く、雑然としている、あまり美しいものではなかったようです。
当時は、波止場に着くとサンパンと呼ばれる小舟に乗り換え、岸へと向かうのが一般的だったようです。
このサンパンの船頭の様子が、「粗末な単衣の着物を着て胸ははだけ、手ぬぐい鉢巻をしている。肌は黄色で手足は筋肉質。一面入れ墨だらけ」といったようなことが書かれています。
しわくちゃで貧相、がに股、猫背、胸がへこんだように見えるなど、日本人の人物描写はあまり肯定的なものではないのですが、「kindly-looking」など、比較的好意的な記述も見られました。
また、サンパンは料金が明確に定められているため法外な料金の請求がないこと、船同士がぶつかっても怒鳴り合うことがないこと、上陸後には浮浪者が一人もいないこと驚いたこと、さらに税関の役人が礼儀正しく仕事が丁寧だったとも書かれています。
人力車
もう1つ大きく取り上げられていたのが、人力車についての記載です。
人力車は明治に入ってから発明されたばかりのものなのに、バードが来日した時点ですでに2万3千台もあったようです。
他のどんな仕事よりもお金になるので、車夫になるため若者が農業を捨てて町に集まってきたとか。
ただ、多くの車夫が、寿命は5年ほど、心臓か肺を病んで亡くなると書かれています。これについては『ふしぎの国のバード』の1巻でも描かれていました。
この「5年」が本当だったのかはわかりませんが、そのくらい体への負担の大きい重労働だったということでしょう。
人力車の構造はもちろん、内装や外装、車夫の様子、雨が降ったときの対応などいろいろ書かれていてとても面白かったです。
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