Unbeaten Tracks in Japan (3):はしがき、序論、「英語に同義語のない日本語解説」
ここから先は章ごとに、ざっくりとした概要と、私自身が気になった点についてをメモとして残していこうと思います。
書くのに少し時間がかかるので、日々少しずつ書き溜めてアップする、というスタイルで進めていきます。
今回ダウンロードして読み直している【パトナム版】(フルバージョンの【ジョン・マレー版】とほぼ同内容)には、初めに読んだ GutenbergのUnbeaten Tracks in Japan【省略版1巻本】 では省略されていた「はしがき(Preface)」の記載が含まれています。
「完訳」と比較して内容が抜けなく読めるようになり、とても満足しています。
掲載順序
本文がはじまる前の原文の順序は以下の通り。
『完訳』では、翻訳の記載ルールなどが書かれた「凡例」から始まり、原文で先頭にあった「献辞」や「はしがき」は後ろの方に置かれていました。
原文
献辞
Preface(はしがき)
CONTENTS OF VOL.1(目次)
LIST OF ILLUSTRATIONS(挿絵一覧)
GLOSSARY OF JAPANESE WORDS FOR WHICH ACTUAL ENGLISH EQUIVALENTS DO NOT EXIST.(英語に同義語のない日本語解説)
INTRODUCTION(序章)
完訳
凡例 (日本語版のみ)
目次
挿絵一覧
英語に同義語のない日本語解説
献辞
はしがき
序章
凡例
『完訳』ではまず最初に「凡例」から始まります。
この「完訳」の意義、Unbeaten Tracks in Japanの歴史的な位置づけ、訳文の表記ルールや補足、お断り・・的な内容が17項目ほどにわたって書かれています。
この中で「ジョン・マレー版」や「パトナム版」といった複数の「版」の記載を見つけ、この本にはいくつかの版があることを知りました。それからいろいろ調べて版の違いについて整理でき、今に至ります。
目次
【完訳】の目次と各項目の冒頭の記載は、Letter1(第1報)、Letter2(第2報)・・と始まる【ジョン・マレー版】と、本文の内容を表す小見出しのみ書かれた【パトナム版】の記載を両方採用した形になっているため、パトナム版の原書でも、『完訳』と並べて読んでも読みづらさは全くなく、むしろ読みやすいほどです。
英語に同義語のない日本語解説
冒頭に日本語の発音についての記載があり、そこに「HiとShiの発音はほぼ同じ」と書かれています。
解説には、以下のように書かれていました。
七をヒチともシチとも発音したり、質屋をヒチヤとかシチヤと発音するようなことを言っているのであろう
なるほど!
「ひ」と発音できず「し」と発音していたという、要するに江戸っ子の発音・・・ですね。
ちょっと調べてみたら、浅草育ちのおじいちゃん世代の人が、「ひ」の音発音しづらくて、火鉢が「しばち」になったり、「広い道」が「白い道」になっているなど、いろいろな例が見つかりました。
つづいて、英語には同義語が存在しない日本語が50個ほど挙げられています。
その中で「地震戸」というものの存在を初めて知りました。
地震戸
<雨戸>の一部を切った小さな戸。字義は、「地震の時の出口earthquake-door」
注釈:
地震の際の逃げ口として、雨戸に設けた小さな戸口である地震口のこと。
これを読んだら江戸時代の建物の構造が気になってしまい、いろいろ調べてしまいました。
前出の「Hi」と「Shi」発音の件もそうですが、注釈を読んで面白いと思うと、詳しく調べ始たくなり、気づいたら脱線・・と、なかなか先に進みません(笑)。
でも、自分の興味に従って知りたいことがどんどん増えていくというのも、面白いものです。
そのほかには、弁当箱、ふすま、女郎屋、妾、などなど、なかなか興味深い単語が挙げられていました。
説明や字義についてはどれも的を射ているのが驚きでした。
はしがき
簡単にいうと、日本を訪れることになったきっかけや、この Unbeaten Tracks in Japan がどんな意図で書かれ、どんな位置づけのものなのかといったことが書かれています。
この本が、「日本の研究書」といったものではなく、自分自身の旅をベースにした「記録」であり、現地で見聞きしたものを率直に記したものであること、作り話ではなく、できるだけ正確に書いたものであることも強調されています。
版によって「はしがき」の内容が異なるのですが(【ジョン・マレー版】と【パトナム版】は同じ)、版ごとの「はしがき」の内容の違いについては例の論文で詳しく解説されています。
イザベラ・バードの生前に出版された Unbeaten Tracks in Japan の4種の版における違い ―― 思考・行動の変化を反映した改訂 ――
版ごとに並べてみると、各版の特徴がわかってなかなか興味深いです。
序章
この序章に書かれている内容はとても興味深く読めました。
序章のわりには内容が深くて「ざっくり概要」・・というわけにはいかないので、特に気になったものだけ取り上げて書いてみます。
日本の様子
日本はロシアの一部だとか、中国の属国だとか、腹切がおこなわれてるとか、日本に対する認識は誤ったものだったり古いものだったりしていて、新聞でさえ間違った情報を載せていたとか。
こういった認識の混乱は、日本が西洋の影響を受けて急速に変化していることによるものだと書かれていました。
そして今(=当時)、政治的には旧き日本は存在しないが、内地(外国人が許可された区域ではない、それより内側の日本という意味での)には依然として、昔からの暮らしや考え方が続いている。かなり生々しく、ひどいと思われるような記載もあるかもしれないけど、作り話でもないし、わざわざそういったものを探しにでかけたわけでもなく、事実を明らかにしたものだ・・といったようなことが書かれています。
その他、気候や豊かな植物相など、さまざまなことについて触れています。
天皇と将軍についての記載もあり、なかなか興味深いものでした。
日本人のための日本(Japan for Japanese)
私が一番面白く感じたのは、この部分でした。
そのまま引用することにします。
目下成就しつつある種々の変革は、お雇い外国人と、欧米で数年間勉強しその能力をもって選ばれた日本人との指揮の下でなされている。政府はすべての部局で最高に有能な人材を苦労も経費も惜しまずに確保しており、個人的な目的その他を果たそうとする私心のある外国人が悪い助言を政府に対して行ったような例はごくわずかにない。(中略)しかし忘れてはならないのは、彼らが援助者としてのみ存在しており、実際の権限は持っていないこと、つまり主人としてではなく召使として存在していることである。(中略)[日本人の]養成に対する彼らの情熱が強かったり、能力が高かったり、手腕が大きかったりするほど早く解雇され、管理運営が[お雇い]外国人から日本人に移行される部局が、次々にできていることである。外国人の被雇用者を維持するなどということは発展計画の中で考慮されていない。「日本人のための日本」ということが日本人の愛国心の信条であり、「異邦人」は使われたのち、できるだけ早く解雇されるべきものなのである。
「召使」とか「解雇」といった言葉から少し強めな印象を受けるかもしれませんが、英語だともう少しソフトな感じはします。
この「序章」は旅を終えた後に書かれたものと思われますが、かなり鋭く的確な視点で、明治政府の運営体制の本質的を突いているように思います。
たくさんの「お雇い外国人」を抱え、西洋の知識を急速に導入、でも最終的な意思決定を握るのは、日本人。技術や制度をいったん吸収したら、すぐに自分たちのものにする。当時の「外国(人)を利用はするけど日本の支配はさせない」という姿勢をよく見抜いた観察だと感心しました。
幕末・明治の歴史は好きですが、専門的に詳しいわけではないのでもしかしたら的外れなことを書いてしまっているかもしれませんが、とても興味深く読むことができました。ここだけでも、本編の内容が期待できそうだと、ワクワクしました。
訳注
以前にも書きましたが、訳注がとにかくすごい。全体のボリュームの1/3くらいを占めます。
翻訳はもちろんですが、書かれている内容の正確性を裏付ける作業が丁寧にされていて、バードの勘違いや誤記であることが、訂正・補足・説明されています。
この補足がまったくなかったとしたら、この作品を原文を読み通すのはかなり難しいのではないかと思います。
あまりもの翻訳者の仕事量の多さに驚き、この翻訳と注釈を担当している翻訳者はいったい何者なのかと思ったら、訳者の金坂清則さんは京大の地理学者で、イザベラ・バードについてながく研究されてこられた方でした。
研究の集大成といってもよいものなのかもしれません。
そうしてここでまた訳者のことを調べ始めたら、なかなか本編にもどれなくなってしまいました。その時見つけたサイトの1つが、前回リンクをのせた、これですね。
まだ全部読み切れていないのですが、かなり興味深い内容なので、気になる方はぜひご一読を。
英語の難易度と翻訳
「はしがき」や「序章」は比較的読みやすかったのですが、本編に入ると少し難易度が上がったように思います。
イザベラバードは教養がある英国人で、文体もかなり格調が高い・・・と思います。
そもそもが、楽しい「旅行記」のようなものではなく、民族・風俗・地理など多岐にわたる詳細な観察記録のようなものであるのに加え、自身の感想や意見もかなり率直に記されています。
1文がとても長かったり、挿入句が多かったりするため、なんとなく読み流してしまうと読み落とすものが出てしまいそうです。
こういう構造の長い文が、訳し下げ(原文の構造を保ったまま、順に訳していくこと)で翻訳されていることもあってか、訳文は翻訳調の堅い日本語ではなく、読みやすく違和感のない日本語になっています。
一字一句読み比べ・・というようなことはしていませんが、『完訳』がなかったら読んで得られるものがここまで多くなかったはずですし、それ以前に、途中で力尽きていたのではないかと思います。
気になった点や感想などをここまで書いてきましたが、読み終わったらすぐに note に残していかないと、どんどん記憶から薄れていきます。
この記事を書くのも読み終わってから少し日がたってしまったので、もう一度原文も訳文も注釈もざっと読み直して確認するなど、書き上げるまでに思った以上に時間がかかりました。(もう完全に、自己満足の記録ですね。)
今、第4報を7割くらい読み終えたところです。
第1、2、3報のnoteをこれから書くにあたり、すでに記憶から抜け落ちてしまったものがいっぱいあって苦労しそうです。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございます。
応援いただけると励みになります♪