#36 / 35.ピアノのタッチと音色(9)(シャンクの変形の補足説明-図解入り)
タイトル写真は、スーパームーンの1日前(2025年11月4日)の月です。曇りがちでしたが、かろうじて見えました。東京では残念ながら5日は曇りでした。
さて今回は、前回記事で中間まとめをしたものの、まだ分かりにくいのではないかと思い、図解入りで補足することにしました。
まずは、鍵盤を叩くように弾いた場合と、押すように弾いた場合について、ハンマーシャンクがどのようにしなる(曲がる)のか、解析結果を改めて説明します。
叩くように弾くというのは、最初に急激に加速して、その後は減速していくという弾き方です。
今回の解析では、典型例として、加速度が直線的に減少するパターンについて計算しています。
また、押すように弾くというのは、今回の解析では、典型例として、加速度を変えない(一定)という弾き方としました。
これらの弾き方による、ハンマーの加速度、速度、変位の時間的変化は次の図のとおりです。
①と②で、音の強さ(最終速度)をそろえるには、こういった形になります。
簡単には(簡単でないかも知れませんが)、①の三角形と②の長方形の面積は同じということです(加速度を積分すると速度になる。積分とは、要するに面積を求めること)。

<速度の変化>
速度のグラフに示すとおり、①と②では最終的な(弦に衝突するときの)速度は同じですが、その経路が違います。
①は急激に立ち上がり、徐々になだらかになりますが、②は直線的に増加します。
プロやピアノ講師の方の動画を見ると、音色の変え方について、加速度ではなく、速度で説明されているものが多いようです。
「早く押すか、ゆっくり押すかで音色は変わる」という説明は、グラフで表せば、この速度のグラフのようなことを言われているのだと思います。
ゆっくり押す場合でも、速度は徐々に上げていき、最終的には早く押す場合と同じ速度にまで上げるということです。
最終速度に至る経路を変えれば(加速の仕方を変えれば)、音の強さが同じでも、音色が変わるということを説明されているのだと思います。
プロの方などの動画では、「早く押すと音が強くなるが、音の強弱は音色とは別の問題」と説明されているものもありますが、要するに、「最終速度は同じだが、そこに至る経路が違う」というふうに理解すればよいと思います。
そのときの①の実際の弾き方について、所定の音の強さを出すには、ガツンと底まで叩くのでなく、トンと叩いたら、力を抜きつつ底に達するという感じでしょうか。
プロの方などは、高音のキラキラした音を出すには、「木琴を叩くように」、「鍵盤の跳ね返りを意識して」と説明されていたりするのですが、それはこういうことなのでしょうか。
また、②の弾き方については、鍵盤の底よりも、もっと深いところを意識して押すような感じでしょうか。
プロの方などの動画では、柔らかい音を出すには、「鍵盤を押し切って、さらに深くまで押すイメージ。音の強さを変えるには、その深さを変えるイメージ」と説明されているものもあります。
グラフを描いておきながら、実際の弾き方については、演奏経験の浅い私にはよく分かりません。
いろいろ試すことで経験的に得るものなのだと思います。
<変位の変化>
次は変位のグラフを見て下さい。
弦までの距離は当然同じですが、このグラフのとおり、①のほうが早く弦に到達します。
変位は速度を積分すると得られるのですが、速度のグラフにおいて、①の扇形のような形と、②の三角形の面積は同じです。
<ハンマーシャンクの変形>
①及び②のような弾き方をするとき、ハンマーシャンクがどのように変形するのかを次の図に示します。
なお、シャンクの変形については、記事番号31で計算した値に、記事番号32で計算した補正比率1.7を掛けています。
詳しくはこれら記事を見て頂きたいのですが、概略説明すると、変形を計算する際に、Chat GPT に入力するプロンプト(命令)を複雑にしたくないため、モデルの単純化を行いました。
しかし、その影響は無視できないため、計算結果を略算的に(静力学により導かれる比率により)補正しました。

叩くように弾く場合は、当初の加速度が大きいために、弦と反対方向に勢いよく振られた後、その勢いの反動で、弦と衝突する時には弦に向かって曲がっています。
これに対し、押すように弾く場合は、弦と反対方向に比較的穏やかに曲がった後、一旦変形は戻り、弦と衝突する時には、再度、弦と反対方向に曲がっています。
要するに、①も②も、シャンクが振動しながら、ハンマー先端が弦に衝突しているのですが、両者で、衝突するときのシャンクの曲がり方が、全く逆であることに注意して下さい。
①は弦に向かう方向に曲がり、②はその逆です。
私としては、これが音色を変える鍵になっているのではないかと思います。
時間が許せば解析を再開し、これによって音色(倍音の構成比率)が変わるのかどうか調べてみたいと思っています。
今回は、さらに分かりやすくするため、Chat GPT でシャンクが変形する様子のアニメーションを作ってみました。
ただし、先に述べた補正を行っていない(1.7倍していない)値でのアニメーションです。
縦軸(変位)は下向きに変位する場合を正としているので、このアニメーションで上向きに変形しているとき、実際のピアノでは下向き(弦から遠ざかる向き)に変形していることに注意して下さい。
一つ目の動画が叩くように弾く場合、二つ目が押すように弾く場合です。
記事番号28で述べたとおり、ある動画では、「シャンクは変形しないので、音色は変わらない」と説明しているものがあるのですが、それは明らかに誤りですので十分にご注意下さい。
シャンクは変形すると述べている学術論文は多数あり、これは科学的に証明された事実です。
mf 程度の強さで弾いた場合は、前述のとおり、ハンマーの先端位置は①と②で5.3mmほど違ってくるのですが(2.9mm+2.4mm)、ff 程度の強さだと、これの3倍ほどになります(約16mm)。
ff で叩くように弾く場合、瞬間的には20mm以上曲がることがあります(7.3mm×3)。
そのとき作用する加速度は、瞬間的には重力加速度の70倍ほどにもなります(最初の図で、226m/s^2×3÷9.81m/s^2)。
凄まじい加速度ですね。鍵盤の動きが「てこの原理」でかなり増幅されているということです。
強く弾きすぎるとシャンクが折れることもあるかも知れません。
<弦とハンマーとの接触時間による影響>
「ピアノの奏者が変えることができるのは、ハンマーが弦に衝突する速度のみであり、それ以外の要素は変えることができない」(他に変えることができるのはソフトペダルを踏むこと)、「タッチの仕方で音色が変わるというのは耳の錯覚」という説明をしている動画もいくつか見かけました。
「錯覚」という言い方でよいのかどうか分かりませんが、確かにそれはあると思います。
他のプロの方などの動画でも、「2音以上の音の対比」、「音の長さ」、「音と音とのつなぎ方」等を変えると、音色が変わったように聞こえるという説明をされている動画がいくつもあります。
しかし、「衝突速度しか変えられない」と安易に結論付けてしまってよいのでしょうか。
最初のグラフで示したように、最終速度は同じでも、そこに至る経路(加速のさせ方)を変えれば、弦に衝突する時点のシャンクの変形(曲がり)を全く逆にすることができます。
また、その変形の大きさは、私が思っていた以上に大きいものでした。
ff 程度で叩くように弾くと、弦に衝突する時点でシャンクは12mmほどたわんでいます(ff ではmf の3倍ほどになるので、前図の4.1mm×3になる)。
そのことにより、ハンマーと弦との接触時間が異なる可能性があることを、考えてみる必要があると思います。
接触している間、ハンマーは弦の振動を抑制し、例えば、接触時間が長くなれば、抑制されやすい固有周波数はますます抑制されることになります。
そのことによって、倍音の構成比率が変わり、音色が変わる可能性があります。
なお、抑制されやすい固有周波数というのは、その振動モードの節(振幅が0の位置)がハンマーとの接触位置から遠いもののことです。
時間が確保できれば、私は上記のことを解析的に確かめたいと思っています。
多くの動画に見られるような感覚的な説明でなく、これまで行ってきたような、振動学や構造力学の知識を活用した科学的な手段を用いて解析したいと思います。
<アップライトとの構造の違い>
アップライトピアノとグランドピアノとを比べると、弦とハンマーの相対的な位置関係が全く逆です(次図)。

従って、叩くように弾いた場合と押すように弾いた場合とも、ハンマー先端が移動する方向は、両者で全く逆になります。
仮にこれが、音色が変化する主たる要因だとすれば、同じ弾き方をしているのに、一方では硬い音、他方では柔らかい音が鳴ることになりますが、実際にはそんな現象は起こっていません。
つまり、ハンマー先端位置の移動は、音色が変化する主たる要因ではないということです。
この意味では、ハンマー先端位置の移動だけで音色の変化を説明している動画も誤りと言わざるを得ません。
これまでの解析によって分かったことのうち、両者に共通しているのは、シャンクが弦に向かって曲がっているのか、その逆かということです。
このことで音色の違いを説明できるのであれば、アップライトとの矛盾は生じません。
曲がる向きが異なる場合、恐らく、弦とハンマーとの接触時間に違いが生じ、その結果、倍音の構成比率が変化しているのではないかと想像されます。
今後、時間を確保できれば、その方向で解析を行いたいと思っています。
<最新の研究成果>
私の場合、かなり単純化した形で解析を行いましたが、もっと緻密で精緻な手法による研究成果が既に公表されており、それに関するネット記事がアップされていることは、記事番号24にて紹介しました。
今回、YouTubeでそのことを説明されている動画を見付けましたので、紹介させて頂きます。
なお、事前にご本人の許可を得ております。
最後までご覧頂きありがとうございました。
なお、このテーマに関しては、私の建築工学(振動学、構造力学等)の知見を活かして独自の解析を行っており、全部で10回のシリーズとしています。結果のみお知りになりたい場合は、次の最終記事をご覧下さい。
