#38 / 36.ピアノのタッチと音色(10)指を寝かすと柔らかい音になる/今回記事が最も分かりやすいはず
再整理した記事をアップしています。数式を用いず、直感的に分かるような内容にしているので、そちらをご覧下さい。5回シリーズです。
タイトル写真は、今年の2月に泊まった温泉宿から見た夜明けです。
ピアノ界での「音色論争」のことは最近になって知ったのですが、夜明けは近いというより、もう明けていると思います。
ところで、建築界では1923年の関東大震災の後、「剛柔論争」というものが起きましたが、結果、どちらもある面では正しかったのです。
おおよそ大論争になるような問題というのは、そういうことが多いように思います。
さて今回は、タッチの違いによる音色の変化について、ピアニストなど専門家の方々の動画や記事を何本も拝見したところ、共通して触れられていることがありましたので、それを中心に考察したいと思います。
これまで、音色に関する一連の記事を書いてきた中で、この記事が最も分かりやすいはずです。
◆前回記事の振り返りと補足
前回の記事では、叩くように弾く場合と押すように弾く場合では、ハンマーの加速のさせ方が異なり、その結果、シャンクのしなり方(曲がり方)が全く逆になるという計算結果の一例を示しました。
叩くように弾く場合は、弦に衝突する時点でシャンクは弦に向かって曲がっており、押すように弾く場合は弦から遠ざかる方向に曲がっていました。
叩くように弾く場合、当初に激しく加速されるので、弦から遠ざかる方向に勢いよく曲がり、その反動で、弦に衝突する時点では変形が反転し、弦に向かって曲がります。
これに対し、押すように弾く場合は穏やかに加速されるので、弦に衝突するまで、振動しつつも弦から遠ざかる方向に曲がります。
なお、叩くように弾く場合とは、当初の加速度を大きくし、その後は次第に加速度を小さくしていくという弾き方です。
この場合、速度は急激に立ち上がり、その後は増え方が緩やかになっていきます(減速するのではありません)。
また、押すように弾く場合とは、終始、同じ加速度にするという弾き方で、この場合、速度は穏やかに増加して、最終的には叩くように弾く場合と同一の速度にまで加速するという弾き方です。
要するに、最終速度は同じでも、それに至る経路が違うということです。
具体的には、今回の解析では、次図のような典型例を取り扱いました。

このグラフのように弾き方を変えることで、弦に衝突する時点のシャンクの曲がり方は全く逆になります(次図参照)。

この計算結果は一例ではあるものの、汎用性のある典型例と考えて差し支えありません。
なぜならば、ハンマーの重量やシャンクの物性値(弾性係数)などが、例えば大きめに見積もって2割程度ばらついたとしても、上記のような変形の傾向は変わらないからです。
例えば、ハンマーの重量が2割大きかったとすると、シャンクの固有周期は√1.2=1.1倍だけ長くなります(固有周期は重量の平方根に比例する)。
このため、変位の波形は、次のグラフの中の青い破線のように変わります。
(なお、与える運動エネルギーが同じならば、最大振幅は変化しません)
なお、シャンクの変形については、記事番号31で計算した値そのものとしており、記事番号32で計算した補正比率1.7を掛ける前の値ですのでご注意下さい。
(詳しくはこれら記事をご覧下さい)

上図のとおり、変化前の変形(オレンジ色)に対し、変化後(青い破線)は時間軸(横軸)の方向に1.1倍だけ拡大したものになります。
このように変化しても変形の向きは変わらず、やはり叩いた場合は弦の方向に曲がって衝突し、押した場合はその逆です。
例えば、シャンクの弾性係数(E=12600N/mm^2)が、大きめに見積もって2割小さくなった場合にも、上記と同様の変化が起こりますが、変形の傾向は変わりません。
さて、弦までの距離(46mm程度)は、どうして決められたのでしょうか。
この距離がもっと短かかったとすると(例えば25mmなど)、前記のような現象は起きなかったかも知れません。
fff など大きい音を出す場合に、必要な衝突速度まで加速するには、その程度の距離が必要だったということでしょうか。
メーカーによって設計思想や仕様も少しずつ違うとは思いますが、私はそういうことに関して十分な知識がありません。
今回の一連の解析では、ネット情報により、平均的であると思われる寸法や重量を採用し、このような計算結果を得たのですが、偶然にしては出来過ぎているようにも思います。
なお、今回計算したのはC4弦のみですので、その点はご注意下さい。
◆打鍵位置のズレだけでは音色の違いを説明できない
叩くように弾いた場合と押すように弾いた場合では、打弦位置が互いに逆方向にずれますが(叩いた場合は鍵盤方向に、押す場合は奥にずれる)、それは音色が変わることの主たる要因ではありません。
なぜならば、アップライトピアノでは弦とハンマーの相対的な位置が、グランドピアノとは全く逆であるからです(下図は、前回記事でも示したものです)。

両者で、例えば叩くように弾いた場合、全く逆の音色の変化が起こるでしょうか。
もし、逆の現象が起こったら、グランドピアノに慣れている人は、アップライトピアノで同じ雰囲気の演奏をするには、全く逆のタッチを要求されます。
もはや、まともな演奏などできないと思いますが、実際にはそんなことは起こっていません。
実は私も、当初は、音色が変化するのは、打弦位置がずれることが原因ではないかと想像していました。
そうしたところ、ある方から記事番号32へのコメントにて、「アップライトピアノでは弦とハンマーの相対的な位置が全く逆」というご指摘を頂きました。
そのことで、私は考えを修正するに至りました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
なお、その方からは前回記事(番号35)にもコメントを頂いているのですが、探求心・向上心が非常に旺盛な方とお見受け致しております。
今後とも、ご助言を頂ければ幸いに存じます。
◆音色が変化する原因は何なのか
ネット内の動画や記事では、「アーティキュレーションにより錯覚を起こしている」と説明しているものがいくつかあります。
私はそれを否定しません。錯覚は確かにあると思います。
しかし一方で、多くのプロは、単発の1音でも、「指を寝かすと柔らかい音になる」と説明されています。
恐らく、実際にそうなのだと思います。
古屋普一氏の「ピアノストの脳を科学する」の211~214ページでは、加速の仕方(最終速度に至る経路)の違いにより、倍音の構成が違ってくる(硬く打鍵するほうが高い周波数の倍音が大きい)ことと、その音色の違いを人間は聞き分けることができたと書かれています。
また、それらのことは千葉工大の鈴木教授の研究により明らかにされたと書いてあります。
ただし、どういうメカニズムによって高次の倍音が増えるのか、それについての説明はなく、ただ単に、記録した音の周波数分析(フーリエ変換)を行った結果、明らかになったと書いてあるだけです。
つまり、動力学的なメカニズムは明らかではないものの、現象としては既に科学的に立証されており、「叩くように弾く場合は、押すように弾く場合に比べて硬い音になる」(逆に、押す場合は相対的に柔らかい音になる)と上記文献に書かれていることは、既に事実として認知されているということです。
◆指を寝かすと柔らかい音になる
多くのプロが言っている、「指を寝かすと柔らかい音になる」というのは、科学的には説明可能なのでしょうか。
指を何か平たく硬いもので押すと、指先はせいぜい1mmしか凹みませんが、腹は2~3mm凹みます。
指先は皮膚や組織が薄く、爪にも固められていますが、腹は組織に厚みがあります。
この腹の組織が緩衝材となって、仮に穏やかに加速しようと意識しなくても、自然と初期加速度が抑えられるのだと思います。
同じ力で押したとしても、緩衝材が厚いがゆえに、速度の立ち上がりを大きくできないということです。
(それでも力は落とさずに、最終速度は同じにします。最初の速度の図を参照して下さい)
穏やかに加速しようと意識しつつ、なおかつ緩衝材が働けば、穏やかな加速がより確実なものになります。
恐らく、このような理由で、柔らかい音が出るのだと思います。
これにアーティキュレーションの効果を加えることによって、音色の変化はより鮮明で、多彩なものになるのだと思います。
念のために申し上げておくと、私はアーティキュレーションの効果を決して否定はしていません。
むしろ、アーティキュレーションのほうが、影響は大きいのではないかとも思っています。
私が言いたいのは、「どちらも正しいのだが、一方だけで説明するのは片手落ちではないか」ということです。
これも誤解のないように申し上げておくと、プロの方たちは当然、アーティキュレーションの効果も合わせて説明されており、その説明に手落ちはありません。
ただ、必ずしも物理学に精通されていないことから、誤解をお受けになるかも知れない説明をされてしまうこともあるのかも知れません。
しかし、豊富な経験に裏打ちされたその説明は、それだけでも十分な説得力があると思います。
私のような、学ぶ立場の人間は、それに謙虚に耳を傾け、何を言わんとされているのか、理解しようと努力する姿勢が必要だと思います。
表面だけをなぞって安易に批判するのは、間違っています。
残念なことに、ネット内にはプロの説明を批判する動画や記事がいくつも見受けられるのですが、逆にその方たちは物理学にどの程度精通しているのか、私は大いに疑問を感じています。
◆指を寝かすと音が小さくなる?
あるネット記事では、「指を寝かすと指の面積が広いのでエネルギーが散在してパワーが出ない。(だから音が小さくなる。これが、音色が変化する原因の一つ)」と説明されています。
しかしこの記述は、「パワー」(力)と「エネルギー」を混同し(両者は別物)、さらには圧力(単位面積当たりの力)のことも理解していません。
パワー(力)をかけたとき、接触面積が大きければ圧力(単位面積当たりの力)は当然小さくなりますが、その圧力を足し合わせたのがパワー(力)です。
これは中学の理科で習うことです。
しかも、この記事ではプロや研究者の説明を「非科学的」などと批判し、侮辱・嘲笑するような書き方をされており、本当に呆れてしまいます。
さて、パワー(力)が変わらなければ、指を寝かしても(接触面積が大きくなっても)、鍵盤を押す力は変わらないのに、どうして音が小さくなるのでしょう。
この記事の著者が、本当にそう感じているのだとすれば、冷静にその理由を考えてみる必要があります。
次のグラフは、シャンク先端の速度変化(ハンマー先端の速度変化に等しい)を表したものです。
なお、この値は記事番号31で計算した値そのものであり、記事番号32で計算した補正比率1.7を掛ける前の値ですのでご注意下さい(詳しくはこれら記事をご覧下さい)。

速度に関しては、いずれのケースにおいても、弦に衝突する時点では下向き(弦から遠ざかる方向)なので、計算当初に想定した衝突速度(mf の場合は2.7m/s)から、結果的にはこれらの値(1.7倍した後の値)だけ小さくなります。
この計算例では、グラフの値は「叩くように弾く場合」のほうが大きいので(オレンジ色のグラフで0.328>0.0869)、この値(1.7倍した後)を引いた衝突速度は結果的に、「押すように弾く場合」のほうが大きくなります(つまり音が大きくなる)。
しかし、注意が必要なのは、前にも述べているとおり、ハンマーの重量やシャンクの剛性などは、現実にはばらつきがあるということです。
前述の変位に関する考察と同様に、ハンマーの重量が2割増え、固有周期が1.1倍(=√1.2)になったらどう変わるでしょうか。
それを青色の破線で示しましたが、結果は逆転し、押すように弾く場合のほうが、速度が大きくなりました(マイナス0.2<プラス0.2)。
つまり、弦への衝突速度は、押すように弾く場合のほうが、逆に小さくなります(音が小さくなる)。
これは、速度のグラフの場合、変位のグラフとは異なり、衝突する時点での値が0に近いために、計算条件のちょっとした違いにより、符号(大小関係)が逆転したためです。
(変位のグラフの場合、衝突する時点での値が波形の最大値に近いので、多少波形が変動しても符号は変わらず、弦に衝突する時点での曲がりの方向に変化はありませんでした。)
恐らく、前記の記事の著者が弾かれているピアノでは、こういう現象が起こっていたのだと思います。
ネットで調査したところ、ハンマー重量(シャンク先端の1/2程度の重量を含む)は、11gほどの製品もあるようです。
私の解析では平均的な値として9gを採用しましたが、11gだとこれの約2割増しなので、前記グラフの青線のようになります。
なお、その記事では、「音が小さくなるのは接触面積が増えてエネルギーが散在するため」としていますが、これは明らかな誤りです。
正しいと思われる原因は、シャンクは振動しており、所定の速度まで加速しようとしても、この振動により、衝突時にシャンクが下向きに運動していたため(下向きの速度を持っていたため)、その分、速度が減ってしまったということです。
それを意識して、多少力を増やせばいいのですが、それをしていなかったということです。
この記事の著者は、別の動画で「シャンクは変形しない」とも述べています。その先入観にとらわれていたがゆえに、科学的な考察をすることができなかったため、ハンマーアクションの力学的な挙動をイメージできなかったのだと思います。
◆「アーティキュレーション」と「物理的な事実」
ここで、一つの例え話をしたいと思いますので、次の図をご覧頂けるでしょうか。
よくある幾何学的な錯視の図形ですが、緑色の線は、どちらが長いでしょう?

普通ならば、「どちらも長さは同じ」というのが正解ですが、実はBのほうを5%だけ長く描いてあります。
試しに、次の図もご覧下さい。

お分かりかも知れませんが、今度はBのほうを5%だけ短く描きました。
それでもBのほうが少し長く見えますね。
何を言いたいのか、もうお分かりかと思いますが、【問題1】でBのほうが長く見えるのは、錯覚によるものもありますが、そもそもBのほうが物理的に長いということです。
つまり、ピアノの音色に例えれば、左右に描かれている黒い折れ線は「アーティキュレーション」で、元々5%だけ長いのは「物理的な事実」です。
「線の長さ」も測らずに、「物理的な事実はなく、全てはアーティキュレーションの効果」というのは、拙速ではないでしょうか。
そもそも、既にその「線の長さ」を測った研究者は存在し、その研究論文は公表され、確かに「長い」と認知されています。
ここで、誤解のないように繰り返し申し上げておくと、私はアーティキュレーションの効果を決して否定していません。
むしろ、その効果のほうが大きいのではないかとも思っています。
上記の図に例えると、線が物理的に長くても短くても(あるいは同じでも)、Bのほうが長く見えます。
指を寝かすというのは、音色を変えるための一つの手段にしか過ぎません。
なおかつ、比較的安易で簡便な手段だと思います。
音色に影響していることは間違いありませんが、それが全てではなく、あくまでも一つの手段です。
◆弾き方を変えるとなぜ音色が変わるのか
私のこれまでの解析結果で明らかになったことのうち、アップライトとの矛盾を生じることなく、音色の違いを説明できる要素というのは、シャンクのしなる(曲がる)方向の違いしかありません。
それ以外に要素はないのかと言われれば、それは今回の私の解析結果の範囲では、見出すことができませんでした。
このため、まず確認が必要なのは、上記のことだと思っています。
さしあたり、上記のことで、弦とハンマーの接触時間に違いが生じるのかどうか調べてみる必要があると思います。
これも誤解のないよう申し上げておくと、上記のことで音色が変わることの説明が付くかどうか(どういう力学的メカニズムで倍音の構成比率が変わるのか)、現時点では、私は何も分かりません。
色々な面から、そう予想されるので、調べてみる必要があると言っているだけです。
いつになるのか分かりませんが、時間ができれば、解析を再開したいと思います。
◆最後に
私の場合、ピアノの奏法や構造に関しては全くの素人でしたが、逆にそのことで、ネット内に溢れている、あらゆる意見を公平に受け止めることができたのではないかと思います。
ピアニストの方やピアノ講師の方の動画や記事を見て感じたことは、(大変失礼な言い方になることをお許し頂きたいのですが)真に科学的な説明はないものの、何十年もの経験を積まれてきたわけですから、そこには必ず真実が存在すると私は思いました。
一方で、とても残念なことに、このような方たちを侮蔑・嘲笑するような動画や記事をアップされている方もいます。
しかもその方の動画や記事では、中学の理科のレベルのことでも誤って記載しているにも関わらず、研究者や大学教授を揶揄するような内容が見られます。
私は、そういう方を心底軽蔑するとともに、非常に哀れな方だと思います。
今回記事にて、「ピアノのタッチと音色」については、一旦休止致します。
再開は未定です。
最後までお読み頂きありがとうございます。
※シャンクの変形に関しては、次の記事が分かりやすいと思います。
※シャンクの変形を導くまでの解析過程については、次のマガジンの記事を(1)から順にお読み下さい。
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