複数の事実や推測を分類したい意見が、「気持ちを分かる」と表現される
https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b
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@hg1543io5
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注意
これらの作品の重要な情報を明かします。
漫画
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『るろうに剣心』
『JIN』
『新世紀エヴァンゲリオン』
『転生したらヤムチャだった件』
アニメ映画
『ドラゴンボール超 ブロリー』
テレビアニメ
『新世紀エヴァンゲリオン』
『THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボール超』
特撮テレビドラマ
『ウルトラマンメビウス』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンギンガS』
特撮オリジナルビデオ
『ウルトラマングレート』
ネットオリジナル特撮
『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』
特撮映画
『ULTRAMAN』(2004)
テレビドラマ
『相棒』
『JIN』
『JIN 完結編』
はじめに
https://note.com/meta13c/n/n2e59cc159c79
https://note.com/meta13c/n/nb69ebf2edd75
https://note.com/meta13c/n/n0bfeb3dbdb55
2022年4月30日閲覧
「気持ちを分かれ」という言葉について、私は「善悪の前提」、「行動で変えられない立場や体質」という観点から考察しました。
ここでは、カオス理論などを通じて、「人」以外、考える主にとっての「良い奴」以外の存在の「気持ち」の理解も含めてさらに幅広く、「気持ちを分かれ」の定義を考えます。
『ドラゴンボール』と『JIN』のカオス
まず、「カオス理論」とは、流体の動きのように、最初のわずかな値のずれが大きな結果のずれをもたらすことがある事象を扱います。また、初期値の変化が大きいほど、結果の変化も大きくなるとは限らないのも特徴です。大きな変化が小さな変化に縮む可能性もあります。
これを私は、『ドラゴンボール』と『JIN-仁-』に関して、「インフレーション」、「非線形性」、「塞翁が馬」と表現した事象で整理しました。
『ドラゴンボール』では、キャラクターの強さがインフレーションして、最初のわずかな変化の影響が拡大していきます。また、重要に思われたキャラクターとそうでないキャラクターがコミカルに逆転したり、インフレーションの強さに関係ない切断などの「攻撃で防げない攻撃」が強さを台無しにしたりする、物語の要素の重要度の「非線形性」があります。そして、強くなり過ぎると敵を多数倒してかえってあとで強くなれなくなる「塞翁が馬」と呼べる現象もあります。
『JIN』は、幕末の社会の変化が、現代から来た医師の仁の技術の影響を拡大させていきます。また、歴史を仁が予測し切れないため、何があとで重要になるか分からない「非線形性」があります。また、仁は誰が死んでも悲しむため、幕末の人間同士の争いで「どちらかを助ければ他方が苦しむ」、「自分によるプラスのつもりの影響が反転するかもしれない」という板挟みになります。
これが、『ドラゴンボール』と『JIN』のカオスな部分だと考えています。
カオスを「分かる」
そして私は、ここから「分かる」という言葉の定義を深掘りしました。
たとえば、カオス理論の例として、ロジスティック写像と呼ばれる数式があります。

これはn番目の項と、一定値からn番目の項を引いた値の積を、一定倍したものがn+1番目の項になるという単純な法則ですが、予測がきわめて難しくなります。
x(n+1)=ax(n)(1-x(n))という式では、x(0)=0.9、a=3.9を代入したとき、x(n)が1-1/aより大きければ縮小し、1-1/aより小さければ拡大するのですが、どれほど変化するかは微妙な値の変化で揺れ動き、何回拡大すれば縮小に転じるか、何回縮小すれば拡大に転じるかは限りなく小さい値の変化で左右されます。
そのため、次に拡大するかを予測出来ても、何回後に拡大するかを予測するには限りなく細かく区切る必要があります。それは、1-1/aという変化の分岐点を「見分ける」のがきわめて繊細な作業になるのです。
たとえば『ドラゴンボール』では、サイボーグになったことで超サイヤ人の孫悟空を倒せる自信のあったフリーザが、「中途半端な強さを身につけた者は早死にする」とトランクスに言ったものの、彼も超サイヤ人であったために敗北しました。
しかし、彼が悟空の強さを超える実感を持つほどのサイボーグになれなければ、彼はそもそも地球に来て殺されず、「中途半端な強さを身に付けずに生き延びられた」可能性がありました。もっとも、フリーザの影響で強くなったセルに対抗した孫悟飯達の強さがなければ、のちに魔人ブウがフリーザを含めて宇宙を滅ぼした可能性もありますが。
この「塞翁が馬」が、「未来を予測しにくい、プラスかマイナスの変化の分岐点を計測しにくい」ということになります。
「気」を予測する
これが、「気持ちを分かる」に通じるところがあると私は考えました。
まず、「気持ちを分かる」は、ドラマや実写映画などの、漫画やアニメに比べてナレーションや「心の声」が比較的描写されにくい作品の場合は、「その場では建前で言わなかったことが証明される」であり、「別の場所や時間では言うこと」を示す場合があります。つまり、実写作品における「気持ち」とは、「過去や未来の行動」で証明することが多いのです。
それらの作品では、「現在の言葉の端々から、過去や未来の行動を推測する」のを「気持ちを分かる」と表現するのです。
たとえば、ロジスティック写像で現在の値を細かい範囲で区切れば、「ある値の範囲なら」次に拡大してその次に縮小すると分かります。ロジスティック写像は二次式なので、2つの過去から同じ現在になる可能性があり、過去を絞り込むのはやや難しいのですが。
このように、過去と未来の行動の分岐点を探ることで、「分かる」という行為が可能になると表現される場合があります。
自分にとって「悪い奴」の気持ちを客観的に「分かる」
ここで、私は「ゴジラの気持ちが人間に分かるか、人間の気持ちがゴジラに分かるか」と以前書きました。
善悪の前提が一致しない生物でも、「気持ちを分かる」かについて、このように考えることも出来ます。
しばしば「同情と共感は違う」とは言われますが、自分が同情も共感もしない相手を「〇〇する気か」と予測した例があります。
『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサトのサキエルに対する「自爆する気?」です。
サキエルは人間を滅ぼそうとする正体不明の生物「使徒」であり、最初の使徒の影響「セカンドインパクト」で父親や世界の大半の人間が死亡した『エヴァ』の世界でミサトは、次の使徒による災害「サードインパクト」を人造人間エヴァンゲリオンで戦って防ぐに当たり、「使徒への復讐」で戦っていると指摘され、否定出来ないところがありました。しかし、それは途中までは必ずしも悪だとは捉えられていません。使徒は人間にとって、理解しがたい敵だったためです。
しかしサキエルは「自分が生き延びて、サードインパクトを起こす」ことにはこだわっていません。それは感情というより、行動から明確に「分かる」ものです。それはサードインパクトを起こすのに必要な「アダムへの接近」がかなわないと判断したときに、エヴァ初号機を巻き込んで自爆しようとしたためです。
そのときミサトは「自爆する気?」と驚きました。相手を単なる利己的な存在だと思っていた予測があったのかもしれません。こののちも、ミサトやその部下のマコトは「使徒がこちらの予定に構わない」とぼやくことはあり、徐々に「使徒の気持ち」、正確には「次の行動」を推測しようとしていました。たとえば、高度から落ちる、人間を分析するなどです。
ミサトは人間型の使徒のカヲルを抹殺するように、カヲルに親しくしてもらえて喜んでいたシンジに命じ、さらに「人間も使徒の一種だった。他の使徒は人間の別の可能性だった」という情報を知りました。
使徒に共感や同情をすべきだったのか、という疑問を残しつつも、ここから考えられるのは、たとえそれの余地のない敵でも、「気持ちを分かる」、「未来の行動を予測する」ことはある程度出来るということです。
使徒の目的が、サードインパクトを起こす、自分に害をなしてでもエヴァを攻撃する、人間を調べるなどの動きの「優先順位」はあり、そこから行動の「分岐点」は存在するためです。
怪獣を食べる怪獣の気持ち
『ウルトラマンメビウス』では、怪獣を呼び寄せて捕食するボガールが序盤の敵でした。呼び寄せていることを最初は知らない防衛チームのGUYSのリュウは、「こいつは有益な怪獣なのか」と考えていましたが、正体を隠していたウルトラマンメビウス=ミライは、「あれには悪意を感じた」と否定しました。
実際にこの回で、ボガールはサドラに人間を捕食させて、「もっと餌、食べろ」と促して栄養を蓄えさせているという明らかな人間への害意を持っていました。これは「ボガールは人間を直接捕食出来ない」らしき事実、「サドラは出来る」、「ボガールはそれを認識してサドラを操れる」といった事実、そして「ボガールにとって人間は守るべき存在ではない」という事実が、そのような行動を引き起こしていたわけです。
他にも、ツインテールをあえて卵から孵して捕食しようとしました。
仮にボガールが人間への善意で怪獣を捕食するならば、サドラが人間を襲う前に別の安全な場所で捕食したり、ツインテールは卵のまま捕食したりすべきです。おそらくツインテールは成長させた方が、ボガールにとって味などの利点があったのでしょう。たとえ人間を攻撃する可能性があってもです。
実際に、最初に市街地に被害を出して戦ったメビウスに「馬鹿野郎」と言ったリュウは、次にメビウスがグドンとの戦いを比較的安全な場所で行ったのを客観的に認めています。ボガールも、善意があればサドラやツインテールを「自分に有利かに関係なく、人間に有利な場所を選んで捕食する」ことになり、リュウも、そしてミライも受け入れた可能性はあります。ただし、ボガールと人間の両方に有利な場合もあるでしょうが。
『メビウス』はボガールに限らず、怪獣を敵とみなす傾向が多いのですが、少なくとも劇中ではボガールを敵とみなす客観的な「気持ちを分かる」根拠がありました。それは「人間に有利か不利か」の分かれ目を理解した上で後者を選んででも自分の利益を優先する「悪意」に分岐していると分かる行動をしていたためです。
「怪獣を食べる怪獣の気持ち」が人間への善意か悪意かの分岐点が、「気持ちを分かる」に当てはまるところがあります。
それは、微妙な行動のずれが、対応を大きく分けるのです。
善意と悪意の二元論では単純過ぎるかもしれませんが、行動の目的を推測して、「この目的通りかそうでないならば、この条件で幾つかに分岐するはずだ」という根拠を見つけて試せるはずです。
怪獣を倒して得をするウルトラマンの気持ち
また、『ウルトラマンネクサス』にも近いところが、ウルトラマンネクサスに関してあります。本作での敵は人間を捕食するスペースビーストであり、それを倒すウルトラマンについて、似たようなエネルギーの「振動波」という反応を持つことなどから、防衛チームの凪はビーストの一種だと断定しました。
人間を助けたのは「餌を奪おうとしただけかもしれない」、ビーストと戦うのは「ビーストを捕食するため」、ビーストを特殊な空間「メタフィールド」に引きずり込んだのは「自分に有利だから。それだけ」と断定して、「奴もビーストという方が理屈に合ってる」と話しました。
新人の孤門は、ウルトラマンを味方だとする傾向があり、「ビーストに感情移入している」と凪に批判されました。
しかし私が見る限り、凪も孤門も、自分の意見に沿った推測を押し通しており、客観的事実の「分岐点」を追いかける姿勢が途中まで足りなかったと言えます。
つまるところ、ウルトラマンが人間を捕食出来るのか、人間を捕食するビーストをさらに捕食出来るのか、という事実の観点を、科学者に分析してもらうという姿勢が足りません。
前日談である2004年の実写映画『ULTRAMAN』では、ネクサスの前身であるウルトラマン・ザ・ネクストは人間と完全な融合をあえてせず、それは「完全にするのはビーストが人間を捕食するのと同じ現象だから」だと解説されました。
しかし、ウルトラマンはビーストをメタフィールドに引きずり込むときに、それを敵に有利なダークフィールドに書き換えられるようになっても続けたため、それは強化より隔離を優先する善意だったのです。ここには、具体的な行動が善意と悪意の分岐点をもたらしていました。
また、凪がウルトラマンを信用するようになったあとですが、ウルトラマンがダークメフィスト戦やエピソードEx.で敵のエネルギーを吸収したことはあります。
ですから、ウルトラマンがビーストのエネルギーを吸収出来る可能性はあります。
人間を捕食するビーストが相手である以上、捕食あるいは吸収をしてビーストを倒す存在は、栄養やエネルギーを奪うのが連鎖するのですから、「敵の敵だから味方」とは言い切れず、サドラを捕食するボガールのように映るのもあながち否定し切れません。
その意味で、本作のウルトラマンは人間の被害を抑えるつもりがあるかを証明するのが難しいのです。
言葉で聞けば済んだ「気持ち」
しかし、少なくとも言えるのは、凪や孤門はウルトラマンの正体である姫矢に早くから接触しているので、単に「聞けば」済んだところがあることです。姫矢も説明する意欲があるのか曖昧ですが。
『メビウス』でも、善意か悪意か分からないメイツ星人などとは、言葉で気持ちを「聞いて」解決に向けています。
完全に出来る保証もありませんが、全く目指さなければ意味がありません。
また、『ウルトラマンギンガS』では、ウルトラマンギンガに変身するヒカルが、敵に操られた怪獣の人形「スパークドールズ」を奪って変身したり、ショウがウルトラマンビクトリーに変身したまま、スパークドールズを使い、腕を怪獣に変化させたりしています。その上、ビクトリーは最初にその力を使ったときに、その力の源であるEXレッドキングを倒したばかりのギンガを攻撃しています。
これでは、敵と味方が外見で区別しにくくなります。『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』でゴーデスにより怪獣化したウルトラマンマックスが敵になったことがありますが、そこで無言でいきなり味方になるようなものです。
人間の神山が「ウルトラマンは得体が知れない。いつ脅威になってもおかしくない」と疑って、ヒカルを「取り消せよ!あいつがどんな気持ちで戦ってるか、知りもしないくせに!」と怒らせました。
しかし神山の分かる範囲では、特にビクトリーは「敵を倒して力を得るという利益を得ている、あるいは敵と融合している」ウルトラマンなのですから、「いつ敵になるか分からない」という推測や「味方か敵か外見で区別が付かず、得体が知れない」という意見を持つ余地があります。
神山がそこまで深く考えていない可能性もありますが、考えている可能性もあります。
ビクトリーは、ネクサスと『ギャラクシーファイトTAC』のマックスを合わせたような「不気味な」要素を持っているのです。
そしてこれも、ヒカルやショウは信頼されたいならば、怪獣やウルトラマンの敵対関係の仕組み、「外見で何故敵や味方が入れ替わるのか」を(正体を隠すままでは難しいのですが)説明する義務はあります。神山も「自分が何故ウルトラマンを疑っているのか」の根拠を伝える義務がありますが、根拠を挙げないならば、信じるヒカルも敵だと決めつける神山も「どっちもどっち」です。
互いの気持ちを分かってほしいならば、両者に共通する言語や事実の知識で、分岐する推測や意見を撚り合わせなければならないのです。
「爆弾となる怪獣の気持ち」
ここで、『メビウス』に話を戻します。ボガールがサドラに人間を捕食させていたのは、ミライ達は深く知らないようでした。
また、ボガールは怪獣のエネルギーにより、自爆する危険性のある「ボガールモンス」になりましたが、その辺りになると、むしろ「気持ちの分からない」部分が生じています。「自分を爆弾にしてしまう怪獣の気持ち」であるためです。
ボガールは明らかに肉食であり、大量のエネルギーを溜め込んでも食欲が止まるとは思えませんから、さらに怪獣を捕食しなければならないでしょう。
すると、自分が爆弾になるのでは、ミライ達が恐れたように知能の高い人間やウルトラマンからの攻撃は避けられるものの、怪獣が「抵抗して大爆発を起こすぐらいならば、捕食された方がましだ」とは考えにくいので、むしろ自分も餌を捕食しにくくなっている危険性があります。
このボガールモンスの「気持ちを分かる」のは、『エヴァ』のサキエルのように、難しいと言えます。
『ウルトラマングレート』では、農家で酷使される男が、雇用主だけでなく、防衛チームの人間すら恐怖して萎縮しているところがありましたが、自分達の農薬が生み出してしまった怪獣が肉食となり人間を捕食する危険性があることで、警告しようとしました。そのとき、「あいつ(怪獣)は卵を攻撃すると怒るよ」と言っており、恐怖の対象でしかない存在の「気持ち」を、具体的な行動から推測する論理性はあります。しかし、彼にしてみれば人間も近い恐怖を生む存在に映ったかもしれません。
たとえ絶対的に敵対すべき存在でも、「過去や未来の行動を予測する」という意味で「気持ちを分かる」というのは必要だと言えます。「〇〇する気か」、「××する気だったのか」というのは、善意のない存在に対する推測としても必要です。それを「分析」と言うのかもしれませんが。
杉下右京と緋村剣心の気持ち
たとえば、「犯罪を批判しつつ、ある程度制限のある違法行為をする主人公」は、共感の分かれ目があります。
『るろうに剣心』の主人公の緋村剣心は、かつて維新志士として大勢の人間を斬り殺したことから、「もう二度と人を殺さない」、「弱き者を守る」という方針で戦います。しかし、本来明治政府の法律で許可されていない「逆刃刀(さかばとう)」を持ち、他にも政府に逆らうことはあります。
彼が犯罪者を打ち倒すことはありますが、それを「逆刃刀を使う時点で同じ穴の狢の犯罪者だ」と言いたい人間も、劇中の世界にはいるかもしれません。しかし読者が剣心に共感するのは、「明治政府の法律が絶対に正しいとは、読む人間の時代の価値観では思えないため」でしょう。つまるところ、明治政府の法律や、その後の大日本帝国憲法も、1945年の敗戦で連合国に無力化されたわけですし。
ですから、剣心の「違法行為」は他の違法行為とは違う良心的な部分があると感じる人間もいるのでしょう。
『相棒』の杉下右京は、左遷された刑事として、上司の命令に逆らい、周りの警察官に見抜けない事件の事実を見抜いていきます。しかし、他の警察官の違法行為に厳しいものの、自分の違法捜査に甘い二重基準と言えるところがあります。
「狙われた女」では、警察官が不正な取り引きの果てに目撃者まで殺そうとしたときに、右京は「良い子ぶるな。多かれ少なかれ、お前らも似たようなことをやってるだろう。紙一重なんだよ」と言われ、「確かに紙一重かもしれません。しかし、それを超える人間と超えない人間は、全く違うんですよ!」と激昂しました。
ですが、それは「紙一重を超えない警察官」の主観的な意見で、警察全体を悪く言う人間から見れば「同じ穴の狢」かもしれません。
しかし、右京に捜査を認めない上司や、そもそも法律を都合良く使う政治家なども批判されることがあります。つまるところ、法律を作るのも人間ならば、その人間を選ぶのも人間です。
主人公の違法行為と、主人公に責められる側の違法行為が本当に違うのかは、何らかの行動の分岐点で「分かる」こともあるかもしれませんが、それは非常に微妙なところです。
いずれにせよ、そこに「気持ちを分かる」の微妙な分岐点があります。
「違法行為にしても、右京や剣心には善意がある」と言いたい人間はいるでしょうから、その善意と悪意の分岐点を見出すはずです。
フリーザが悪意によって分かる悟空の「気持ち」
たとえば、『ドラゴンボール』では善悪が明確になっていることが多くなっています。ピッコロに至っては「自分は悪の世界を作りたい」と最初から話しています。
惑星の住民を滅ぼして土地を売るフリーザは、部下のサイヤ人を「何となく気に入らないから」、「反抗的だから」と滅ぼし、生き残りである孫悟空と戦いました。
悟空は他のサイヤ人のような行為は、記憶喪失によりせずに済んでいますが、その辺りの自己弁護をフリーザにはあまりしている様子がありません。
そのため、フリーザはクリリンを殺したことを、超サイヤ人になった悟空に糾弾されて、「貴様らサイヤ人は罪のない者を殺さなかったのか?」と返しています。
その意味では、悟空とフリーザの「怒りで敵を攻撃する」には重なる危険性があります。しかし、悟空はフリーザを追い詰めて命乞いをされ、「貴様はそうやって命乞いする者を何人殺した!」と憤りつつも一度は見逃したため、フリーザはそれをさらに屈辱に捉えました。
フリーザは『ドラゴンボール超』でも、部下のタゴマを悟空の息子の悟飯が見逃したのを、かつての自分に重ね合わせて憤っています。また、悟空に再び敗北したあと、悟空達の宇宙を守るために協力することになったときに、油断させて背後を攻撃して「相変わらず甘ちゃんですね」と話しています。
さらに、一度生き返ったときに、悟空の眼を攻撃しようとしたことがあり、悟空が憤ったところ、「当然、これはゲームではなく復讐なのですから」と言い切っています。
つまり、フリーザは悟空が自分より「命乞いした相手を見逃しやすい」、「急所を攻撃することはしない」という甘さを持つのを認識する意味では、「気持ちを分かる」ことはしており、それは推測であり、「だから腹が立つ」、「それを利用して困らせたい」という悪意、意見を持っています。
善意なき推測からの意見の一致
しかし、フリーザが力の大会で悟空達と共に勝利して生き返り、「私は悪事をやめるつもりはない」と別れたあとのことです。
『ドラゴンボール超 ブロリー』では、「ドラゴンボールで願いを叶えるとき、ダメージを受けなくなるという候補は、ゲームが面白くならないのでしない」と言い、宇宙空間に耐えられないブロリーに攻撃されても惑星を破壊すれば自分だけは生き残れるにもかかわらず、あえてせずに戦いを明らかに楽しんでいます。悟空もブロリーとの戦いを楽しんでいます。
徐々に「ゲームを楽しむ」ようになり、それを悟空と共有し始めています。「地球の神」がピッコロについて「悪には違いないが、かつてのような残忍さが薄れている」と話したようにです。
悟空とフリーザは、どちらも相手に善意を持たない状態から「気持ちが分かる」という推測を重ねるうちに、徐々に意見を一致させつつあるのです。
なお、フリーザの話す「ゲーム」とは、おそらく「攻撃で防げる攻撃を仕掛け合う」ことです。かつて悟空にフリーザが切断のエネルギーの円盤を投げつけたのを、悟空が「つまらん技」と言ったのは、「攻撃で防げない攻撃」であるためだと考えられます。これはカオス理論を『ドラゴンボール』で検証するときに話した、「積み上げた強さを台無しにする攻撃」なのです。
悟空とフリーザが戦うときも、眼の強度は鍛えようがありませんから、それを狙うのは「ゲームとしてはつまらない卑怯な攻撃」なのだと考えられます。「ダメージを受けなくなる」もそうでしょう。
「気持ち」は「気」の「持ち」である
そして、「気持ち」という用語は、「気」と「持ち」に分解して、さらに検証することが出来ます。「その気持ちはどうにもならない。捨てられない」という意味でです。
「持ち」とは、「水持ち」、「腹持ち」など、長い間変わらずに持続することを指すようです。
つまり、私の挙げたカオス理論における「気持ち」とは、「気」という未来の行動を分岐させる数式において、長時間維持される「持ち」、すなわち「分岐の法則」、それ自体は長く維持される「変化を支えるが、変化しにくいもの」ということなのでしょう。
私はカントの「空気がなければもっと飛べるのに、と考える鳩のような」という言葉から、自由には不自由の支えが必要だと考えています。
つまり、「気持ち」とは、一見「自由」に動くように見える「気」の分岐を支える「持ち」という「不自由」な法則なのでしょう。
自由とは、自分で何かを考える選択肢の多さだと定義すれば、自分で自分のことを考える選択肢を逆説的に絞ってしまうため、不自由に支えられます。
つまり、「この気持ちをどうにも出来ない」というのは、周りの人間には操れないという意味での自由と、自分にも捨てることは出来ない不自由を併せ持つのです。
また、『エヴァ』漫画版の終盤では、「少しだけなら気持ちを通わせることが出来るんじゃないかな」とシンジが話していますが、アニメ映画版のそれに該当する場面では、「人の気持ち」とは別の観点ですが、「当たり前のことに何度も気付く」とシンジは話しています。
「気持ち」に関しても、「相手にとっては当たり前のことに気付く」のを「分かる」とも言えます。
カオス理論の「不確定」と「確定」
ここで、カオス理論にも「予測を超える」自由なところに、逆説的に「予測出来る」不自由さがあることを挙げます。
まず、カオス理論はコンピューターや数式では四捨五入や切り捨てで無視されるようなわずかな最初のずれが、結果のずれとして拡大する可能性があります。
また、ロジスティック写像の場合は、2種類の過去から全く同じ現在になる可能性はあります。
しかし、確実に言えるのは、「全く同じ現在からは全く同じ未来が起きる」ことは保証されていることです。
カオス理論はランダムではなく、現在から未来に、決まった法則に基づいて計算されているのです。「変幻自在」に見えても、原因が結果を決める意味では軸があります。
ただし、ロジスティック写像の場合は、x(n+1)=ax(n)(1-x(n))に、x(0)=b,1-bを代入するとx(1)は同じab(1-b)になり、異なる過去から同じ現在になることはあります。

しかしこれが、『ドラゴンボール』ではタイムトラベルに関する責任感を増大させます。未来からトランクスが人造人間の存在を警告しに来ただけで、フリーザの地球に来るタイミング、現れる人造人間の顔ぶれ、悟空の心臓病のタイミングなどが大幅に変化してしまいました。それはのちに大きく歴史に影響しています。これはカオスと言えますが、さらに「歴史を一切変えなければ、一切変えずに済んだ」ことも確実でした。
ところが、トランクス以外にもさらに別の未来からセルが来ていたことから、歴史はさらに複雑に変化しており、トランクスだけの罪とも言えません。トランクスのタイムトラベルを批判したザマスも、並行世界を生み出した可能性があります。
スピンオフ『転生したらヤムチャだった件』で、『ドラゴンボール超』までの「破壊神ビルス」、「並行世界」などの知識を物語として部分的に持つらしいファンが『ドラゴンボール』のヤムチャに転生したときに、「ここで歴史に忠実に生きて死ぬのは嫌だ」、「元の歴史は並行世界だと割り切れば良い」と、積極的に身を守ろうと展開を変えています。
また、自分以外の転生した人間にも、「生き残るためなら、作品の知識を使って展開を変えるのはまだ良いさ」と言っています。
これは、並行世界という概念が、おそらく2回以上分岐したため、「自分だけが世界の歴史をひどく混乱させるわけではない」と、混乱にさらなる混乱が追加したことでむしろ安心しているのです。
つまり、カオス理論で示される世界の歴史を変える罪悪感は「自分だけが世界を変えられる」、「他の誰も変えられない」という「出来る」、「出来ない」の両者に支えられているのです。「自分だけの自由な領域」がもたらす責任感なのです。
『エヴァ』テレビアニメ版では、「自分の気持ちだって分かるか怪しい」と加持が話していますが、周りにとって不確定で自分のみにとって確定する「気持ち」もあると私は考えます。
まとめ
「気持ち」を過去や未来の行動と定義して当てはめるならば、「未来の行動の分岐点に関わることで、わずかな影響が結果を大きく変える危険性がある」という「不確定な」繊細さは、「未来の行動が決まった分岐点を持つ」という法則の確定した部分で支えられるとも言えます。
それが不安定な「気」を支える法則を安定させて「持つ」概念の分岐点を「分かる」ということなのでしょう。
過去や未来の行動を左右する「気」の繊細な分岐点を「分かる」ことと、それを支える堅固な法則である「持ち」を「分かる」ことが、「気持ちを分かる」ことに必要なのだと、ここでは結論付けました。
参考にした物語
漫画
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
和月伸宏,1994-1999(出版社),『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』,集英社(出版)
村上もとか,2001-2010(発行期間),『JIN-仁-』,集英社(出版社)
カラー(原作),貞本義行(漫画),1995-2014(発行期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,角川書店(出版社)
原作/鳥山明,漫画/ドラゴン画廊・リー,2017,『ドラゴンボール外伝 転生したらヤムチャだった件』
アニメ映画
長峯達也(監督),鳥山明(原作・脚本),2018年12月14日(公開日),『ドラゴンボール超 ブロリー』,東映(配給)
庵野秀明(総監督・脚本), GAINAX(原作),1997,『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』,東映(配給)
テレビアニメ
大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
庵野秀明(監督),薩川昭夫ほか(脚本),GAINAX(原作),1995-1996(放映期間),『新世紀エヴァンゲリオン』,テレビ東京系列(放映局)
特撮テレビドラマ
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2014 (放映期間),『ウルトラマンギンガS』,テレビ東京系列(放映局)
特撮オリジナルビデオ
會川昇ほか(原案),鈴木清(プロデューサー),テリー・ラーセン(脚本),アンドリュー・プラウズ(監督),1990,『ウルトラマンG(グレート)』,バンダイビジュアル
ネットオリジナル特撮
https://www.youtube.com/watch?v=GeDbbd_aaxc
『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』
2022年4月30日閲覧
特撮映画
小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),2004,『ULTRAMAN』,松竹(配給)
テレビドラマ
橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完,『相棒』,テレビ朝日系列(放送))
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2009,『JIN-仁-』,TBS系列(放映局)
村上もとか(原作),石丸彰彦ほか(プロデュース),森下佳子(脚本),2011, 『JIN-仁- 完結編』,TBS系列(放映局)
参考文献
山口昌哉,1986,『カオスとフラクタル』,講談社ブルーバックス
丹波敏雄,1999,『数学は世界を解明できるか:カオスと予定調和』,中公新書
米沢富美子,1995,『複雑さを科学する』,岩波書店
森肇,1995,『カオス 流転する自然』,岩波書店
著者/J.ブリッグス+F.D.ピート,訳者/高安美佐子+山岸美枝子,2000,『バタフライパワー-カオスは創造性の源だ―』,ダイヤモンド社

