100点の母になろうとして燃え尽きた日々が教えてくれた、“ちょうどいい母”の形
こんにちは、ちょうどいい研究家のみほです。
今日は、私が経験した「100点の母を目指して燃え尽きた日々」と、そこから見つけた“ちょうどいい母”の形について書きます。
完璧を目指した新米ママ時代
子どもの頃、私は満たされなかった気持ちや不満を抱えていました。
「アダルトチルドレン」「愛着障害」という言葉に、
「これは私のことだ」と思っていたくらい。
「自分は絶対に親みたいな子育てはしない」
そう心に決め、
親を反面教師にして、理想の母を目指す挑戦が始まりました。
その頃の私は、
ご飯は必ず手作り、バランスの取れたもの
毎日外出、体験を積極的に取り入れた規則正しい生活
「ママがいい」と言われたら手を止めて即座に対応
テレビや外食は「甘え」と思い、自分を責める
必死で「子育ての正解」を実践していました。

イヤイヤ期のスーパーでの出来事も、声を荒げず対応―。
でも結果は、イライラと自己嫌悪の連続。
子どもとの関係も、決して良好とは言えませんでした。
限界に気づいた瞬間
限界を迎えては爆発し、当たり散らしてしまう。
これは、私が子どもの時の母と同じでした。
母と真逆の道を目指していたはずなのに、いつの間にか母と同じ道を歩んでいた。
子ども達は、いつ豹変するかわからない母にビクビク…。
今振り返ると、私の頑張りは完全な自己犠牲でした。
できないことが積み重なり、心も体も限界に。
その時やっと、「私は、理想の母にはなれない」と気づきました。

振り返ると、親も完璧じゃなかった。
「自分も完璧になんてできないのに、親に完璧を求めていた」と気づいた瞬間、少し恥ずかしくなりました。
“ちょうどいい母”との出会い
私には、何度も燃え尽きてきた過去があります。
自分の生きづらさを、親のせいだと信じていた時もある。
だけど、自分が親になってみて、気づきました。
子どもの生きづらさを、親がすべて取り除くことはできない。
防ぐことはできないって。
でも、失敗しても安心して戻ってこられる場所を作ることはできる。
そう気づいた私は、100点の母ではなく、「ちょうどいい母」を選ぶことにしました。

今の私と子ども
今の私は、暮らしと子育てに中庸=“ちょうどいい”を取り入れています。
ご飯を作らない日があってもいい
外食やテレビで済ませても「今日はこれでいい」と思える
疲れている日は「ちょっとしか遊べない」と正直に伝える
イライラして当たってしまったら、必ず謝る
変化も感じています。
子どもも「しばらくすれば穏やかなママに戻る」と受け止めてくれている
きょうだい同士で遊ぶようになり、ママが休んでも関係が育つ
ご飯は買ってきたものでも食卓が笑顔になる
無駄に怒ることが減り家の雰囲気が穏やかに
ちょうどいい母は、安心の母
私にとって、「ちょうどいい母」とは、子どもにとって安心できる母でした。
完璧を目指すのではなく、自分も子どもも穏やかに過ごせる選択をすること。
燃え尽きた日々が、今の“ちょうどいい”に気づかせてくれました。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
普段は、日常の子育てや暮らしの中で見つけた“ちょうどいい”を綴っています。
私もまだ、自分の“ちょうどいい”を探している途中です。
私の揺れる日々の記録が、あなたの心を、少しでも軽くできますように。
また読みに来てもらえたら嬉しいです🪴
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