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夫に頼れないとき、私が見つけた“ちょうどいい”

ちょうどいい研究家、みほです。

“ちょうどいい”を選ぶと、自分も周りもしあわせにできる。
そんな気づきから、「中庸」を日常に取り入れた記録を綴っています。


体調が悪い時、頼れないもどかしさ

生理が重いわたし。
この時期は、いつもやっている家事がとてもきつくなります。

ごはんづくり。
子どもの遊び相手。
洗濯干し。
皿洗い。

夫に頼んでも、夕方まで放置。
何度伝えても洗濯物はしわしわ、乾燥機NGの服まで一緒に回してしまう。
食洗機の使い方も、皿の入れる向きも違う。
子どもを連れ出しても、行き先はゲーセンや外食…お金がかかることばかり。

それなら、自分でやったほうが楽。
そう思ってしまうんです。

じゃあ、この時期の「ちょうどいい」ってなんだろう?


「頼る」の理想が高すぎた過去のわたし

昔の私は、「頼る=自分の身代わりになってもらうこと」だと思っていました。

もう一人の自分を召喚するみたいに。
お金を払ってお願いするときは、なおさら。

だから、理想どおりにいかないとイライラする。
「自分でやった方が早い」と抱え込む。

でも結局、自分ひとりでも完璧になんてできませんでした。


家事も子育ても、理想はキリがない

子育ても、家事も。
丁寧にやろうとするとキリがなくて。

自然体験も、運動も、学びも、親子の時間も、食事のバランスも、節約も、睡眠も、部屋のきれいさも…

人の暮らしと比べて、理想ばかりが膨らんでいくんです。

「祖父母に甘えられる人はいいな」ってうらやましくなることもあるけれど、我が家は現実的に無理。


思いきって理想を下げてみる

だったら、理想に追いつこうとするより、理想を下げるほうが楽

  • ごはん → 1日くらい出前や外食でもOK

  • 洗濯 → ハンガーにかけるだけでいい

  • 子どもの遊び → お金がかかっても、自分が休めるならそれで価値がある


理想を追うより、“ちょうどいい”を選ぶ

先日見たYouTubeのR25で、実業家の岸谷蘭丸さんがこう話していました。

「みんな理想に追いつけなくて、現状に満足できない。
これだけ清潔で安全な国に住んでいるのに幸せを感じられないのは、
理想が上がりすぎているという現代病」

SNSやニュースで紹介される「ホワイト企業の共働き夫婦」が、まるで標準モデルみたいに思える。

でも、現実はそうじゃないんですよね。


“ちょうどいい”は「ちょっと助かればいい」

だから、選べるのは二つだけなんです。

理想に追いつくか。
理想を下げるか。

私は、理想を下げたほうが楽でした。

「0か100かじゃなくて、ちょっと助かればいい」
そう思えたときに、ようやく“ちょうどいい”にたどりつけたんです。

完璧主義だった私にとって、この気づきがいちばんの“ちょうどいい”でした。


プロフィール

✍️ ちょうどいい研究家・みほ
日常の子育てや暮らしの中で見つけた“ちょうどいい”を綴っています。

“ちょうどいい”を選ぶと、自分も周りもしあわせにできる。
そんな気づきから、論語の「中庸」をベースに、日々の気づきをnoteに書いています。

私もまだ、自分の“ちょうどいい”を探している途中です。
この揺れる日々の記録が、あなたの心を少しでも軽くできますように。
また読みにきてもらえたらうれしいです🪴

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