ヴォルフガング・オヴェラート(Wolfgang Overath):1.FCケルンのクラブ史上最高のレジェンド
ヴォルフガング・オヴェラート

Wolfgang Overath
生年月日:1943年 9月29日
出身:ジークブルク, ドイツ
身長:176cm 利き足:左足
主なポジション:8番(攻撃的ミッドフィルダー)
クラブ経歴:
1953-1962 ジークブルガーSV 04(ユース時代)
1963-1977 1.FCケルン
1966→1974

ドイツ史上最高のサッカー監督に数えられるヘルムート・シェーンは、才覚ある指導者であったのだろう。例えば、サッカードイツ代表が1966年に英国開催のW杯で決勝に進んだ際、彼は中盤に20代の2人の若き才能を軸に据えた。1人は20歳のフランツ・ベッケンバウアー。当時ブンデスリーガ1部に昇格したばかりのFCバイエルン・ミュンヘンで活躍した、将来のバロンドール受賞者だ。
そしてもう1人が、22歳のヴォルフガング・オヴェラート。強豪1.FCケルンの若きタレントである。同決勝でのドイツ代表は、ジェフ・ハーストの疑惑のハットトリックもあり、開催国のイングランド代表に2-4で敗れた。しかし、8年後の1974年7月7日、ミュンヘンで行われたW杯決勝でシェーンはドイツ代表を優勝に導いた。ベッケンバウアーとオヴェラートを再び先発させてである。
1.FCケルン史上最高のレジェンド

FCケルンのクラブ史上最高のレジェンドは誰か。ハンス・シェーファー、ハネス・レーア、ハインツ・フローエ、ディーター・ミュラー、ピエール・リトバルスキー、ルーカス・ポドルスキ etc。数々の名手の名前が候補に挙がるだろうが、やはり1番はヴォルフガング・オヴェラートだ。地元出身の左利きのプレーメイカーは、クラブの栄光の時代を牽引し、世界王者にまで輝いた天才だった。
オヴェラートの武器は左足のキック。後方から精度の高いロングパスを味方のウイングへ繰り出し、相手がプレスに出てくればドリブルで翻弄しつつスペースができたタイミングで縦パスを供給する。またゴール前にスペースが出来れば、ミドルレンジからのシュートで得点を狙う。ブンデスリーガでは、通算409試合に出場して83ゴールを記録。代表でも81試合で17ゴールを挙げた。
ヴォルフガング・オヴェラートの初期キャリア

オヴェラートは1943年9月29日、ジークブルクで8人兄弟の末っ子として生を受けた。1953年から1962年まで在籍したジークブルガーSV 04で頭角を現し、1959年にはミッテルライン地区(ライン川中流域サッカー協会)のナショナルスクールチーム(U-15チーム)の一員として、ロンドンのウェンブリー・スタジアムでプレーした(ちなみに同チームで監督を務めたのは、デットマール・クラマーである。)。
当時、アマチュアからプロへの移行には自動的に1年間の出場停止処分が伴っていたため、ジークブルガーから1. FCケルンに移籍する際、オヴェラートは1年間の出場停止処分を受けた。しかし1年後、1963年8月24日のブンデスリーガ開幕戦に出場した彼は、1. FCザールブリュッケンを相手にプロ初ゴールを決め、同時に新設されたドイツ・ブンデスリーガでFCケルンの選手として最初の得点者となった。
ヴォルフガング・オヴェラートのプロキャリア

オヴェラートのキャリアが輝かしいものだったのは、言及するまでもない。プロ1年目となった1963/64シーズンに9ゴール8アシストの活躍でチームの優勝に貢献。翌シーズンはSVヴェルダー・ブレーメンとの優勝争いに敗れリーグ2位に終わるも、1966年にはドイツ代表としてワールドカップ準優勝に貢献。1967/68シーズンにはVfLボーフムを4-1で破り、クラブ史上初のDFBポカール優勝を飾った。
1972/73シーズンにはバイエルンとの優勝争いに敗れ2位。しかし、1974年には念願のW杯優勝を果たした。そしてオヴェラートの最終シーズンとなった1976/77シーズン、ヘルタ・ベルリンとのDFBポカール決勝は再選の末に勝利を飾った。ブンデスリーガ、DFBポカール、W杯で優勝を成し遂げたFCケルンのワンクラブマン。オヴェラートは紛れもないFCケルンのレジェンドだ。
1.FCケルン会長時代(2004~2011)

選手としてもクラブを成功に導いたオヴェラートだったが、現役を引退してから17年を経た1994年、低迷したクラブを立て直すため、FCケルンの取締役会メンバーとして復帰を果たした。1986年にはUEFAカップ決勝に進出するなど数多くのスター選手を擁したFCケルンだったが、1992年を境に大きく低迷。1997/98シーズンには17位となり、2部への降格を経験する。
昇格と降格を繰り返すようになってしまったクラブの立て直しが図られるなかで、オヴェラートの会長就任を求める声が高まった。そして2004年、オヴェラートが会長に選出されることとなる。そこからの7シーズン、クラブは1度降格を経験するも、計4シーズンを1部で過ごし、2008/09シーズン以降は12位、13位、10位と安定して1部に定着し、ファンクラブの会員は就任当初から約2倍となった。
当時、クラブ戦略や財政状況の問題でオヴェラートが批判を受けたとされるが、お門違いなのは間違いない。そもそも、オヴェラートは実業家ではないのである。オヴェラートの功績は、クラブを立て直したこと以上に、自分がプレーしたクラブを見捨てず、矢面に立って復活の道を示したことだろう。選手として、そしてクラブの会長としてオヴェラートは疑いようのない「クラブ最高のレジェンド」となったのだ。
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