私のカエサル、カピトリーノの丘で愛を叫ぶ

夢
カルプルニアは夢を見た。
愛するカエサルが今、
彼女の腕の中で、息絶えた。
全身刺されている。
流れる血が広がって行く。
どこまでも――
見上げると、
ポンペイウス像があった。
眼が合う。
そこで目が覚めた。息が荒い。汗も流れた。紀元前44年3月15日、夜明け前の夢だった。窓の外は風雨が吹き荒れていた。雨戸が激しく揺れる。

稲妻
Ver Tempestas
(ヴェール・テンペスタース)
(春の嵐)
こんな夜が、
ローマには時々ある。
だがいつになく激しい。
――カエサル、私のカエサル!
ああ、まさか!
カルプルニアが寝台から降りて、パッラを纏った。するとそこに一羽の鴉がいた。じっとこちらを見ている。ぞっとした。なぜ寝室に鴉がいる?どこから入り込んだ?だが気が付いたら、鴉はいなくなっていた。一瞬目を離した隙にいなくなった。

羽たち
カルプルニアは恐怖して、カエサルの許に急いだ。果たして、まだカエサルは起きていた。いや、早く起きたのかもしれない。カルプルニアは開口一番、こう言った。
「ねぇ、あなた。
今日は元老院に行かないで」
「……どうしてそんな事を言うんだい?」
カエサルは書き物の手を止めて、
振り返った。机の蝋燭が燃えている。
「それは……」
カルプルニアは言いかけて、
口に出すのが恐ろしくなった。
「夢を見たのか」
カエサルは一瞬、目を細めた。
看破された。
カルプルニアは頷いた。
「どんな夢を見たのか、
話してくれないか?」
だがカルプルニアは、
涙が溢れて止まらない。
止まらない。
――お願いユピテル、
私のカエサルを連れ去らないで!
「怖がらないで。
明けない夜は決してない」
カエサルは瞑目して、
右手をカルプルニアの額に当てた。

ビジョン
彼女が見たビジョンをリーディングしている。タイム・バック・リーディングだ。時空は円環だから、レコードの針を置くように、自由に円環を行き来できる。
霊能者だ。カエサルは魂だけで、天と地を行き来できる。神霊と交わる事ができる。古くはソクラテス、そしてプラトンも持っていたデウスに連なる神秘の力だ。

巻き戻し
32歳のカルプルニアは、
初めてカエサルと出会った
17歳の生娘に戻っていた。

ローマ
紀元前59年、すなわち、ガイウス・ユリウス・カエサルとマルクス・カルプルニウス・ビブルスが、ローマの執政官であった年。だがカエサルが余りにも活躍したため、巷では、ユリウスとカエサルが、ローマの執政官であった年とも言われた。
前年である紀元前60年に、元老院に隠れて、カエサルとポンペイウスとクラッススによる第一回三頭政治の密約が成立しており、カエサルは、娘ユリアを、ポンペイウスに嫁がせたため、その見返りで、執政官になっている。
翌紀元前58年、カエサルはガリア遠征に出発し、カルプルニアの父ピソは、娘カルプルニアをカエサルに嫁がせたため、その見返りで、執政官になった。時代は、ローマ貴族の娘が政略結婚の駒として重用された時だった。

路地
「お父様のバカ!
誰がカエサルなんかと結婚するもんか!」
17歳のカルプルニアは、元老院議員である父ピソの手を振り払って、家を飛び出した。パッラさえ纏わず、平民の娘のようにローマの街を独り走る。だがいつしか道に迷い、暗い路地裏に迷い込んでしまった。たちまちガラの悪い男たちに捕まった。
――お願いユピテル!私を助けて!
明日のおやつを捧げます!
カルプルニアがそう願うと、たまたま通りかかったハゲの元老院議員が助けた。fascis(ファスキス)、束桿(そっかん)を持ったlictor(リクトル)、衛士が12人もいた。たちまち悪漢は逃げた。カルプルニアは目をぱちくりした。
「ありがとう。どこのどちら様?
父ピソに代わりまして、
お礼申し上げます」
「ああ、ピソ殿のご令嬢でしたか。
危ない処でしたね」
ハゲの元老院議員は
ニコやかに近づいてきた。
恐ろしく明るい眼差しをしている。
「私を知っているの?お父様の知り合い?」
カルプルニアが尋ねると、
ハゲの元老院議員は人差し指を天に向けた。
「今年の執政官は?」
「知っているわ。
ユリウスとカエサルでしょう?」
「エグザクトマン、
私はユリウス。コンスルだ」
衛士たちは笑いを堪えて背を向けた。
カルプルニアは
不思議そうに小首を傾げた。
「こんなところにいても良くない。
家まで送りましょう」
「ああ、それはちょっと……」
カルプルニアが言い淀むと、
ユリウスは気を利かせた。
「何かご事情がありそうですね。
もしよければ、お聞かせ願いませんか?」
カルプルニアは鳥のように、
口を尖らせて、不満を言った。
「お父様は、あなたのご同僚である
カエサルと結婚しろと言うのよ!」
「ほぉ、カエサル殿と。
参考までに何が問題か、
教えてくれませんか?」
ユリウスは神妙な顔をして尋ねた。
禿頭が光る。
するとカルプルニアは叫んだ。
「だってハゲなのよ!ハゲ!
在り得ないわ!カッコ悪!」
ユリウスは思わずよろめいた。
致命傷だ。立ち上がれない。
「あ!ごめんなさい!
ユリウスの事を言ったんじゃないの!」
カルプルニアが慌てて取りなすと、
衛士たちが必死に笑いを堪えていた。
「いや、それは重要なご指摘、
痛み入る。至急、対策を考えよう」
「何かハゲ対策があるの?」
「スッラのように、終身独裁官になって、
月桂冠を被ればいい」
カルプルニアはちょっと寒気を感じた。
このユリウスという男は只者じゃない。
「でも、他にも問題はあるわ」
「伺いましょう。マドモアゼル」
「カエサルは究極の寝取り男で、
人妻ばかり奪うと聞くわ。不倫よ」
「……カエサル殿に
よく伝えておきましょう。
醜聞だと」
堪え切れなくなった衛士たちが
爆笑していた。
だがカルプルニアは深刻だった。
「私が貴族の娘で、結婚相手がコンスルだとしても、ハゲで不倫男なんて嫌よ。いっその事、平民の娘に生まれて、好きな人と結婚したかった。なぜ貴族の娘に生まれてしまったの?ああ、私に自由はない。家を守る事、血統を繋ぐ事だけ求められる」
ユリウスは極めて真剣に、
カルプルニアの話を聞いていた。
「ハゲで不倫癖というのは
譲れないとしても、要は好きな人と
結婚できればよいと?」
「え?何でハゲで不倫癖は
譲れないのよ?」
カルプルニアが尋ねると、
ユリウスは朝の鳥のように
高らかに囀った。
「……それはカエサル殿の
秘密に係わる事ですから」
「あ、そ」
カルプルニアは最早、
関心を失ったかに見えた。
「カエサル殿の不治の病については、致し方ないとしても、私からカエサル殿にはよく言っておきましょう。新婦を泣かせてはいけない。常に笑わせないと」
「え?何で不治の病扱いなのよ?」
「医神アスクレピオスにも癒せない故」
「祈る神様を間違えていない?
ハゲと不倫は医神の担当範囲外だと思うわ」
だがユリウスは神妙に頷くだけだった。
カルプルニアは嘆息した。
「それでユリウスからカエサルに、どう新婦を悲しませず、常に笑わせてくれるように言うの?まさかユリウスとカエサルで漫才をやるつもりじゃないでしょうね?」
ユリウスは思わず、
「アッハッハッハ!」と大声で笑った。
「何が可笑しいのよ?」
「……いやはや、
そうくるとは思わなかった。
これは傑作だ」
ユリウスはそう言うと、
すたすたと歩き始めた。
「え?どこに行くの?」
「カピトリーノの丘さ」
カルプルニアは止む無くついて行く。
ユリウスは尋ねた。
「なぜ男が他の女と寝るのが嫌なのか?」
「そんなの嫌に決まっているじゃない。
離婚して、別の人と結婚するわ」
「何度も結婚するのは
大変じゃないか?」
「大変よ。
それでおかしくなる女の人も出て来る」
「では最初で最後の結婚がよいと?」
「希望はね。
でも中々そうはいかない」
暗にローマの男たちが、
よく死ぬ事が滲んでいた。
「カエサル殿には約束してもらおう。カルプルニア嬢とのご結婚を最後にして、もうこれ以上の結婚はしないと。不治の病については善処するので、見逃してもらおう」
カルプルニアは不思議そうに、
ユリウスの横顔を見上げた。
「ほら、カピトリーノの丘に着いた」
ユリウスがそう言うと、衛士たちが束桿を捧げて二列に並んだ。カルプルニアが見ていると、神殿に昇って行くコンスルが、振り返って言った。
「私が執政官、
ガイウス・ユリウス・カエサルだ。
新婦よ、神前に誓いに行こう」
見ると父ピソまでいる。
そこで初めて、
カルプルニアは全てに気が付いた。
「あなた!私を騙したわね!」
「騙していないさ。
今年の執政官はユリウスとカエサルだ」
カエサルがそう言って笑うと、
カルプルニアもつられて微笑みが零れた。
「神前で誓うなら、
私の愛は二度と返さないわよ。
覚悟しなさい!」
これが、私のカエサル、
カピトリーノの丘で愛を叫ぶだ。

庭
17歳のカルプルニアは、
32歳のカルプルニアを通過して、
自分の墓碑銘を見た。
「彼女は偉大なる神、カエサルの妻であった」
いや、ゲラースの神、お笑いの神だ。
カルプルニアの青春は笑顔に満ちていた。
タイム・バック・リーディングは終わった。
カエサルはもう時空の彼方にいる。

カエサル ミ イン カピトーリオ モンテ アモレム メウム クラマーボ
私のカエサル、カピトリーノの丘で愛を叫ぶ
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺068
ギリシャ・ローマ編 政治家編 5/5
ユリウス・カエサルと女たち 五本の花編 4/5
