お願いユピテル、私のパパを止めて!

薔薇の門
ある日、
ガイウス・ユリウス・カエサルは言った。
「悪いがユリア、
ポンペイウスと結婚してくれ」
私はパパに「え?」と振り返って言った。
「こないだ決めた私の婚約は?」
「それはたった今、なしになった」
軽!ま、別にそれはいいけど、
「アレ?」何か引っ掛かった。
「確か奥さんいなかったっけ?」
グナエウス・ポンペイウスは既婚者だ。
奥さんがいる。
「じゃあ、ちょっと、
ポンペイウスの奥さん、寝取ってくる」
パパはそう言って、館から出て行った。
ポツンと独り残される。
――今何て言った?寝取る?不倫?
よく意味が分からない。頭が混乱した。
まぁ、いいや、
気にしないと思ったけど、
あっという間に、私は、
ポンペイウスと結婚する事になった。
政略結婚だ。まぁ、それはいい。
いや、良くはないけど。
それよりも驚いたのは、
パパも再婚すると言う。
ダブル結婚だ。
父が再婚し、娘も同時に嫁ぐ。
意味が分からない。
それにしても、
パパの再婚相手には呆れた。
私より一歳年下だと言う。
「私、カルプルニア。
よろしくね?」
ローマ貴族の娘で、
17歳で結婚というのは普通だ。
私も18歳で、
ポンペイウスに嫁いだ。
うんうん。

薔薇のブーケ
だがカエサル家では、
私の継母であるカルプルニアは17歳で、
実娘であるユリア、つまり私が18歳で、
母より年上の娘がいる事になる。
ややこしい。頭がこんがらがる。
性の乱れ?
「まぁ、細かい事
気にしたってしょうがないよ。
カエサルだから」
カルプルニアは、コロコロと笑った。
「あ、うん。そうだね」
楽天的な妹を持った気分だ。
継母だけどね。でもホント大丈夫?

薔薇の庭
かくして私はポンペイウスの家に入り、
カルプルニアがカエサルの家に入った。
何だか玉突きゲームみたいだ。
アレ?もしかして、私が押し出された?
ポンペイウスと取引があったみたいで、
私は交渉材料だったみたい。
パパは執政官になった。
よくある話だけど、
猫の子じゃあるまいし、
人の家でそうそう懐けるものでもない。
う~ん。20歳差か。
この結婚、上手く行くのかな?
と思っていたら、
ポンペイウスは優しかったし、
案外上手く行った。
パパがポンペイウスと私の間を
取り持ったのもあるけれど、
あの人は戦いに倦んでいて、
真っ当な結婚生活を望んでいた。
戦士の休息だ。英雄の凱歌だ。
私たちは本当に幸せだった。
ローマ中の人々に祝福され、
ポンペイウス劇場も落慶した。
運命のポンペイウス像も立てられた。
紀元前45年3月15日夕刻の舞台だ。

薔薇園の椅子
パパは相変わらず忙しい。
戦争に出かけている。ガリアだ。
「パパと上手く行っている?」
私とカルプルニアは、館の前庭にいた。
「……いや、ずっとガリアに出かけているから」
謎の結婚だった。
カエサルは8年間、帰って来なかった。
「でも手紙とか来るんでしょう?」
「……しょっちゅう来るね。かなりマメよ」
カルプルニアはそう答えたが、
パパは密かに、時々、
ローマに帰って来ているのではないか
と思っていた。
無論、代理の者もいるが、
本人でないとできない事もある。
「またどこかで夜な夜な
人妻を寝取っているかも……」
「……またまた、お冗談を」
私たちはポサカを飲んでいる。
水で薄めたワインに蜂蜜を垂らして飲む。
「いや、パパならやりかねない」
カエサルの政治力は人脈だ。
だが単なる人脈ネットワークではない。
このネットワークのスイッチ、
基点には女たちがいる。
愛人だ。男たちは端末に過ぎず、
女たち経由で、
コマンドを入力されている。
ポンペイウスもユリア経由で、
カエサルにコントロールされていた。
旦那を射んとせば先ず女房を射よ。
不倫の達人カエサルの言葉だ。(ウソ)
「……それなら、それでもいいよ」
カルプルニアは、
ちょっと変わった女だった。
あまり悩まず、
よくビジョンとか見ているらしい。
未来視だ。巫女さん体質で、
ウェスタの巫女とか、
向いているかも知れない。
「あ、来たね」
私たちは立ち上がると、
妙齢の女性を迎え入れた。
セルウィリアだ。
三女ユリア・テルティアを連れて来た。
まだ10歳だ。18年後、
彼女がカエサル最後の愛人となり、
ティベリウス帝の時代を経て、
後世にカエサルの伝説を伝える。
暗殺の3年前、カエサル53歳、
ユリア・テルティア28歳、
紀元前47年の話だ。
通常なら、
在り得ない組み合わせだが、
カエサルの妻と娘と愛人が同席した。
「今日はユリアに
大切なお話があって来ました」
セルウィリアがそう切り出すと、
私とカルプルニアは畏まった。
ちょっとこの人には頭が上がらない。
ローマの政界を裏から影響を与えている。
全部パパの指示だ。
パパの愛人で、
クレオパトラとセルウィリアは二強だろう。
政治力がある。
私とカルプルニアも、
ユリウス・カエサルの女たち
のカウントに入るけど、
チアガールだ。
巫女さん体質で、
いつもお祈りして、
パパを応援している。
それだけの女だ。
時々未来が見えるけど。
「堕ろしなさい」
思わず、私は身を固くした。
そう、私は妊娠している。
「その子はあなたの命をも奪う」
セルウィリアは悲し気に言った。
なぜそんな事を知っているのか?
「……あ、確かにヤバイかも」
カルプルニアも言った。
遠い眼をしている。
ビジョンが見えている?
「でもあの人の子よ。
これ以上のかすがいはない」
私のお腹にいるのは、
ポンペイウスの子だ。
勇者の子だ。
「それは分かっています。
でもあなたが死んでは元も子もない」
セルウィリアは熱意なく言った。
止める気があまり感じられない。
「私は産むわ。あの人の子を」
母親としての宣言だ。
誰にも覆させやしない。
「……私は応援するよ。ユリア」
カルプルニアがそう言うと、
セルウィリアは俯いた。
「私は止めましたからね」
そう言って立ち去って行った。
ユリア・テルティアの不敵な笑みを残して。
「……何あの子、嫌な感じ」
カルプルニアは、
い~っと嫌な顔をしていた。
変顔だ。

ピンクの薔薇
紀元前55年春、私のお腹は大きくなり、生まれる日も近づいてきた。だがその年の選挙で騒乱があった。ローマは混乱に陥り、ポンペイウスがクリエンテスたちを率いて、暴徒鎮圧に当たった。かなり荒っぽいやりかただった。帰宅したポンペイウスは返り血を浴びていた。
私はその姿を見て一瞬、何かを垣間見た。小舟の上だ。死のビジョンだったかもしれない。私は悲鳴を上げて倒れた。ポンペイウスが慌てて、私を支える。だがお腹の子に障ったようだ。私が見た死のイメージが伝わって、流産した。最初の子は流れて、天に帰ってしまった。
だが私は死ななかった。お腹の子が、死を引き取ってくれたのかもしれない。私は独り、涙した。ああ、勇者の子。何て健気で、優しい子。あなたが生まれてくれば、世はどう変わった事か。嘆いても仕方ない。仕方ないが、勇者の資質を持った子だったかもしれないのだ。

赤い薔薇
紀元前54年冬、
私は二人目の子を産もうとしていた。
ポンペイウスも駆けつける。
「がんばれ、ユリア、死ぬんじゃないぞ」
私は力なく微笑んだ。
近くには、カルプルニアもいる。
助産婦の真似事だ。
「何とか産むけど、私がもたないかも……」
「何を言っているんだ!生きろ!」
ポンペイウスは怒鳴った。
カルプルニアが止める。
「ちょっと怒鳴らないで!あっち行って!」
珍しくカルプルニアが怒っている。
私は力なく微笑んだ。
それから数刻後、女の子が生まれた。
だが容体が優れない。
意識が朦朧としてきた。
最期の言葉を伝えないといけない。
「ユリア!しっかりしろ!」
またポンペイウスが戻って来て、
怒鳴った。
「……だから大声を出さないで」
カルプルニアが追い出そうとするが、
私が制止した。
「大切な話があるの。聞いて」
その言葉の重さに、場は静まり返った。
「私が死んだら、ローマは内戦に陥る」
ハッキリとその世界が見えていた。
大勢の人が死ぬ。
ポンペイウスは黙っている。
だが考えはあるようだ。
「ユリア、お前の考えを教えてくれ」
稀代の戦略家、
ポンペイウスとしての言葉だった。
「カエサル最強の軍団は第十軍団ではない」
ユリアの声は、どこか遠かった。
異質な感じがする。
「カエサルには、
女たちの軍団がいて、
それが最強の軍団」
ポンペイウスは黙って聞いている。
「この軍団は、カエサルを守る女たちが作る運命の輪。愛の結界。愛と祈りの力で、地上に生まれた偉大なお方を守る巫女たちの集団。愛の結界を展開して、いかなる外敵からも守る。ただし一つだけ例外があって、身内の裏切りだけはどうしても防げない」
「身内?それは誰だ?」
「……カエサルの近くにいる者としか言えない」
ポンペイウスは沈黙した。
カエサルと戦う未来を予感したか。
私はそこで正気に返った。
自分は一体何を言っているのだろう。
ああ、恐ろしい。
だがもう死は真近に迫っている。
視界が昏くなってきた。
もうすぐ意識が水底に吸い込まれる。
「お願いユピテル、私のパパを止めて」
それは切実な願いだった。
父と夫が争うローマ内戦なんて見たくない。

バラの籠
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺069
ギリシャ・ローマ編 政治家編 5/5
ユリウス・カエサルと女たち 五本の花編 5/5
