"激闘!!大富豪長期大戦"ーーー「人生」という名のゲームでは、「運命」によってカードが配られる。
人生とか、運命とか、そういう大層なワードがぼくは好きだ。それも、かの有名な週刊少年ジャンプ大人気作品『ジョジョの奇妙な冒険』好きのぼくからすると好きなんかではおさまらない。超好きだ。
これらは、壮大で暑苦しさをまとっているように聞こえる一方で、ぼくたちの日常の一つ一つの行動や感情など、小さな生活の論理へと収束していく点で、たいへん不思議な言葉だと感じる。
(記事タイトルは、同じく週刊少年ジャンプの最高傑作とも名高い『NARUTO -ナルト-』のゲームタイトルから拝借した。)
運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。
これは、ドイツの哲学者・ショーペンハウアーの言葉だ。何をきっかけにこれを見かけたのかは定かではないが、なぜ覚えていたかは明確である。
ぼくは、「名言メモ」という名のメモを、スマホを所持した中学3年生から今の今まで、長らくつけているのだ。そしてぼくは、高校時代の愚行である「大富豪」というトランプゲームによって、この言葉とともに、人生というゲームについて考えはじめることとなる。
今日はそんな話をしたい。
(男子高校生ってアホなんだな~くらいの温度感でお読みいただけるとありがたい。)
"激闘!!大富豪長期大戦"
「大富豪」というトランプゲームをご存じだろうか。地域によっては「大貧民」とも呼ぶらしい。めちゃくちゃ有名なのでたぶん耳にしたことのない人はいないだろう。
念のため、知っている人も知らない人にもかんたんにルールを説明すると、トランプ52枚+ジョーカーを参加者全員に配り、カードを出し切った人間が勝利するというゲームである。カードの強さや、組み合わせ、革命など、細かなルールはいろいろあるのだけれど、今回は省略する。気になる方はぜひお友だちと一緒にやってみてほしい。ババ抜きとポーカーが混ざったようなゲームである。
そして突然だが、ぼくのことは
「大富豪マスター」と呼んでいただきたい。
というのも、ぼくは高校生時代、全国区にも手が伸びるような強豪部活動に所属していたものの、あろうことか、週の唯一のオフである月曜日を、毎週のように大富豪に費やしていたのである。これは高校時代の唯一の青春のひとときをムダにしたといっても過言ではない。
つい昨日まで同じように走り込みをこなし死にそうになっていた友人達と、至福のオフの日の放課後、完全下校のチャイムまで教室で大富豪をしたのち、マクドナルドに寄って延長戦を実施。その後、駅前の中華料理屋でアディショナルタイムをたたかい抜くという"奇行"に青春をささげたのだ。
いまもその友人たちとは、居酒屋や新幹線などで一緒に大富豪をする。ぼくたちの青春はまだまだ終わらない。
(↑ 最近は「インサイダーゲーム」というこれまた怪しいゲームにハマっている。奇人のみなさんにはこちらもおすすめだ。)
人生のスタート地点は、「運命」に決められている。
大富豪/大貧民のもっとも特異な点として、「階級」というものがある。
たとえば5人でゲームを実施すると、いちばん早くカードを出し切った人間から順に「大富豪 → 富豪 → 平民 → 貧民 → 大貧民」といった具合に階級が定まっていく。次回戦以降は、その階級にそってカード交換がおこなわれるため、開始時点で階級が高い人間ほど有利な状態でゲームが開始するという、階級社会の残酷さをしっかり取り入れた現実的で冷酷なゲームがこの大富豪なのである。
ぼくたちがやっていた"激闘!!大富豪長期大戦"では、その名の通り、長期戦である。一定の期間、たとえば「3カ月」と決めたら、そこまでのポイントを正の字で記録していき、最終的にもっとも残念だった人間の負けとなる。(想像のとおり、3カ月とかのスパンでずっと続けていた。あほである。)
この、"激闘!!大富豪長期大戦"を3シーズンにわたり経験したぼくは、リアルな現代社会に共通している部分がたくさんあるなと感じている。(おそい。)
勉強ができて、良い大学に入り、高収入な世帯の子どもほど、同じような階級になる可能性が高い。収入というパラメーターにかぎらず、たとえば"顔の造形"(≒かっこいいかわいい)、たとえば"運動神経"(≒スポーツの才能)、たとえば"身長"(≒父親と母親の平均に、男子なら+13cm、女子なら-13cmという噂)、たとえば"居住地"(≒生きやすさ)など、ぼくたちの目に見えやすいパラメーターのほとんどが生まれる前に決まっているとよく言われている。じっさいに、「親ガチャ」のようなワードが流行したことも記憶にあたらしい。
そう、
ぼくたちの人生は「大富豪」と同様に、
「運命」によって手札が決められているのだ。
人生の進め方は、ぼくたちにゆだねられている。
ぼくたちの人生は、「運命」によってスタート地点が決められている。しかし、カードの切り方、すなわち、「人生の進め方」はぼくたち自身にゆだねられていると、ぼくは思う。
たとえ弱い手札でスタートしたゲームであっても、カードの出し方、組み合わせ、心理的なかけ引きをはじめとした戦略や戦術によって、勝負に勝つ方法も確率もじゅうぶんにあるのが人生だと、ぼくは思う。
(また、大貧民でスタートしたとしても、目の前の勝負に少しずつ勝っていけば次回から富豪や大富豪でスタートできるのと同様に、人生の経験値や手札が変わり、有利な状態で次ゲームのスタートを切れるようになる)
もちろん、人生はゲームとちがい、苦しみやつらさが付きまとう。でも、生まれた時点の手札を決められないこと、さまざまな課題に直面したその瞬間の手札を決められないことは、だれにも変えることができない。受け入れるしかないし、次の手札をよりよくするために、可能性に賭け、目の前の勝負一つ一つに入魂するしかないのだ。
また、これを短期決戦ではなく、長期大戦として捉えるとまた可能性がひろがる。どこで大富豪になればよいのか、大貧民になってはいけないのか、どこでヘマをしたら長期戦で負け、どうすれば悪い流れを断ち切ることができるのかなど、また異なる大局観的な物の見方が必要になる。これらのさまざまな不確定要因こそが「ゲームの楽しさ」であり「人生の醍醐味」ではないだろうか。
勝敗はあるようで、ない。
さいごにもう一つ。
"激闘!!大富豪長期大戦"では、各ゲームの勝敗も、長期大戦の勝敗も存在する。しかし、これはあくまでゲームであり、負けたからどうということはない。つまり、勝敗というのはあるようで、ないのである。
人生というゲームは勝たなくてもよい。
「人生の進め方」がぼくたちにゆだねられていると言ったが、ぼくたちは、人生という名のカーストゲームに「勝敗」という意味を見出さずに進めることもできるはずだ。「負けても楽しむ」ことだってできるはずなのだ。
そうやって「勝敗」以外に楽しさを見出せるようになると、「人生」そのものに楽しさを見出せるようになるのではないか。勝手に巻き込まれていく"人生のカーストゲーム"は、気づいた人から降りることができるのだ。
運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。
「運命がカードを混ぜる」
これは人生の確かな真実で、
「われわれが勝負する。」
これはぼくたちにゆだねられているのだ。
【おまけ】「平民」という生き方
"大富豪マスター"であるぼくとその仲間たちによる "激闘!!大富豪長期大戦" では、「平民」という階級がもっとも避けられている。
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