「寛解」という言葉が怖い―症状が落ち着いても残る機能障害―
私は双極性障害の治療のために、毎日薬を飲んでいる。
長い間、軽躁状態とうつ状態、時には混合状態を繰り返してきた。
眠れないまま動き続けたり、気持ちは元気なのに体がついてこなかったり。
反対に、何をする気力もなくなり、一日のほとんどを布団の中で過ごすこともあった。
そんな私も、今の薬を飲むようになってから、大きな躁やうつの波は少なくなった。
以前のように、気分の波にすべてを持っていかれることは減っている。
それだけを見れば、私は少しずつ良くなっているのだと思う。
けれど、最近ふと考えることがある。
今の私は、「寛解」しているのだろうか。
薬を飲んでいれば、気分は安定している
今は、薬をきちんと飲み、生活リズムを整え、無理をしないように過ごしている。
活動が続いたあとは予定を減らす。
疲れを感じたら横になる。
体調が悪い日は、できるだけ家事を簡単にする。
そうやって調整していれば、大きく崩れずに生活することができる。
けれど、少し無理が重なると、今でも寝込んでしまう。
外出や予定が続いたあとは、何日も体が重くなることがある。
家事と子育てをするだけで、一日の体力を使い切ってしまう日も多い。
気分が大きく落ち込んでいるわけではない。
強く高揚しているわけでもない。
それでも、健康な人と同じように活動できるわけではない。
継続して仕事をすることも、今の私には難しい。
今の安定は、何も気にせず生活した結果ではない。
薬を飲み、活動量を抑え、休息を確保しているから、大きく崩れずに暮らせている。
この言葉が、今の私にはいちばんしっくりくる。
「寛解」と聞くと、障害がなくなったように感じる
寛解とは、必ずしも病気が完全に治った状態を指すわけではないらしい。
薬を飲みながらでも、躁やうつの症状が落ち着いていれば、寛解と呼ばれることがある。
それを知って、なるほどと思った。
そして同時に、少し怖くなった。
私にとって「寛解」という言葉は、どこか「もう症状はありません」「普通に生活できます」という意味に聞こえてしまう。
けれど、私には今も疲れやすさがある。
無理をすれば寝込む。
睡眠が乱れることもある。
働くこともできていない。
躁やうつの大きな波は目立たなくなっても、生活上の機能障害は残っている。
それなのに「寛解」と言われたら、今も抱えている困難まで、なかったことになってしまうのではないか。
そんな不安がある。
主治医に聞くのが怖い
本当は、主治医に聞いてみたい。
「私は今、寛解しているのでしょうか」と。
けれど、怖くて聞けない。
私には障害年金という生活の支えがある。
次に診断書を書いてもらうとき、主治医が私の状態をどう評価するのか。
症状が落ち着いていることだけを見て、「もう障害は軽い」と判断されるのではないか。
そのことを考えると、不安になる。
私が自分から「寛解」という言葉を使わなければ、先生も寛解について考えないかもしれない。
そんなことまで考えてしまった。
もちろん、私がその言葉を口にするかどうかだけで、主治医の判断が決まるわけではない。
それは分かっている。
それでも、自分の生活を守るものが失われるかもしれないと思うと、簡単には口にできない。
私は、病気が良くなることを恐れているわけではない。
大きな波が減ったことは、素直に嬉しい。
以前のように、躁やうつに振り回される生活には戻りたくない。
私が怖いのは、良くなった部分だけを見られて、今も残っている苦しさまで軽く扱われてしまうことなのだと思う。
できていることの裏側にあるもの
私は家事をしている。
子どもの世話もしている。
買い物に行ったり、家族で出かけたりすることもある。
noteを書いたり、アプリを作ったり、推し活を楽しんだりもしている。
そこだけを切り取れば、元気に生活しているように見えるかもしれない。
たとえば、家族で出かけた日は、その場では楽しく過ごせる。
けれど、翌日は体が動かなくなって、最低限の家事だけをして横になっていることがある。
noteを書いたり、アプリを作ったりできた日も、ずっと元気に動けているわけではない。
少し作業をしたら休み、また少し進めて、疲れたら横になる。
そうやって細切れに動いているから、外から見るほど活動できているわけではない。
できていることには、いつも裏側がある。
外出した翌日は休む。
用事が続けば、家事を減らす。
昼間に横になりながら、必要なことだけをする。
家族に助けてもらう。
働いていないからこそ、その日の体調に合わせて予定を変えられる。
そうした調整があるから、今の生活が成り立っている。
何でもできるようになったわけではない。
できる範囲を狭くして、体調を崩さないように暮らしている。
症状が落ち着くことと、生活機能が戻ることは別
躁やうつの症状が落ち着くことと、生活する力が元に戻ることは、同じではない。
私は最近、そのことを初めてきちんと理解した気がする。
気分症状は落ち着いている。
けれど、機能障害は残っている。
この二つは、矛盾せずに同時に存在する。
だから、寛解しているかどうかだけで、私の困りごとをすべて説明することはできないのだと思う。
「寛解しているのに働けない」のではない。
大きな気分の波は治療によって抑えられているけれど、疲れやすさや活動の制限が残っている。
そして今は、その制限を守ることで、ようやく安定した暮らしを続けている。
いつか主治医に、この不安を話せる日は来るだろうか。
今はまだ、「私は寛解していますか」とまっすぐ聞く勇気はない。
けれど、
「大きな波は減りました。でも、活動量を抑えて休まないと寝込んでしまいます。家事と子育てで精いっぱいで、継続して働ける状態ではありません」
と、今の生活をそのまま伝えることならできるかもしれない。
寛解という言葉だけで、今の私を決めなくていい。
症状が落ち着いたことも本当。
今も障害に苦しんでいることも本当。
その両方を抱えながら、私は今日も、自分が崩れない範囲で暮らしている。
ほかにもこんな記事を書いています。
障害年金を申請したときの気持ちや、働きたいのに働けない私を支えてくれた制度について書いた記事です。
以前の私は、自分の状態を「まだ寛解していない」と感じていました。双極性障害と長く暮らす中で見えてきた、当時の私の現在地を書いています。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました🌷
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