嵐が過ぎるのを、待てるようになった理由
昔の私は、躁と鬱に振りまわされてばかりだった。
躁になれば無敵状態だった。
眠らなくても平気で、なんでもできる気がして、散財もしたし、無茶な行動もよくしていた。
一方で鬱のときは、ひたすら何もできなかった。
お風呂にも入れず、趣味も楽しめない。
大好きだった本が読めなくなったときは、もう何も残っていないような気がして、絶望していた。
当時は、私に合う薬がなかった。
薬を飲んでも良くなる実感はなく、結局、躁と鬱を行ったり来たりするしかなかった。
しばらくして、激しい躁と鬱は少し落ち着いた。
結婚をして、出産もした。
でも、産後の無理がたたって、再発した。
改めて通院することになり、また薬を飲み始めた。
薬の効果なのか、体調が少し良くなることはあったけれど、完全には良くならなかった。
不安でたまらなくなり、定期受診とは別に病院を受診した。
この症状が、少しでも良くなる薬が欲しくて。
その日は主治医ではなく、別の先生が診てくれた。
不安を和らげる薬を処方してくれたあと、その先生はこう言った。
「躁鬱の波を、やり過ごすことも必要だよ」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとした。
私には「波をやり過ごす」という感覚が、まったくなかったことに気づいたからだ。
薬で抑えられることには、限界がある。
それなら、波の中で生活していくしかない。
良くないなら、良くないなりに、生きていくしかない。
それは諦めではなくて、
私の中に生まれた、まったく新しい感覚だった。
それからは、薬も適宜使いながら、波のある生活を送っている。
できないことに絶望する日もあるし、
「今日は元気が良すぎたな」と思う日もある。
それでも、昔のように
完璧に躁鬱の波を抑えようとは、もう思わなくなった。
嵐の中で、立ち続けなくていい。
嵐は、いつか過ぎていく。
私は今、
ただ、待っている。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました🌷
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