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掌編|ネロリ #風まかせ文芸部

 古びた軽自動車で空港まで迎えに来たじいちゃんは、年甲斐もなく赤いニット帽を被っていた。
 美咲は、空港の自動ドアから外に出ると、吹き付けた海風にブルっと震え、朝陽はじいちゃんを見て「ふぁ」の形に口を開けた。
 じいちゃんは「遠かったろ。寒いけぇ早う乗りんせー」と軽自動車を顎で指す。

 僕と美咲は結婚式は挙げないことにしている。
 だからじいちゃんとばあちゃんの家までやって来た。

 美咲が自己紹介をする。続いて朝陽も小さな声で「あさひです。3年生です」と言った。
 じいちゃんは「うん」と頷くだけ。
 照れているだけだと思うよ。僕は美咲に目配せする。
 じいちゃんはそれから僕に「仕事はどや?」と一言投げて、僕が喋りだすと安心したようにハンドルを握りギアを忙しなく変えて車を走らせる。
 視界が開け、海が広がる。
 朝陽がまた「ふぁ」の形で唇を半開きにして、窓の外に見惚れた。

 立て付けの悪くなったガラスの引き戸を開けると、台所からばあちゃんが叫ぶ。
「おかえり〜」
 古い家の框は高い。土間から框まで、ヨイショと太ももに力を入れて上ろうとする美咲に、僕は手を貸した。
 朝陽はその後ろからひょいと框に上がって、珍しそうに田舎の家を見まわした。

 居間に入る前に、僕らは仏壇の前に座り、線香をあげる。
 居間にはダイニングテーブルが置かれていた。
 じいちゃんたちはもう、座卓の生活より椅子の方がラクな年頃なんだ。

 ばあちゃんがお盆にお茶を載せて持ってきた。足音が不規則だ。
「よういらっしゃった。えっと、美咲さんと、朝陽くんじゃったね」
「美咲です。よろしくお願いします」
 椅子に腰掛けた美咲がおなかに手を当てながら、小さく会釈をした。
 朝陽は椅子をくるっと半分だけ回し、姿勢を正してまた名前と学年をつぶやいた。
「夜はお寿司とったでね。あとちいとだけ天ぷらをしようかね。美咲さんは休んどいたらええよ」
 美咲は車に酔ったらしく、お茶に手をつけず、仏間に敷いた布団に横になった。

 じいちゃんが玄関の外で手招きしている。
 朝陽と二人、上着を着て出ていくと、じいちゃんは「畑行くか?」と朝陽を見た。
 赤いニット帽のじいちゃんの後ろを僕らは歩いた。
 ゆるゆると山を登っていくと、畝が10本ほどの畑がある。
 朝陽の口はずっと「ふぁ」の形。じいちゃんに言われて、ねぎを抜いた。
 泥のついたねぎは、スーパーで売っているねぎより短くて太い。
「ねぎの匂いがする!」
 その日、一番の大きな声を出して、朝陽が笑った。
 斜面にはみかんの木がある。朝陽はじいちゃんに導かれて、1つみかんをもいだ。
 ゴツゴツした皮の大きなみかんだ。
 朝陽はソフトボール大のそれを両手で抱え、鼻をくっつける。
「いい匂い!」
 じいちゃんは赤いニット帽を脱いで、「寒かろ?」と朝陽に被せようとしたけど、朝陽は身をくねらせて「やだ!お地蔵さんみたいでカッコ悪いよ!」とゲラゲラ笑い出した。

 僕もみかんの匂いを吸い込む。懐かしい匂い。

 家に戻ると天ぷらとお寿司が待っていた。
 男三人は手を洗い、ばあちゃんと美咲が椀を運んでくる。
 食事が始まると、じいちゃんは朝陽の皿にどんどん寿司を置く。
「もっと食え」とか「こっちのもうめーで」とか言いながら。
 嫌いなイカが置かれた時、朝陽はしばらく見つめていたが、「イカは嫌いなんだけどな……」と尻窄みに言ってから、意を決して食べようと箸を構えた。
「おう、はっきりせえ」
 じいちゃんが強い声を出したので、朝陽は身を固くする。
「遠慮せんでええ。残してもええ。けどこっちのイカは東京のよりうめーかもしれんぞ」
 美咲が泣きそうな顔をして「美味しいです。何十倍も」と次のイカに手を伸ばす。
 朝陽は上目遣いにじいちゃんを見てから、イカの寿司を口に放り込んだ。
 
 そんな朝陽をばあちゃんは目を細めて眺め、美咲のおなかに目線を移す。
「朝陽、ええ名前やね。こっちの子の名前は決めたんか?」
「まだ男か女かわかんないんだよ。でも、朝陽とつながる名前がいいなと思ってるよ」
「そりゃあええ」
 じいちゃんが味噌汁を啜る。

 寿司桶がカラに近くなってきた頃、ばあちゃんが僕に尋ねた。
「あんたたち、どねーして知り合うたのさ?」
 聞かれると思った。さっき畑に行ってよかった、と僕は思う。
「会社で知り合ったんだよ。隣の部署。でもさ、さっき思い出したんだけど、」
 美咲が怪訝な顔をする。
「初めて会った時、美咲からすごくいい匂いがしたんだ。ずっと後に、美咲の家に行って知ったの。みかんの匂いだった、って」
 あの畑の大きなみかんと同じ匂いを、美咲はいつもさせていた。
 美咲は箸を置いて微笑んだ。
「正確にはネロリだけどね」

 ばあちゃんに向き直り、続ける。
「ネロリってオレンジから作ったアロマオイルがあるんです。リラックス効果があって、私はあの頃そればっかり家で焚いてたんです」
「ふうん、懐かしいみかんの匂いで、好きになったってことけぇ?」
「まあ、そういうことだね」
 僕が答えると、ばあちゃんは笑い、朝陽はイーッと歯を見せ、美咲は静かに俯いた。
「ポンと二人も子ども授かって、幸せもんじゃの」
 朝陽の頭にそっと掌を乗せ、じいちゃんがそう言った。
 

(了)

風まかせ文芸部さんの企画に参加させていただきます!
私のための企画では!と思ったりしながら、なかなか書けなかったのですが、ゴツゴツしたみかんをいただいて、思いつきました。
素敵なお題をありがとうございます。
 


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