「あなたには無理」の呪縛
20代は思い通りにならないことの連続だった。
中でも思い出深いのが、難しい上司の下で過ごした日々。
社会人経験がほとんどない状況で転職した会社でのことだ。
会社のことはもちろん、業界のこともよくわかっていなかった。
配属されたのは、イベントや映像制作などを手がける、社内でも少し特殊な部署だった。
仕切っていたのは、ベテランの女性(以下、Jさん)だった。
このJさん、部下に仕事を教える気がなかった。
いや、何も教える気がない人だった。
必要な情報も共有せず、質問しても「いちいち聞くな」と怒る。
「私の若い頃は見て覚えたのよ」と言うが、私には見て覚える機会すら与えられていなかった。
誰に対してもその調子だったが、特に私には当たりがきつかった。
ある日、映像作品のナレーション原稿を作るという、全く未経験の仕事を命じられた。
何の説明もないまま見よう見まねで作ったが、「使いものにならない。なぜこんなことも出来ないんだ」と激しく罵倒された。
「あなたには無理」
呪文のように、言われ続けるうちに、私自身もそう思い込むようになった。
なんとか変わりたいと思って、啓蒙書を読んだり、他部署の人とも話してみたり、自分なりに工夫もした。
でも、この環境で、どうやったら仕事ができるようになるのか、その方法がわからなかった。
自分には無理。
同年代の人より自分は劣っている、と心のどこかで感じてもいた。
それに、社会人経験の浅い身としては、この状況も必要な過程なのだろう、と。
だから、辛抱して頑張るしかないのだろうと思っていた。
だが、徐々に、それにしても「理不尽かも」と感じ始めていた。
その「理不尽かも」が確信に変わったのは1年経った頃だった。
その部署で、あるイベントを担当することになった。
他部署や外部の人も関わる大きなプロジェクトだった。
だが、雑用は任されるものの、「あなたには無理」と、私だけプロジェクトから外されたのだ。
多分、このままここで働き続けても、良いことはなさそうだと感じた。
そして、転職を視野に入れ始めた。
でも、ここで辞めたら自分には何が残るのだろうか、と考えた。
それに、忙しい時期に迷惑もかけられない。
それならば、半年後に終了するこのイベントを区切りとして辞めよう。
最後なのだ。
ならば、このイベントが成功するよう、たとえ雑用でも全力を尽くそう。
そう腹をくくった。
そんな覚悟を決めると、不思議なもので、なんだか自分が少し強くなったような気がした。
自分のこれからを、Jさんではなく、自分で選んだ感覚。
今まで以上に、冷遇にも耐えられそうな気がしていた。
ところが、予想もしない展開となった。
私も正式にプロジェクトに入ることになったのだ。
人手不足が理由だった。
会社の上層部と外部スタッフさんの話し合いで決まったようで、Jさんも「仕方ないわね」と言って受け入れたようだった。
そのイベントで私が担当することになったのは、現場での様々な調整、要は雑用だ。
Jさんとしては、現場の雑用なら構わない、といったところだったのだろう。
だが、これが私にとっては大きな転機となった。
現場での仕事は、他部署や外部スタッフさんと連携しながら、その場その場で対応しなければならないことの連続だった。
会社の上層部とも直接関わることがあって、緊張もあった。
休む間もなかったが、今までと違い、自分で考え、自分で判断しながら仕事を進めている実感があった。
それが嬉しかった。
「私、今、仕事してる」という実感。
「私が担当してもいいのかもしれない、この仕事」という感覚。
イベントの現場なのでアクシデントやトラブルも起こる。
それも全員で協力しながら解決していく過程は、その一つ一つが、自分の身体に経験となって蓄積されていく手応えもあった。
「良かった。最後にこの仕事ができて」
その会社で初めてやりがいを感じた数ヶ月間だった。
ところが、プロジェクトに参加したことで、その後、私の状況は大きく変わった。
私にとっては有意義な仕事だったが、イベント自体は大赤字を出し、プロジェクトは失敗に終わったのだ。
Jさんはその責任を問われ、なんと、クビになった。
しかも、私はJさんの後任となって、その後も仕事を続けることになったのだ。
半年後に辞めようと決めたあの日から、私は自分で選んだ道として仕事に向き合うようになった。
すると不思議なことに、今まで見えなかった仕事の面白さが見えてきた。
振り返れば、あの頃のスランプの正体は能力不足ではなく、「あなたには無理」という言葉を信じ、自分自身を信じられなくなっていたことだったのかもしれない。
追記:コングラボードをいただきました!
お読みくださった皆様、ありがとうございました😊

