人の片思いを笑うな
乱雑に刻んだチョコレートの破片を、クッキーの生地にぱらりとばら撒く。
シナモンをまぶした生地は、純白だったはずの表面を薄茶色に侵食していく。不揃いのチョコは、無数に並ぶ歪んだ顔となってこちらをジロリと見つめている。まるで地獄の片隅に閉じ込められた魂たちの嘆きを凍りつかせたかのようだった。
ここで引き下がればよかったのに。
結果なんかわかってる。
どうせ彼の答えは、ノーだって。
なのに。湧き上がる思いが止まらない
一体どうして、私は彼にバレンタインを渡しちゃったんだろうな。
鼻から王子様には嫌われてたのにさ。
◇
中学2年のバレンタイン。私は剣道部で片思いをしていた武田君(仮名)に、人生で初めて手作りのチョコチップクッキーを渡した。
彼のことが大好きだった私は、毎日のように目で彼を追っていた。
武田君は、いつも彼女が途切れない「THEモテ王子」。そんな彼も、中学2年生の2月頃は、たまたまシングルだった記憶がある。(※当社調べ)
告白するなら、今しかない。どうせ相手にされないけど、気持ちを伝えるだけならタダだ。
そう思った私は、震える手でクッキーを焼き、仲間に「武田君に渡してきて」と託した。どうやら、仲間の報告によると、武田君は「受け取ってくれた」らしい。
(ああ、よかった)
いつも武田君からは、私がガン見し過ぎるあまり不愉快な顔をされていたから、てっきり拒絶されると思っていた。
武田君、ちゃんと貰ってくれたんだ。その事実を聞いただけで、胸がいっぱいになった。
数日後、仲間から「武田君も来るから、ミクさんも一緒に四日市に遊びに行こう」と誘われた。願ってもない展開に、思わず心臓がぴょんと跳ねる。
けれど現地で私を待っていたのは、仲間たち数十人と、武田君。そして彼の隣には、背がすらりと高い、瞳の大きなハーフ系の美女――木戸さん(仮名)がいた。木戸さんは、他校の生徒だ。他校とはいえ同じ剣道部のため、私が所属する部員たちとは、試合と合宿で仲良くなった。
彼女の両脇には、ヤンチャ系男子が2人ニヤニヤした様子でこちらを伺っている。2人はチャラチャラしてて、合宿の時にいつも「ミクさんって変わってるよね!」って、チャカしてきた。面倒だったので、いつも適当にあしらっていた。まさか、この時の私の「失礼な態度」があの忌まわしい事件を招くとも知らずに……。
◇
武田君と木戸さんは手をつなぎ、はにかみながら嬉しそうに見つめ合っている。その瞬間、仲間たちの視線が一斉に私へ向かう。
木戸さんの取り巻きのヤンチャ男子2人が、やがて「してやったり」と言わんばかりに、大声で私を揶揄い始めた。
「武田君が、あんたなんか相手にするわけないじゃん」
「ショートパンツなんか履いちゃって。汚いブツブツの足、見せんなよ。気持ち悪い」
ヤンチャ男子の掛け合いと共に、他の仲間たちの笑い声が弾ける。私の視界が、途端にガタリと歪み始める。今まで真っ直ぐに見えた地平線が嘘みたいにボコボコと凹んで、足元がふらつく。
頭が真っ白になり、脳が泥々に溶けていく。喉の奥がひりついて痛くて、息をするのが苦しい。
「ちょっと。みくさん、泣いてるよ」
「マジで。やばーい」
「本気だったんだ」
周りの笑い声がさらに大きくなる中、武田君は無言でこちらをじろりと一瞥する。武田君は、砂を噛むような顔でどこか決まり悪そうな顔をしていた。
家に帰るなり、乾燥でざらついた足を泣きながら呪った。
赤い斑点のような凹凸なんて、今まで気にも留めなかったのに。誰かに「汚い」と告げられたことで、バケモノの化身に見えた。
天に向かって唾を吐く。
この世なんかクソ喰らえ。
人の失恋を笑ってんじゃねえよ。
吐いた唾は飛び立つこともなく、澱みとなって滞り、空ではなく心の底へ静かに沈殿していく。
時間が経てば消えると信じていた。
まさか傷の上に10年、20年、30年と地層のように瘡蓋が増え続けるなんて、あの場にいた誰も知らなかっただろうに。
◇
翌日、私は明星の付録についていた内田有紀のポスターを美容院に持ち込み、
「私を内田有紀にしてください」
と、のたまった。美容師さんは笑いをこらえていた。けれど、あの時の私は必死だった。
あの瞬間、私はただ――他の誰かになりたかった。自分以外の誰かであれば誰でもよかった。たまたま目についたのが、手元にある内田有紀ポスターだっただけ。
髪を栗色に染めた内田有紀ヘアーの私は、道場に出向く。髪型がUCHIDAの私を見るなり、仲間たちは「わぁ、内田有紀みたい」とは誰1人も口にせず、血相を変えて「大丈夫?」と私のことを心配し始めた。
ちょ、待てよ。
あんたら、あの現場にいて一緒になって笑ってたよね??
複雑な気持ちを抱えつつも、仲間たちの輪の中に、悲壮感MAXの表情を浮かべる私は、完全に悲劇のヒロイン。みんなから心配されてる瞬間は、足の汚い私も物語の主人公になれた。けれども、ストーリーの主人公はいつまでもハッピーエンドを迎える訳じゃない。
武田君は、栗色の頭をした私を一瞥するなり
「こういうの、めっちゃむかつくわ」
と吐き捨てるように呟いた。
今なら彼の気持ちが理解できる。私に悲劇のヒロインを目の前で演じられることで、彼は「大勢から女性を傷つけた加害者」としてみられる被害者になったのだ。そして彼は、その事実にムカついていた。
私はただ、武田君にバレンタインを渡したかっただけ。被害者にも加害者にもなりなくなかったんだ。
◇
あれから数年もの歳月が過ぎ、10年が経つ。社会人になった私は、職場の先輩に
「あなた、この世の終わりみたいな顔してる」
と言われた。もちろん、武田君が完全なる原因ではないが、あれから星の数ほどの紆余曲折を経て、結局いつまで経っても自分に自信が持てないまま。
きっとどこかで、自分なりに立ち止まって「このままじゃアカン」と思うべきだった。なのに、私はいつまで経っても他力本願。バレンタインのチョコだって、本来なら誰かに託すのではなく、自分で渡すべきだったよね。
そんな私は、幾つになっても相変わらず誰かの救いの手を求め、結局だらだらと大人になってしまった。
先輩は、「このままじゃ、可哀想だから」と心配し、服屋やメイク、エステなどに連れて行ってくれた。綺麗になるためのアドバイスも、たくさんいただいた。先輩曰く、なんだか放っておけなかったらしい。
「私も昔は自信なかったけど、鏡に向かって『私はかわいい』って言い続けたら、本当に可愛くなったの。ミクさんもやってみたら」
唐突に純粋無垢なポジティブが襲ってきて、思わず面食らう。ポジティブを受け取る心の準備なんか、ちっとも出来てないというのに。
けれども先輩の目は限りなく透明に近いほどピュアブラックで、疑いの余地すら残されていなかった。
先輩の言葉を信じ、私は毎日嘘みたいに「私は可愛い」と、鏡に向かって呪文のように唱え続けた。
ただひたすら、他の誰かになれると信じて。
鏡すら直視できなかった私も、少しずつ鏡を見るのが苦にならなくなった。鏡に映る女は誰かではなく、常に自分のままだ。
けれども、口角が少しずつ上がり、自然な笑みを浮かべる自分の顔が少しずつ好きになっていくのを感じた。

それから年月を重ね、私は「いつも楽しそうだね」と言われるようになった。友達も嘘みたいに増えた。出会いの場にいけば、誰かが声をかけてくれた。
榎本加奈子、加藤夏希、小嶋陽菜、AKBにいそう、戸田恵梨香。芸能人の誰かに似てると言われるたびに、自分じゃない他の誰かになれた気がして安堵した。それと同時に、自分はどこに飛んでしまったんだろうと、その姿を探したりもした。
人との出会いの中で、コンプレックスだった脚が綺麗と褒められたりもした。そりゃ、脱毛とエステに大金突っ込んだからねと、内心突っ込みつつも、体のパーツを褒める人は下心で近づいてくるという事実も知ったりして、また私は天に唾を吐く。
「本気で人を好きになるほど、あの人は私の前から去っていくのかな」
なんて哀愁じみたことを思っては、人に愛されることが怖かった。ずっと。そんな思いを抱えていた矢先に、37歳で今の夫と出会い、結婚。41歳で母になり、ライターとして本も出版した。

色んな人からの気持ちや思いを、気づけば素直に受け止められるようになった。
あの人にも、この人にも。ありがとうって伝えられるようになった。
あの頃の私に告ぐ。
あなたは、他の誰かになんかならなくていい。
人より時間はかかるかもしれない。けど、ちゃんと人を好きになれるあなたにいつかきっと育つから。
あなたは、あなたの人生を生きてほしい。だって、その人生はあなたしか生きられないんだから。
◇
武田君は今、風の便りによると「オーストラリア」でレストランを経営しているそうだ。
もし彼が今の私を見たら、彼は何と言うだろう。また「チッ」と舌打ちするのだろうか。それとも、「まぁ、一息つけよ」と不器用に笑って、オージービーフや、ミートパイとか作ってくれたりするのかな。
えっ。彼についてどう思ってるかって?
実をいうと、正直どちらでも良かったりもする。
今会いたいかと言われると、向こうも微妙だろうし。
だって、大して仲良くなかったもん。なにせ、武田君。私がガン見するたびに、下敷きで顔隠してたくらいだからね。
だから今、こうして振り返って思い出を書いている。
強いていうなら、人に囲まれて「脚が汚い。醜い脚を見せるな」というセリフだけ(武田君が言ったわけではない)、どうやらいまだに許せていない。
流石にそろそろ、許そうか。娘が歩くのに時間がかかり、今は足の醜さよりも、自由に歩ける足に感謝してるくらいだから。
悲しいかな。過去は変えられない。辛いものほど二人三脚みたいに、足元にまとわりつく。
40年経った今でも、あの日受けた心の痛みは小さなシコリのように残り続けている。折り合いをつけようか何度も試みたが、決して消えることはなかった。
もちろん、他の誰かになることもできない。ただひとつ変えられるのは、これからの自分だけだ。
今日もふと鏡をのぞくと、「自信がなかったあの頃」の自分が一瞬蘇り、足元がふらつく時がある。
その度に思い出すのが、先輩の「鏡に向かって『私はかわいい』って言い続けたら」という、無邪気なポジティブ発言だったりもしている。
あの頃はポジティブなんて、ただの押しつけにしか思えなかった。けれど今は、心が折れそうになった時にそっと握りしめる、小さなお守りみたいなものだと感じている。
だから私は今日も、前向きな言葉をXにぽろりと落とす。
「素敵な人ほど、小さな一歩を大切にしている」
— みくまゆたん (@mikumayutan) February 16, 2026
ということが、この数週間で色んな方々とお話しをして、改めて実感している🥹そして、感謝を言葉や形にする力も凄い………
実際はそうじゃないこともある。私だって自分に自信をつけるために、前向きな言葉を口にしたい日もある。それに、誰かのポジティブな言葉に救われたい時もある。
そして、自分の小さな「前向き」なつぶやきが、もしかしたら誰かの背中を、ほんの少しだけ押す力になるかもしれない。そんなことも信じている。
【完】
⭐︎追伸・制作裏話
最近、スペースで「書けない時ってどんな時ですかね?」みたいな素朴な疑問をしたと同時に、
— 岡本雄太郎|書き手の可能性をひらく編集者 (@oka_motti) February 16, 2026
染谷さん、なつみとさん、岡本さんと4人でスペースしました。アーカイブも残っていますので、もしよろしければぜひご視聴していただけると嬉しいです。
その中で、染谷さんが「完璧じゃなくていい。3行でもいいから書きましょう」と言う話をされていたのが印象的でした。
ついつい完成度は求めてしまう私は「だから私は、最近気軽に書けなくなってきてたのかな」と、ふと自分の足元を振り返りました。
もっと気軽でいいし、まずは「試して出す」ことが一歩なのかもしれません。
あと、ここにきて自分の中に「それなりに書ける」理由として、一つの「ある仮説」が浮かびました。
「もしかしたら書きたくないこと避けてるから、私は書けるんじゃないの」
思い起こせば、自分が書いて後悔するものは、これまで避けてきました。
そんな訳で、中学時代のトラウマ級失恋ネタを書いて「検証する」という実験を試みました。
書く前に、昔を思い出して涙が出てきました。
けれども、書き始めると意外と冷静。書いていくうちに、心のうちを成仏といいますか。浄化している感覚を覚えました。
その後、下書きを終えた後に、もう一度何ともいえない「悲しみ」が押し寄せてきます。理由は「汚い脚を見せるな」と言われた過去を、文字に起こすことで思い出したからでしょう。
それにしても、今日の記事は「汚い脚」というなかなか怖いワードが、どれだけ出てくるねん!!
もちろん、書いた事実は消えないし、見た人は内容を記憶します。記事を消しても、私が書いた事実は消えません。
その内容に、自分が苦しめられることもあります。だから、こういうネタはあまり書かないのですが……
武田くんのことは、もう今なら過去の出来事として「受け入れられる」と思ったことと、私がここぞという時に怯え腰になるのは
「一歩勇気を出した瞬間に、大勢に囲まれて詰られる」
という経験があったことに気づきました。
私は今、本を出しています。
これからどんな評価を受けるかは、私で決めることはできません。言葉は誰かに伝えた瞬間、誰かのものになって育っていくものだからです。
これからの覚悟の一環として、過去の「あの出来事」をもう一度振り返り「受け入れる」ために、私は今回あえてこの記事を書きました。
