見出し画像

極上の「らしさ」に人生を捧げた男達の葛藤を描いた傑作【映画ひゃくえむ】

 先日、家族で映画『ひゃくえむ』を観た。

 同作は、漫画家・魚豊氏の連載デビュー作であり、陸上競技の世界で「100mだけ誰よりも速ければ、全部解決する」と信じ、極上の10秒を味わう(スタートからゴールまでの、一瞬の輝き)に魅せられた者男達による

━狂気、執着、情熱、喜び、絶望、悔しさ、嫉妬

などなど、ポジティブとかネガティブとか。一辺倒ではいかない「人生」の感情すべてが至る所に散りばめられた作品だった。

 映画の主題歌はOfficial髭男dismの『らしさ』。

 曲はエンドロールで流れるのだが、実はその前より(映画に誘ってきた)夫から何度も「映画の感動をより味わうために、『らしさ』をたくさん聴いておこう」という提案により、すでに30回以上は視聴している。

歌詞の中で、

「らしさ 『そんなもの』を抱えては」

というフレーズがある。作品は、自分の「らしさ」や居場所を求めて葛藤していく男達の物語だ。それは彼らにとって「そんなもの」なんかじゃない。

 けれども、人生を送っていると自分の中では大切なものでも、誰かから見たら「そんなもの」として扱われるシーンも多い。

 たとえば映画の中で、トガシにある出来事が訪れ、絶望を感じて号泣するシーンがある。それは、トガシから見たら大切なことでも、第三者から見たら「そんなもの」でしかなかった。トガシはあるシーンで第三者より「合理的」な判断を受け、諦めざるを得ない状況に陥る。

 そんなトガシに対し、蓋をしていた「現実」が容赦なく一気に押し寄せてくる。その途端、彼は……。そのシーンはとても印象的なもので、私はただ言葉を失った。

 この映画を観ていると「らしさ」って、本当に大切にすべきなのか。正直、迷った。けれども同時に、人は細胞の寄せ集めであり、人生はその人にしかないものだからこそ「自分の想い」を大切にしたい。

 そう思える、素晴らしい作品だった。

 昨日、ライター仲間の田中いずみさんに教えてもらって魚豊さんがゲストで登壇したラジオ「#89 漫画家・魚豊さんと「悩めなさ」について考える。【聞くCINRA】」を視聴した。

 なんと、魚豊さんによると「陸上経験」がないとのこと。自分には経験がなかったから、何を描いたらいいのか。その中で、陸上はルールが「ゴールに向かって走るだけ」だったので、説明が不要だったなどの理由から「描こう」と決めたというお話があった。

 私は創作をする際に、ついつい自分の経験から「書けること」を探してしまう。その方が、キャラクターの内面を深堀りしやすいからだ。自分も感情移入できるし。

 でも魚豊さんは、描けるネタがなくても「描けるもの」を探していく。

 むしろ、ネタがないことが強みになると「希望」を見いだしていく━━その軸には、彼自身が学んでいた哲学がベースにあるとはいえ、その発想は斬新だなぁと感じた。

 それにしても、(漫画を)描ける人は、描けないことも「強み」にしていくのか。その他にも、魚豊さんのトークには「その発想はなかった」と、私が目を丸くするシーンで溢れていた。

こちらの対談記事も面白かったです。魚豊さんの制作秘話にも触れられています。

 『ひゃくえむ』は、スポーツのルールがわからない人でも楽しめる作品になっている。

 むしろルールというより、キャラクターが「内面を深掘りする」という部分に徹底してフォーカスしている。そこが、この作品の面白さだ。

 小学6年生のトガシは、生まれつき足が速い。周囲からも羨望の眼差しでみられているのに、本人がその凄さに気づいていない。走ることに情熱もない。

 その一方で、彼の前にあらわれた転校生の小宮は、いつも走っていた。トガシはそんな彼に「辛くないの?」と尋ねるが、小宮は

「現実より辛いことをすれば、現実がぼやける」

と呟く。

 そう、小宮は現実逃避のために走り続けていたのだ。その先にゴールがあるのか、たどり着けるのか。わからない。けれども、走り切れば辛い現実をみなくて済む。

 その証拠に、小宮はトガシに対し「僕にはなにもないから、その場だけ逃げられたらいい」と寂しそうに告げる。

 私にも、小宮のような経験がある。あれは、小学校の時に友達がいなくて、机の上で漫画を描き続けていた時のこと。漫画を描いていれば、休憩時間の暇つぶしができるので、誰とも喋らなくていい。友達と遊ばなくていいから、1人ぼっちでも平気だ。

 そう、私は漫画を描くことで「(つらいことに蓋をして)全部、解決」させていた。描いているうちに、欲も芽生える。漫画家になれるんじゃないかって。結局、中学生になり「もっと上手く漫画を描ける人」を見て挫折し、諦めたのだけれども。

 『ひゃくえむ』には、このような「人間の葛藤」が、ひとつひとつ丁寧にすくいあげられており、その上で「ここまで見せるのか……」というところまで、しっかりキャラクター達の心理描写が描かれている。

 セリフは、決して長くはない。(いや、長い時もあるんだけれども。ただ、長さは感じない。)基本的に、刺さるフレーズが1シーンごとに連続で登場していく。時には、ラップを聴いているような感覚を覚えることもある。切れのいいフレーズが、もったいぶることもなく、ひたすら続いていく……。

 そう、ずっと見せ場が続くのだ。

 魚豊さんの作品は、『チ。』や『ようこそ!FACTへ』も漫画で見ている。どの作品も凄いと思うのが、1ページの油断も許さないところだ。1ページごとに、『ひゃくえむ』に登場するキャラクターの名台詞

「極上の10秒を味わえ(映画は「極上の10秒を味わってください」になっている)」

の精神が刻み込まれているのではないか、と思うくらいに「すべてのページとセリフが見せ場」になっている。だからなのか。気づけば、むさぼるように夢中になって、次のページを捲っている自分がいた。

 映画には尺があるので、漫画にあるシーンが削られていたり、言い回しが少し異なっているところも多少はあったものの、映画にしかない魅力もあり、漫画を読んでいた人にも楽しめる内容になっていると感じた。

 たとえば、トガシ達が雨の中で走るシーンがあるのだが、まるでカメラ映像のように立体的で、現実とリンクしているような錯覚すら覚える。

 「走る」がテーマの映画なら、走っているシーンを見せ場にするケースが多い。けれども、この映画はトガシ達が走る前のシーンを「魅せる映像」にしていた。

 なんと、エンタメ系メディア『アニメ!アニメ!』で公開されている「1カットに1年かけたシーンも! 原作・魚豊先生&岩井澤健治監督が語る劇場アニメ『ひゃくえむ。』の本気【インタビュー】」記事によると……

 走った後の息遣い、疲れている描写など、手持ちカメラ1台で撮影した「ロトスコープ(ロトスコ)」を駆使して表現しているらしい。

 ロトスコは絵にすると生々しい動きやリアリティーが出ますが、もとにする実写映像を撮るときは舞台演技のように大きくコミカルに動いてもらったほうがよくて、実写がすぎると、絵にしたときに気持ち悪く見えてしまうのが「ロトスコあるある」なんです。

 シーンによってはオーバーリアクションで撮ると、絵にした時にちょうどいいバランスになるんです。

インタビュー記事の「岩井澤監督」の言葉より印象

 ここに、

「100mにすべてを捧げてきた男達の覚悟や生き様を、余すところなくスクリーンで味わえ」

 といった、映画製作者からの気迫や凄みを感じ、ただただ圧倒された。

 映画の尺は106分。長いようで、あっとう間に終わる。極上の106分を、スクリーンでとことん味わってほしい。

【完】


【追伸(裏話)】

 過去に綾野つづみさんが書いた映画『8番出口』のnoteを読んだ時に、あまりに素晴らしすぎて、「みんなに読んで欲しい」と想い、Xでも紹介することに。

 すると、なんと紹介した私の投稿が大バズり。

 リツイート通知が止まらず「えっ、えっ。どうしよう!(私は書いていない(笑))」って狼狽え始めたほどの大反響でした。

 やっぱり、綾野さんの映画感想文、凄く良かったよね。良すぎて何度も読んだし、映画コラムのお仕事も絶対にメディアから舞い込みそうと思いました。

(※エンタメ系のコラムを書きたい方、ぜひ綾野さんのnote記事を読んで欲しいです。私が採用側なら、この記事がポートフォリオで来たら絶対にライター募集していなくても採用しちゃう。それくらい、本当に素晴らしい感想文でした!!)

 ……と思ったと当時に、私が仕事で書いた『8番出口』の感想より全然バズっていたので、くぅーーーーーー!羨ましくなってしまいました!!

いつか、綾野さんくらいに素晴らしい映画感想文を書きたい……。

 そう思って、今日は何とか頑張って書いてみました。映画は、とても素晴らしかったです。創作をしている方にも、共感できそうなシーンがたくさんありました。ぜひ、みなさんも観てみて下さい。

映画の特典でもらいました。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集