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「タダほど高い『義務教育』はない」【連載第3回】封建主義の残骸 〜憲法違反の「先生」「先輩」システム〜

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「人間的価値」を無視した絶対的な身分制度

 前回の記事では、学校が「規格品」を量産する狂気の工場であり、「義務教育の無償」とは私たちの思考と個性を奪うためのコストであるとお伝えしました。

 今回は、その工場の中で私たちの精神を縛り付ける「強固な権威主義」について考えて行きます。

 日本の学校に足を踏み入れると、そこには社会のどこにも存在しない、異常なルールが敷かれています。

 指導者に対して、その人の人間的価値や人格、能力を一切考慮することなく、幼いころから無自覚且つ無条件に「先生」と呼び、絶対服従することがしつけられます。
 さらに中学や高校に上がれば、部活動などで「上級生」というだけで、これまた人間性など一切関係なしに「先輩」として敬い、敬語を使い、理不尽な命令にも従うことが強要されます。
 私たちはこれを「社会に出るための礼儀作法」だと思い込まされてきました。

 しかし、これは本当に「社会のルール」なのでしょうか?

 いいえ、違います。

 これは現在の日本国憲法が掲げる「個人の尊重(第13条)」や「法の下の平等(第14条)」といった民主的な理念と真っ向から相反する、旧時代の帝国憲法(封建主義)の残骸です。

 本来、民主主義国家の学校という場において、人間の価値を年齢や学年や立場で一方的に固定し、権力で支配するようなことは、絶対にやってはいけないことです。

「さん付け」運動が示す、本来の教育の姿

 近年、ごく一部の学校で、この異常性に気づき、変化を起こそうとする動きが始まっています。

 児童生徒が教員を呼ぶ際に、無条件に「先生」と呼ばせることをやめ、「〇〇さん」などという一般的な呼称を使う。また、教員側も児童生徒を呼び捨てにせず、一人の人間としてそれなりの適当な敬称をつける。

 このように、「先生」「生徒」といった不平等な人間関係を原則とするのをやめ、立場の違いを超えた「一緒に学び成長していく仲間、あるいは伴走者」として互いに接していこうとする試みです。
 これこそが、人間を人間として扱う、本来あるべき教育の姿につながる道ではないでしょうか。

 しかし、大半の学校では未だに「先生と生徒」「先輩と後輩」という絶対的な主従関係が維持されています。
 この国家による人間性の管理が、上の者には思考停止で媚びへつらい、下の者には理不尽な権力を振りかざす、精神的に成熟していない「程度の低い人間」を世の中に量産しているのです。
 これが、現在の日本の衰退傾向、そして組織の硬直化やパワハラが絶えない社会構造の根本原因です。

システムの奴隷にされた「教員」という被害者たち

 ここで、私たちは一つの重要な事実に目を向けなければなりません。

 この狂ったシステムを現場で実行している「教員」の方々もまた、絶対的な悪意の塊では全くないということです。
 もちろん中には、個人の業務効率化や自己顕示欲のために、子どもを恐怖で支配し君臨しようとする論外な人間もいます。しかし、日頃から自分なりの生き方を持ち、子どもたちへの深い愛情を持って日々の業務に取り組んでいる方々も、数多く存在します。

 しかし、どれほど素晴らしい志を持っていたとしても、現在の文部科学省の定めた制度下で働く限り、その努力は残酷な矛盾を抱え込むことになります。

 現場の教員の方々は、「定額(低額)働かせ放題(給特法)」という世界でも類を見ない異常な労働環境の中で、実質的な奴隷レベルで酷使されています。
 その極限の疲労と矛盾の中で、国が定めた「一定の枠」に子どもたちを嵌め込む作業強制されているのです。

 彼ら彼女ら自身が個人の尊厳を無視して働かされているからこそ、子どもたちに対しても個人の尊厳を無視した管理(規格品の量産)を行わざるを得ない。
 本来あるべき「人間の心」を育てたいと願いながら、結果的に「誰かの言いなりになるだけの人間」を量産するシステムに、犯罪的に加担してしまっている。

 この矛盾と罪深さに、心ある教員ほど苦しんでいます。
 日本の学校教育現場は今、子どもたちの魂を殺すだけでなく、そこで働く大人たちの魂をも殺す場所になっているのです。

教員の方々へ、そして私たちへ

 もし、この記事を読んでいるあなたが学校教育関係者の方であるならば、この「定額働かせ放題の現実」と「人間性を殺すシステムへの加担」という現実から目を背けず、ご自身が今後どうして行くべきかを、それぞれのお立場でぜひ真剣に考えてほしいと切に切に願います。

 私たちは皆、誰かに支配され、思考を奪われるために生まれてきたのではありません。
 では、なぜ国はこれほどまでに強固な身分制度と洗脳システムを維持し続けるのか。
 彼らが最も私たちに「知られたくないこと」「持たせたくない力」とは一体何なのか。

 次回は、学校教育が絶対に教えようとしない、しかし私たちがこの世界を生き抜くために最も重要な「お金の真実」についてお話しします。

次回・第4回へ続く