「親のため」は、誰の幸せか?64歳の男が挑む、親子に潜む“支配のアルゴリズム”【剣崎宗一郎の詐欺撲滅小説シリーズ】『パンドラ・ファイル』(その11)『見えない支配者(ゴースト・ペアレント) ~親という名のシステム~』(全6章)【第一部:崩壊の連鎖】第1章:食卓の異物
「自分は息子の良い母親」と思い込む事を自分の存在意義とする67歳の母と、「親に従う」ことが唯一の正解だと誤信して来た43歳の息子。
その歪んだ愛は、巧妙に設計された「支配のシステム」となって、息子の人生を内側から蝕んでいた。
64歳剣崎宗一郎が今回挑むのは、法で裁けない「家庭内のバグ」。
親という名の支配者から魂を解放する戦いが、今、始まる。
東京・港区。某所。
剣崎宗一郎の事務所は、今日も静寂に包まれていた。
『K・コンサルティング』という看板は、彼がかつて企業再建のプロフェッショナルとして名を馳せていた時代の名残であり、今は引退した一人の初老の男が、自身の資産運用や読書を楽しむためのプライベート・オフィスとして機能している。
……と言えば聞こえはいいが、実際には、剣崎自身も構成員となっている世界中の高知能者たちが集う国際団体『NOUS』の裏側で、法の網をすり抜ける悪を論理でデバッグする隠れた組織『PANDORA』の司令塔としての役割を担っている。
その日、剣崎の元に訪れた依頼人は、かつて剣崎が経営コンサルタントとして再建を助けた企業の元社員・悟(43歳)だった。
悟は、以前会った時からは想像もつかないほどやつれていた。
スーツはくたびれ、目は深く落ち窪んでいる。
「……剣崎さん。僕の人生は、もう限界です」
彼はコーヒーを一口も飲まず、震える手でスマートフォンをテーブルに置いた。
そこには、絶え間なく母親からの着信とメッセージが通知されている。
「離婚して数年経ちますが、母親の干渉が年々ひどくなっているんです。僕の生活のすべてを監視して来て、ちょっとでも僕が良さそうになる兆しが見えて来ると、必ずそれを踏み荒らしに来るんです」
剣崎は、悟から語られる「過去の傷」に耳を傾けた。
悟の離婚。その原因は、当時、悟とその妻の元に届いた悟の母からの「おすそ分け」の米30kg、悟が不在の時にそれを受け取った妻が悟の母のもとに何気なくすぐに掛けた到着報告とお礼の電話にあったという。
なかなか子どもができないことを悩んでいた妻に対し、悟の母が何気なく――あるいは無自覚な悪意を込めて――、口にした「もらい子でもしたら?」という言葉。
「その一言の妻への当たり所が悪くて、妻は人間としての根本を深く傷つけられました。僕は『君を選んでそして君にも選ばれて結婚した以上、僕にとっては母さんではなく君こそが大切なんだ』と、改めて、言ったのですが、妻にはそれが『口だけの薄っぺらい理想論』にしか聞こえなかったらしい。……結局、彼女は僕のそばから去って行きました。母は『あの子は器が小さかった』と笑っていましたが」
剣崎は目を閉じた。
若かりし頃の自分を思い出す。
かつて彼も、論理こそが正義であって、感情を制御すればすべて解決できると信じていた。いや、思い違いをしていた。
妻との間にできた心の距離を論理で埋めようとして、結果的に、一時期で済みはしたものの、一番大切な人を遠ざけてしまったことがあった――あの苦い記憶。
「悟君。君の母さんは、君の『妻』を守ることを拒んだのか?」
「いいえ、そんな単純じゃないんです。……母は、(3つ年下の)妹の家庭には一切干渉しない。順調に2人の男の子を育てて穏やかな家庭を築いている妹には『いい家族ね』と微笑む。でも、離婚して一人になった僕には、四六時中『お母さんが面倒を見てあげなきゃダメね』と食い込んでくるんです」
それは、親の愛という名目の「支配」だった。
母親にとって息子は、自分の存在理由を証明するための「部品」なのだ。息子が自立して誰かと幸せになろうとするたび、母親はそのシステムを停止させる。

「剣崎さん。母は、僕が急病で入院した時も妹には知らせずに、自分だけが献身的に世話をしていると吹聴していました。僕は母に従うしかない。逆らえば、『こんなに育ててやったのに恩を仇で返すのか』と、僕に良心の呵責を苛ませて来る…。……僕はもう、どうすればいいのか」
「……わかった」
剣崎は、コーヒーを飲み干した。
「君の母親の支配は、君の『罪悪感』という名のサーバーにアクセスして、君自身の意志を書き換えている。これは一種のハッキングだ」
剣崎は、PCを起動した。パンドラの回線を開く。
彼は、かつて妻を論理で突き放してしまったことがあった、その時の自分を今も許せていない。約十年前に病で先立ってしまった妻・・・だからこそ、この「歪んだ愛のバグ」だけは今度こそデバッグしなければならないという、強い使命感があった。
「パンドラ、起動。……対象は、一人の母親と、その支配下にある一人の息子だ。二人の間に構築された『共依存のシステム』を、根本から再設計する」
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