【64歳剣崎宗一郎の詐欺撲滅小説シリーズ】『パンドラ・ファイル』(その11)『見えない支配者(ゴースト・ペアレント) ~親という名のシステム~』【第一部:崩壊の連鎖】第2章:過干渉という名のデバッグ
「Bit、解析結果は出たか?」
剣崎の問いかけに、チャットルームの向こうから若き天才ハッカーの苛立ち混じりの声が響いた。
Bit(ビット):
『終わってるよ。……Axiom(※注:剣崎のPANDORA内での呼び名)、これを見てくれ。悟さんのスマホと、母親のタブレット間の通信プロトコルを可視化したんだ』
Bitが共有した画面には、蜘蛛の巣のように張り巡らされた赤い光の線が表示されていた。
それは、母親が息子の生活を監視し、コントロールするために構築した「通信の檻」だ。
Bit:
『これ、ただのLINEじゃない。母親がインストールさせた「高齢者見守りアプリ」の管理者権限を悪用してる。……現在地に、通話履歴、銀行口座の残高、さらには部屋の温度も湿度さえも。母親は、息子の人生を24時間、リアルタイムで「観測」してるんだ』
「観測か……」
剣崎は目を細めた。
「量子力学で言えば、観測者が存在することで対象の状態が確定してしまう。母親がその深層心理において『息子は不幸であるべきだ』という前提で観測を続ける限り、悟君はどれほど努力しても、その期待に応えるように不幸な現実を歩まされることになる」
Madame_Rose(マダム・ローズ):
『この母親は、息子の自尊心を少しずつ、でも確実に削り取る言葉を、朝・昼・晩と投下しているわね。例えば……「今日は疲れているように見えるわね、何か失敗したの?」とか。「妹ちゃんは今頃、立派な旦那様と幸せに暮らしているわね」……。これらは全部、悟さんの傷を広げるための「トリガー・フレーズ」よ』
マダム・ローズが指し示したログには、母親から送られてくる巧妙なメッセージが並んでいた。
直接的な罵倒は全くない。
だが、その一言一句は、息子の自己肯定感を砂のように崩していく言葉ばかりだった。
「……これが、親子関係という名のシステムですか」
剣崎は、自分自身の過去を思い出した。
自分もかつて、妻に対して「理屈」という鎧を纏った支配をしてしまっていた一時期があった。
妻が抱えていた寂しさにも、日々の小さな悲しみにさえも気づこうともせず、ただ自分の論理的な正しさを証明しようと躍起になっていた、という、若き日の大きな過ちがあった。
――君は、僕が選んだ道を歩けばいい。
それが最適解だからだ、と、思ってそれを疑いもしなかった。
あの傲慢さがその当時、妻をどれほど追い詰めたことだったことか。
今の剣崎には、このモニターに映る母親の姿が、かつての自分の「影」のように見える。
「ローズ。この母子の間にある『依存のバグ』を解くには、まず母親の方をターゲットにする必要がある」
Madame_Rose(マダム・ローズ):
『その通りね。母親にとって、息子は「自分の影」そのものだわ。彼を切り離すことは、自分の半分を切り離すようなもの。……だから、あえて彼女の「システム」に、深刻なエラーを報告してあげる必要があるわね』
「エラー報告……?」
「ええ。彼女が最も恐れているもの。それは『息子が自分を必要としなくなる未来』ではないわ。『自分がしたことが、他人に暴かれること』よ」
剣崎は頷いた。
彼女は、息子を支配している自覚がない。自分が「良き母」であるという物語の中に生きている。その「良い母」という自己定義そのものを、論理的に崩壊させる。
「Bit。彼女が妹の家庭を支援するために息子の金を使っている記録と、彼女が息子を支配している通話ログを、妹の旦那のPCへ『匿名』で転送するルートを確保しろ。……妹が、兄を搾取している証拠だ」
Bit(ビット):
『それ、妹さんの家庭を壊すことにならない?』
「いや。妹さんは、母親の支配を免れて育った『外側の人間』だ。彼女なら、このデータの真実を正しく解釈して、母親の呪縛を止めるための『楔』として機能してくれるはずだ」
親子の密室で完結していた支配システムに、外部からの「ノイズ」を送り込む。
それは、親子という最も脆く、最も堅固な契約を書き換えるための、最初のプログラム・デバッグだ。
「さあ、始めよう。……64歳の誕生日からの挑戦として、これ以上ない難問だ」

