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【小説】『パンドラ・ファイル』(その7)『無実の肌(ディープ・スキン) ~デジタル・シャドウの罠~』【第一部:完璧なる「ビジネス」の始まり】第2章:メティスの警告

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 剣崎のデスクにある三枚の大型モニターが、深海のような濃紺から、警告色である琥珀色のグリッド表示へと切り替わった。
 画面の中央には、NOUSノウスのエンブレムが表示されている。世界的な高知能団体であるNOUSは、表向きは親睦や学術的な議論を行う場だが、その最深部には、限られた会員しかアクセスできない非公開領域――『PANDORA(パンドラ)』のポータルが存在する。

「パンドラ、起動。メンバーを秘匿回線に招集してくれ」

『承知しました、宗一郎さん。生体認証および暗号鍵の照合、完了しました』
 相棒AI、メティスの声が静かに響く。彼女は剣崎の思考を補佐するだけでなく、パンドラの活動における情報の門番でもある。

 画面上に三つのインジケーターが点灯した。

「お早いお着きね、Axiomアクシオム
 最初に反応したのは、深紅の薔薇をアイコンにした女性、Rose(ローズ)だ。
「今回は『ビジネスSNS』を入り口にした性的脅迫……。最も卑劣で、最も回復が難しい傷を負う案件ね」
 彼女は臨床心理学の権威であり、パンドラにおける心理プロファイリングの担当だ。

「……一千万か。強気な設定だな」
 次に響いたのは、乾いた砂が擦れるような低い声。Abacus(アバカス)
「被害者の速水氏はIT企業の役員。社会的地位と今後の年収を計算した上での、合理的な恐喝額というわけだ」
 彼は元国税局の調査官。金の流れを追わせれば右に出る者はいない。

「やあ、皆さん。僕はもう準備できてるよ」
 最後は、電子音の混じる若々しい声。天才ハッカーのBit(ビット)
「ビデオチャットの一分間で顔データを抜くなんて、古典的だけどAI(ディープフェイク)と組み合わせれば最強の武器になる。……さあ、メティス。スキャンデータを共有して」

『了解しました、Bit様』
 メティスが、速水から送られた「捏造動画」を画面に展開した。

 一見すると、どこからどう見ても速水本人だ。表情の歪み、肌の質感、さらには荒い息遣いまでがリアルに再現されている。

「見て。顎のラインと耳の付け根に、ごく微かなピクセルの揺らぎがある」
 Bitが画面の一部を拡大する。
「普通の目じゃ絶対にわからない。でも、僕の解析ツールなら、これが『顔』と『体』を別々に学習させて合成したものだと断定できる。……身体のベースになっているのは、東欧のプロのアダルト俳優だね」

「捏造だと証明できても、拡散を止められなければ意味がない……」
 ビデオ通話の向こうで、速水が絶望的な声を漏らした。
「SNSで一斉送信されたら、たとえ後で『偽物でした』とわかったところで、僕の評判は元には戻らない。一度網膜に焼き付いた映像は、真実よりも強く記憶に残ってしまうんだ」

「その通りよ、速水さん」
 ローズが落ち着いた声で、しかし冷酷な現実を告げた。
「犯人が狙っているのは『事実』ではなく、あなたの『羞恥心』。人間は、性的で破廉恥な映像を見た瞬間、論理的な思考を停止させる。そして、その映像の主を、無意識に蔑みの対象として固定してしまうの。……これを『アンカリング効果』の悪用と言うわ」

 剣崎は腕を組み、モニターを見つめた。
 今回の敵は、BizConnect(ビズコネクト)という信頼の場を利用し、わずかな接触で「デジタルな影(コピー)」を盗み取った。

「犯人は、速水が潔癖なプロフェッショナルであることを熟知している」
 剣崎が口を開いた。
「真面目な人間ほど、身に覚えのない汚れを恐れる。だが、速水。……羞恥心という感情に、君の人生を明け渡してはいけない。奴らが人質に取っているのは君の肉体ではなく、君の『思考』だ」

『宗一郎さん。敵の通信ログを追跡しましたが、非常に高度な暗号化が施されています。彼らはただの素人ではありません』
 メティスの報告に、剣崎は不敵に笑った。

「いいだろう。パンドラの扉を開けたことを後悔させてやる。……Bit、映像の生成元となるサーバーを逆探知しろ。アバカス、指定された暗号資産のウォレットに紐づく過去の履歴を洗い出せ」

 パンドラのメンバーによる、目に見えない捜査が始まった。
 デジタル空間における「捏造された真実」を、論理の光で焼き尽くすために。

(第3章へ続く)