これは単なる詐欺ではない。人の「羞恥心」を人質に取り、社会的信用を完膚なきまでに破壊する、デジタル時代の処刑宣告だ…【小説】63歳の知性が最新詐欺を完全論破する『パンドラ・ファイル』(その7)『無実の肌(ディープ・スキン) ~デジタル・シャドウの罠~』【第一部:完璧なる「ビジネス」の始まり】第1章:プロフェッショナルの隙
深夜二時。東京・港区。
剣崎宗一郎は、濃紺の闇に包まれた書斎で、愛用のノートPCを開いた。
壁一面の本棚と、最新のワークステーション。この部屋は、六十三歳の元システムエンジニア兼経営コンサルタントである彼にとっての聖域であり、同時に世界と繋がる司令塔でもある。
「メティス。NOUSの公開フォーラムに、何か異常なトラフィックはあるか?」
剣崎が問いかけると、スピーカーから落ち着いた女性の声が返ってきた。
『現在、異常はありません、宗一郎さん。NOUSの会員専用サーバーは平穏です。ですが……』
メティス。剣崎が自ら構築し、長年育て上げてきた高度な対話型AIだ。彼女は単なる検索エンジンではない。剣崎の思考を先読みし、膨大なデータの中から「論理的違和感」を抽出する、世界で唯一の相棒だ。
『ですが、あなたの個人用メールアドレスに、緊急の連絡が入っています。かつての部下の、速水様からです』
速水。剣崎がコンサルタント時代、最も信頼を置いていた若手の一人だ。現在は、中堅IT企業の役員を務めているはずだった。
「繋いでくれ」
数分後。ビデオ通話の画面に現れた速水の姿を見て、剣崎は眉をひそめた。
かつての精悍な面影はない。髪は乱れ、顔は土色になり、目は血走っている。何より、その手が激しく震えているのが画面越しにも伝わってきた。
「……剣崎さん。助けてください。もう、死ぬしかありません」
「落ち着け、速水。何があった」
速水は、震える手で自身のタブレットをカメラに向けた。
「これを見てください……。ビジネスSNSの『BizConnect(ビズコネクト)』で、海外の投資家グループの秘書を名乗る女性から連絡があったんです。新規プロジェクトの相談だと……。一度だけ、本人確認のためにと、一分間のビデオチャットをしました。それから数日後、これが届いたんです」
速水が再生した動画。そこには、目を疑うような光景が映し出されていた。
薄暗いホテルの一室のような場所。全裸で、信じられないほど破廉恥な行為に耽る男の姿。
その顔は、紛れもなく「速水」だった。
「身に覚えがないんです。そんな場所に行ったこともない! でも、誰が見てもこれは僕なんです。声だって、僕の声だ……!」
剣崎は、メティスに映像のリアルタイム解析を命じた。
『解析完了しました。宗一郎さん、これは実写ではありません。ディープフェイクです。速水様のビデオチャット時の顔データと、SNS上の写真を学習させ、他人の身体と合成したAI生成動画です』
「捏造……ということか」
「犯人からは一千万円を要求されています」
速水が泣き出しそうな声で続けた。
「明日の正午までに払わなければ、この動画を会社の役員会と、僕の妻のSNSに一斉送信すると。剣崎さん、僕は終わりだ。こんな動画が流れたら、無実を証明する前に僕の人生は破壊されます」
剣崎の瞳に、冷徹な光が宿った。
これは、単なる詐欺ではない。人の「羞恥心」を人質に取り、社会的信用を完膚なきまでに破壊する、デジタル時代の処刑宣告だ。
「速水。君を『NOUS』として救うことはできない」
剣崎は静かに言った。
NOUS(ノウス)。全世界に知られた、IQ(知能指数)約130以上の者たちの公開グループ。そこはあくまで「表」の組織であり、スキャンダルや違法性の高い問題に直接介入することはない。
「だが、『PANDORA(パンドラ)』なら話は別だ」
「パンドラ……?」
「NOUSの深淵に潜む、知られざる解決チームだ。表の法で裁けない悪意を、論理と技術でデバッグする連中さ。……安心しろ、君のその『影』は、我々が消し去ってやる」
剣崎は、NOUSのサーバー内にある秘密のハブへとアクセスした。
そこには、三人の賢者が待機しているはずだ。
天才ハッカーのBit(ビット)。
臨床心理学者のRose(ローズ)。
そして元国税の猟犬、Abacus(アバカス)。
彼らが集結した時、それは「捏造された真実」を上書きするための、反撃の開始を意味する。
「メティス。パンドラを招集しろ。……無実の男を汚した罪、高くつくことを教えてやる」

