(全4回)壊される街と、奪われる民主主義 ―― 熱狂の政治から「私たちの自治」を取り戻すために【第1回】「小鳥が来る街」を嘲笑う権力者 ―― 地域の記憶と「改革」の正体
ある日突然「変な音楽」と呼ばれたメロディー
大阪市民にとって長年親しまれてきた、あるメロディーがあります。
「小鳥が来る街」――。
昭和を代表する国民的歌手、島倉千代子さんが歌ったこの曲は、大阪市の「緑化百年宣言」を記念して作られました。
大阪市内の街中で、一般ごみ収集車が収集作業を行う時のチャイムの音楽として、また市役所本庁舎の昼休みの合図として、大阪市民の日常風景にすっかり溶け込んでいたものです。
しかし、2012年末当時、突然いきなり現れた大阪維新の会の市長は「実はその時その本人は大阪市民ではなかった故にそういう大阪市の基本を知らなかった」のか、こともあろうに就任早々、自身のSNSでこう言い放ちました。
「お昼になると変な音楽が庁舎内に流れます」
そして、半世紀近く続いたこの歴史ある放送を、ツルの一声で中止させてしまったのです。(※後に島倉千代子さんの曲だということを含むこの曲の経緯を知らされ、慌ててトーンダウンしたというお粗末なおまけ付きでした。)
私には、この象徴的な出来事が、現在に至るまで大阪市、いや日本中を覆っている「異常な政治」の本質を何よりも雄弁に物語っているように見えます。

「愛着」ではなく「更地」を求める改革者たち
市民の生活の中で何十年も奏でられてきたメロディ。そこには「緑の少ない大阪に、小鳥が来るような潤いをもたらしたい」という、先人たちの切実な願いと歴史が込められていました。
しかし、維新のような勢力を象徴する自称「改革者」の目には、そうした地域の歴史や文化、人々の記憶の蓄積が全く映っていません。彼らが街を見る時、そこにあるのは「自分たちの手柄を作るための、都合の良い更地」でしかないのです。
だからこそ、自分の知らないものを「変な音楽」と即座に切り捨てることができる。そしてその傲慢な無知は、音楽にとどまらず、最終的には「大阪市」という一個の歴史と伝統があり、将来も有望な自治体そのものを解体・破壊しようとする『大阪都構想』の暴挙へと直結していきました。
地域の歴史を嗤う者は、憲法をも踏みにじる
そして、この「本来あるべきものを軽視する病理」は、地方政治にとどまりません。国政においても全く同じ構造が蔓延しています。
その最たる例が「憲法」への態度です。
日本国憲法第99条には、公職に就く者が負うべき「憲法尊重擁護の義務」が明確に記されています。公職に就く政治家であれば、まずは現行の憲法を誰よりも尊重し、その理念を現実社会で守り抜く努力をするのが大前提です。
しかし現実の政治はどうでしょうか。例えば自民党などのような、改憲を党是や方針とする勢力の多くは、この最も重い「公職としての義務」を平然とないがしろにし、立憲主義の土台を踏みつけた上で、真っ先に「改憲」を声高に主張しています。
地域の歴史を知ろうとしない者が、街を壊す。
憲法の尊重擁護義務を果たさない、つまりこの国の公職者としての基本が全くできていない者が、国のかたちを壊そうとする。
もちろん日本国民には「思想信条の自由」「言論の自由」などの権利が保障されており、「改憲」などの意見を持ち世の中に呼びかけ主張するのは自由です。しかし…「日本国憲法の尊重擁護義務」がある公職に就いている者は、その職務上の基本として、「憲法を尊重擁護」してその職務を行う、これは憲法により義務付けられたその職務上の最低限の基本であり、これを軽視や無視してその職務を行う者はその地位にあってはならず、本来直ちに公職を辞職すべきものなのです…ただし、その公職者がその職務上において「憲法の尊重擁護義務」をちゃんと守りながら職務に当たっているのなら、そしてその上で改憲について意見を言うのなら、きっとその場合だけは良いのでしょうが、それさえできない場合、その者は直ちにその議員や大臣や総理を辞職すべき性質のものです。
本来であれば絶対に公職に就けてはならないような「無知で傲慢な破壊者」たちが、なぜ、よりにもよって選挙という民主主義のプロセスを経て、圧倒的多数の議席を占めてしまうのでしょうか?

次回予告:なぜ私たちは、彼らを選んでしまうのか
彼らが多数派を占めてしまうのは、単なる偶然ではありません。
市民・府民の側にとって「まるで自殺行為」とも言うべき現象がまかり通ってしまう背景には、私たちの心を操る卑怯で詐欺的な手法が存在します。
次回は、本当の敵ではない者たちを「仮想敵」に仕立て上げ、自分たちを優位に偽装する「ポピュリズムの詐欺的手法」と、それに騙されてしまう社会の心理について深く分析していきます。
