【掌編小説】みかん(風まかせ文芸部)
「熱、高いな⋯⋯」
朝から体がだるいと思ったら、三十八度七分。今日は仕事を休んで、病院に行かねば。このタイミングで休むのはかなり申し訳ないけれど、今日は仕事にならないし、他の人に移してもいけないし。
「コロナかインフルか⋯⋯」
どちらでもなければいいな。ああでも、コロナやインフルなら強制的に休みになるから⋯⋯。
「ダメだ、病院に行こう」
思考がぼんやりしてきた。早く病院に行って薬をもらおう。
「コロナもインフルも陰性ですね。ただの風邪です。薬を出しておくので、よく休んでください」
そっか、風邪か。お医者さんに言われたら安心。でも、ちょっと残念。
何も食べられる気がしないけれど、食べなきゃ薬が飲めないんだよな。どうしようか⋯⋯あ。
「みかん⋯⋯」
昔、子供の頃に熱を出したら、必ず親がみかんの缶詰めを買ってきてくれた。懐かしいな。あれなら、食べられるかも。
ふらふらとスーパーに寄り、缶詰めコーナーに向かう。商品を手に取ると、親の顔が浮かんだ。手に落ちた雫は気付かないふりをして、レジへ向かう。缶詰めを持つ手に感じる重さと冷たさで、なぜか少し楽になった気がした。
帰り道、いつもは素通りする本屋の前で、ふと足を止める。店先に、子供の頃から連載が続いている漫画の最新刊が平積みされていた。
これ、まだ未完なんだ。というか、完結するのかな。してほしいような、いつまでも未完のままでいてほしいような。
子供の頃に目を輝かせて読んでいた記憶がよみがえり、つい手に取ってしまった。就職したあたりで買わなくなってしまったから、話の筋が分からないかもしれないのに。
全部、熱のせい。
みかんの缶詰めと親の顔を思い出したのも、筋の分からない未完の漫画を買ったのも、ぜんぶ、ぜんぶ。
家にたどり着くと早速缶詰めを開け、もそもそとみかんを口に運ぶ。ひんやりしたみかんが、甘いシロップと共につるりと喉を通り過ぎた。
少しだけ、熱が下がった気がした。
こちらのお題で書かせていただきました。
画像は、みんなのフォトギャラリーよりお借りしました。
