製造業向け|会議で報告されるのは、なぜ“起きた問題”ばかりなのか
会議の資料を見ると、だいたい問題が並んでいる。
不良が出た。
納期が遅れた。
クレームが入った。
手直しが発生した。
出荷前にバタついた。
もちろん、問題を共有することは必要だ。
起きたことを隠しても仕方がない。
原因を確認し、再発防止を考え、次に同じことが起きないようにする。
それは工場にとって大事な仕事だと思う。
ただ、会議に出てくる情報がそればかりになると、少し変な見え方になる。
問題が起きた仕事だけが、やたら詳しく説明される。
逆に、問題にならなかった仕事は、何もなかったように通り過ぎていく。
本当は、そこにも誰かの確認や判断があったはずなのに。
会議には「起きた問題」が乗りやすい
起きた問題は、分かりやすい。
数字になる。
写真に残る。
報告書に書ける。
誰が見ても、何かが起きたと分かる。
不良数、手直し時間、出荷遅れ、クレーム件数。
こういうものは会議資料にしやすい。
「今月はこの不良がありました」
「この案件で手直しが発生しました」
「原因は確認不足でした」
「次回からチェック項目を追加します」
ここまでは、よくある流れだと思う。
問題は、ここからだ。
起きた問題だけを見ていると、現場の見え方が少し偏ってくる。
工場では毎日、問題にならなかった仕事もたくさんある。
むしろ、問題にならずに流れていった仕事の方が多い。
けれど、それは会議ではあまり話題にならない。
何も起きなかった。
予定通り終わった。
無事に出荷できた。
それで終わってしまう。
でも、本当に何もなかったのかと言えば、たぶん違う。
問題にならなかった仕事にも、途中の判断がある
現場では、問題になる前に止まっていることがある。
図面の寸法が前回と違う。
支給品の品番が少し怪しい。
仕上げ条件がいつもと違う。
納期に対して工程の順番が危ない。
梱包してからでは確認しづらい部分がある。
こういう違和感は、作業の途中で見つかることが多い。
大げさな話ではない。
作業台の上で図面を見ている時。
材料を出した時。
加工前に寸法を追っている時。
組み立てる前に部品を並べた時。
その時に、誰かが少し引っかかる。
「これ、前と違わないか」
「このまま進めて大丈夫か」
「一度確認した方がいいかもしれない」
その確認によって、問題にならずに済むことがある。
しかし、会議には出てこない。
なぜなら、問題が起きなかったからだ。
少し不思議な話だと思う。
問題が起きれば、原因として記録に残る。
問題を止めれば、何もなかったことになる。
これでは、現場で拾われた判断が職場の情報として残りにくい。
「何も起きなかった」で消えてしまう情報
会議資料には、結果が残りやすい。
不良が出たか。
遅れたか。
クレームになったか。
手直しが発生したか。
これは分かりやすい。
けれど、現場の中には結果だけでは見えない情報がある。
どこで迷ったのか。
どこで確認したのか。
何を見て危ないと判断したのか。
どの時点で止めたから助かったのか。
ここが残らない。
たとえば、図面の違和感に気づいて確認した結果、仕様変更が分かったとする。
その時点で直せば、不良にはならない。
出荷遅れにもならない。
クレームにもならない。
だから、会議では扱われにくい。
「問題ありませんでした」
で終わる。
でも実際には、問題がなかったのではなく、問題になる前に止まっていたのかもしれない。
この違いは大きい。
何も起きなかったのか。
何かが起きそうだったけれど、途中で止めたのか。
この二つを同じ扱いにすると、現場の判断が見えなくなる。
会議が悪いわけではない
ここで誤解したくないのは、会議そのものが悪いという話ではない。
会議には時間が限られている。
細かい確認を全部並べていたら、話が終わらない。
毎日の小さな違和感まで全部報告していたら、資料だけで分厚い冊子になってしまう。
たぶん誰も読まない。
置き場にも困る。
だから、会議で扱う情報を絞ることは必要だ。
問題は、絞り方だと思う。
起きた問題だけを拾うのか。
それとも、次に同じ判断ができるような情報も拾うのか。
ここで会議の役割が変わる。
起きた問題だけを扱う会議は、どうしても後追いになる。
何かが起きてから、原因を探す。
壊れてから、直す。
燃えてから、水をかける。
それも必要だ。
ただ、工場を少しでも安定させたいなら、燃える前に焦げ臭さに気づいた情報も残した方がいい。
ファインプレーを表彰で終わらせない
現場のファインプレーという言葉を使うと、少し大げさに聞こえるかもしれない。
けれど、ここで言いたいのは、誰かを持ち上げたいという話ではない。
「よく気づいた」
「助かった」
「さすがだ」
そう言うだけなら、その場の感謝で終わる。
もちろん、感謝は大事だ。
ただ、それだけでは次に使えない。
本当に残したいのは、誰がすごかったかだけではない。
何を見て気づいたのか。
どの段階で止めたのか。
なぜ危ないと判断できたのか。
次から誰でも同じように確認できるのか。
ここまで残せれば、個人のファインプレーが職場の判断材料に変わる。
逆に、そこを残さないままだと、次もまた同じ人の勘や経験に頼ることになる。
それでは、会議で報告される情報は増えても、現場の判断はなかなか共有されない。
問題報告だけでは、現場の学びが半分になる
問題が起きた時の報告は、どうしても重くなる。
なぜ起きたのか。
誰が確認したのか。
なぜ止められなかったのか。
次からどうするのか。
この流れは必要だが、少し疲れる。
現場からすると、会議は怒られる場所のように見えることもある。
悪いことが起きた時だけ話題に上がる。
止めたこと、拾ったこと、確認したことはあまり見えない。
そうなると、会議に対する印象も偏っていく。
「また問題の話か」
「また原因を聞かれるのか」
「また再発防止か」
もちろん、問題から学ぶことは多い。
でも、うまく止めた仕事からも学べる。
問題にならなかった仕事にも、再現したい判断がある。
悪い結果からだけ学ぶのではなく、良い止まり方からも学ぶ。
そこを会議に少し入れるだけで、現場の見え方は変わる気がする。
報告するべきなのは、出来事ではなく判断の跡
会議で全部を報告する必要はない。
毎日の細かい確認をすべて拾えば、今度は報告すること自体が仕事になってしまう。
それはそれで、現場の負担になる。
だから残すなら、出来事そのものよりも判断の跡がいい。
何に違和感を持ったのか。
どこで止めたのか。
誰に確認したのか。
結果として何が分かったのか。
次からどこを見ればよいのか。
これなら、長い報告書にしなくてもいい。
一行でもいい。
メモでもいい。
会議の最後に一つだけ共有してもいい。
大事なのは、問題にならなかった仕事を、ただ「何もなし」で流さないことだと思う。
現場で止めた判断は、次の人の助けになる。
若手の教育にもなる。
同じような案件が来た時の確認ポイントにもなる。
営業や設計へ戻すべき情報にもなる。
そう考えると、会議で扱う価値は十分にある。
起きた問題と、起こさなかった問題の両方を見る
工場では、問題が起きる。
それは避けられない。
人が作業している以上、ミスもある。
確認漏れもある。
仕様変更もある。
図面の見落としもある。
だから、起きた問題を報告することは必要だ。
ただ、それだけでは現場の半分しか見えていない。
もう半分には、起こさなかった問題がある。
出荷前に止めた確認。
加工前に気づいた寸法違い。
組立前に分かった部品違い。
納期前に組み替えた段取り。
現場で拾った小さな違和感。
これらは、表に出にくい。
何も起きなかったからこそ、記録にも残りにくい。
でも、そこに現場の判断がある。
会議で報告されるのが、いつも起きた問題ばかりなら、一度見直してもいいのかもしれない。
起きた問題を責めるためではなく。
起こさなかった問題を自慢するためでもなく。
現場で何を見て、どこで止め、どう判断したのか。
その情報を、次に使える形で残すために。
問題が起きた時だけ現場を見るのではなく、問題にならなかった仕事の中にも目を向ける。
そこに、工場を少しずつ強くする材料が隠れていると思う。
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