切手という、私の物差し
切手を飾り直す
手紙を出すためではなく、ただ眺めるために、
手元に置いておきたい切手があった。
以前の私は、ときどき目白にある切手博物館へ足を運んでいた。
博物館の片隅にある小さなお店で、その日の自分が惹かれる一枚を探す時間が好きだった。
国も年代も関係なく、「なんだか気になる」と思ったものだけを選んでいた。
気に入った一枚を見つけ、ひとり静かに見返したり、切手を集めていた友人と交換したりして楽しんでいた。
旅先で手に入れたものや、海外のお土産に貼られていた切手にも、よく心を動かされた。
小さな紙片の中に、その土地の空気や季節が閉じ込められているようで、見ているだけでどこかへ旅をした気持ちになれた。
集めた切手はストックブックにしまってある。
普段はチェストの奥に眠っているけれど、ときどき一枚だけ取り出して、棚や机の上に飾ることもある。





かつて切手を選んでいたときの、揺るぎなさ。
切手の価値は、カタログの評価額ではない。
自分が「心地いい」と思えたかどうか。
ただ、そこにある美しさを愛でたいと思えたかどうか。
あの頃の私は、自分の感覚だけを頼りに、一枚ずつ選んでいた。
使うためだけではない。
眺めるためでもある。
ただ、そこにいてほしいもの。
暮らしは変わっても、その感覚はどこかに残っている。
切手を飾り直すことは、ぶれていた自分を、もう一度「真ん中」に置き直す、静かな調律なのかもしれない。
切手を飾り直しながら、そんなことを考えた。


おまけ|チェストの本

ページをめくるたびに、さまざまな人の「集めてしまうもの」に出会い、静かに満たされる。「物を集めることは、自分の核がどこにあるのかを、自分を支えているものが何なのかを知る行為なのだ。」という一文があり、私が切手や陶片、小さなものたちを手元に置いてしまう理由が、少しわかる気がする。
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