包装紙の儚さが教えてくれた「いま」という時間の輪郭
インクの匂いと、確かな体温
多くの人にとって、包装紙は、中身を取り出せばその役目を終えるものかもしれない。
けれど、私にとっては違った。
その店独自のフォント、特有のインクの匂い、指先に残る紙の質感。
お菓子の包装紙だけでなく、カツサンドの箱や、喫茶店のマッチ箱。それらに出会うためだけに、電車に揺られていたこともある。





紙ものは、その土地や店が育んできた、小さな文化の結晶のようなものだった。
包装紙に限らず、ロゴ入りの袋やリボン、小さな缶。そうしたものも、同じように手元に残してきた。




大切に保管している
けれど、店に行けば「いつでも会える」と思っていたそれらは、店が閉じれば失われ、あるいはいつのまにか店頭から姿を消していく。
とても私的で、脆い存在だった。
だから、包装紙や紙ものを集めるという行為は、ただの消費で終わるはずだった瞬間を、記憶としてそっと留めておくためのものでもあった。

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生活のフェーズが変わり、かつてのように情熱を注ぐ時間も、心の余白も少しずつ減っていった。
喫茶店でひとり過ごす時間は、日常から遠のいく。
増え続ける子どもの持ち物と引き換えに、かさばる紙ものたちは、少しずつ手放されていった。
そのたびに、切なさとともに、自分の中の余白が静かに削られていくような感覚があった。
それでも、「もう二度と出会えないかもしれない」と思うと、ふと手が止まったこともある。
ゴミ箱に入れられないまま残った、数枚の包装紙やマッチ箱がある。
あの頃の自分の感性を、すべて手放してしまいたくなかったのかもしれない。
いまはまだ、喫茶店のロゴ入りのペーパーナプキンを求めて出かけるところまでは戻れていない。
けれど、いつかまた、この愛しい趣味と静かに再会できたらと思っている。

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包装紙への情熱を思い出したとき、目に映る景色が少しだけ変わった。
かさばるものだと思っていた子どもの絵が、いまこの瞬間にしか存在しない、確かな体温を帯びたものに見えてくる。
失われていくものの儚さを知っているからこそ、目の前にある「消えゆくもの」の輪郭を、以前よりも丁寧になぞるようになった。
流れていく時間と向き合うひとつの方法として、その欠片をこぼさないように、拾い上げて手元に残しておくこと。
それが、自分自身の感性を守ることにも、どこかで繋がっている気がしている。
▽ この記事を書きながら、以前書いた
「民藝ノート」のことも思い出した
おまけ|チェストに眠るものたち
◉ 鈴木信太郎のポストカード
チェストのなかでも、鈴木信太郎のポストカードは、その鮮やかな色合いで空間をぱっと明るくしてくれる。

◉マッチラベル
役に立つか立たないか、その次元にはない。
ただ眺めるだけで、幸せな時間を運んでくるもの。

◉ お菓子の缶
手芸用に集めたリボンやボタン、はぎれをしまっている。SUSUCRE の缶には、子どもがお友だちにもらったお手紙を。

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