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持ち帰ったあとの時間

お出かけから帰ってきたその夜、子どもは、
持ち帰った石や、買ってきたぬいぐるみを、
ほとんど見なかった。

「あきちゃった?」と声をかけても、
袋はそのまま置かれている。


翌朝になると、吸い付くように眺めていた。

石の表面を指でなぞり、「ここ線がある」と呟く。ぬいぐるみの顔をじっと見つめ、抱え直す。


この時間差は、単に疲れていたから、
というだけではない気がしている。

ものと向き合える静かな時間を、
待っていたのかもしれない。
それは、気持ちが少し澄み、内側に余白が生まれる瞬間。



自分にも似た時間があった。

喫茶店や雑貨屋から紙ものを持ち帰っても、
すぐには開かなかった。
いったん鞄にしまわれたまま、夜の静かな時間になってから、ようやくベッドの上に広げていた。

包装紙、ショップカード、古いラベル。
何度も並べ直しながら、文字を追い、
手触りを確かめる。

その時間が好きだった。
むしろ「買う」ことよりも、そのあと静かに眺める時間のほうが、醍醐味だったように思う。



ビーチコーミングも少し似ている。
浜で拾ったばかりの陶片を、その場で理解できるわけではない。

持ち帰り、少し落ち着いてから机に並べ、光の下で見直しているうちに、急に輪郭が見えてくる。

鳥のように見える柄。滲んだ染付。
長い時間を通ってきた表面の鈍い光。

見ていたつもりのものが、後からゆっくりこちらに近づいてくる。



手に入れるという興奮が静まり、心に少し余白が生まれたとき。もの側に残っていた時間が、
こちらへゆっくり滲み出てくる。

集めることでも、所有することでもなく、
まだ名前にならない感覚へ触れ直しているような時間。


その浸透によって、見ていたつもりのものと、
自分とのあいだに、小さな関係が結ばれていく。

この静かな境目に、きっと何度も惹かれてきた。


ビーチコーミングでの、持ち帰ったあとの時間

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