土産ものを見る目と、甲斐みのりさん
子どもの頃から、観光地のきらびやかなお土産よりも、その土地にしか、その店にしか置かれていない、少し不思議なものに惹かれてきた。
少しボンドの跡がはみ出した貝細工の飾り。
いつからそこにあるのか、埃をかぶった郷土玩具。道の駅に並ぶ、地元のおばあちゃんの手作り作品。
いまで言うなら、昭和レトロや平成ノスタルジーと呼ばれるものなのかもしれない。
けれど当時は、ただ、周りとは少し違う方向を向いている気がしていた。薄々と「マニアックなのかな」と感じていた時期もあった。
そんな感覚のまま大人になり、古本屋で一冊の本に出会った。
甲斐みのりさんの本だった。

ページをめくるたびに、自分の「好き」が、すでにそこに言葉として置かれていることに驚いた。
ひとりで抱えていた感覚が、ほどけていく。
孤独だった趣味が、「ひとつのまなざし」として、すっと外の世界にひらかれていく。
続けて出会った、もう一冊。

ページをめくるたび、「あ、これ持ってる」
と、胸が小さくはずむ。
誰も手に取らないと思っていた貝細工が、本の中では「その土地の物語」を宿すものとして、丁寧に尊ばれている。
ひっそり集めてきたものたちが、迷いのない
「自分だけの物差し」へと変わっていく。
その過程は、「自分はこれでいいんだ」という感覚を、私の中にそっと残してくれた。

いまもそっと手元に置いているキーホルダー

甲斐みのりさんから受け取った「まなざし」
本が教えてくれたのは、単なるモノの紹介ではなく、「見つめ方」だった。
流行でも、コスパでもない。出会った瞬間のときめきを、そのまま受け取っていいということ。
子育ての中で「自分」がぼやけそうになるとき。チェストに残されたこれらの本が、「あなたのままでいい」と、そっと背中を押してくれる。
いまは、旅先で選んだ土産ものと、海で拾った漂流物(ビーチコーミング)を、隣に並べて暮らしている。

砂浜で拾い上げた陶片

人が作ったもの。自然が作ったもの。
どちらも「見つけ出した」のは、私自身。
それでいいのかを、確かめることはもう、あまりない。
手に取ったときに残る感覚を、これからも静かに信じていたい。


教科書のようなデザインに、惹かれている

おまけ|チェストに眠るものたち
フロッキー加工のものたち
かつて、お土産屋さんの棚に何気なく並んでいた、フロッキー加工のキーホルダー。
動物園や水族館、遊園地、牧場、サービスエリアなどで、よく手に取っていた。
いつの間にか見かけなくなり、その存在も記憶の奥へと沈んでいった。
ある日、チェストの奥の奥で、ふと見つける。
懐かしさが、声がなってこぼれる。

魚津の〈真珠コーナー〉で、いまも扱っていると知った。令和のいま、子どもと一緒に選びなおす。

かつて手にしたものと、時間をこえてもう一度出会う。
ひとりの記憶だったものが、家族の中へと、少しずつひらいていく。
▽ 海で拾う時間については、こちらに綴っています。
▽ 「土着の可愛さ」に惹かれた、ムツゴロウの箸置きの記録。
