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ブラインド・トラップ【風まかせ文芸部 / 抜道】

今しかない。絶好のチャンスだった。

犯罪者がばれずに犯罪をおかすなら、「この世界」ではこの機会しかない。男は、何年も前からその瞬間を待っていた。「許されざる願望」を胸の奥で温めながら。

命を狙う予定の相手は「眼無し」。義眼デバイスの装着を拒みながら生きてきた少数派で、今や社会の枠外に追いやられた人間。対して男自身は、世の多数派の「鈍色の眼」持ちだった。

仮に手にかければ、どれだけ巧妙に隠しても逮捕は免れない。この鈍色の眼は、国家の目だ。目を閉じたとして、暗闇のなかの動きまで中央監視局は把握している可能性だってある。逃れられないはずだった。

だが、その「眼」にも抜道がある。

義眼とは言え、結局は埋め込まれたデバイスだ。インターネットを通じてデータは中央監視局に送られる。そして、中央監視局がもっとも隠し通したいであろう弱点──ネットワーク障害時には、監視データが端末側に一時保存されるだけで、本部には届かない。

ネットワークの障害情報自体、極秘情報として扱われていた。国家全体の治安維持の要である監視システムが、物理環境に依存した「ただの機械」だということを、市民には悟られないようにやってきたつもりだったろう。

男はそこをつく。
……いや、つくためだけに生きてきたと言ってもいい。

男は常に考えていた。この監視機能の裏をかく、「罠」をはれないものかと。このデバイスの監視機能は、目に映るものを記録することはできるが、「人間様の脳の中」までは読み取れない。……そこをついてやる。

* * *

好きな女のデスマスクを作りたい、と発言して奇異の目で見られたのは何年前のことだったか。日本有数の大学を卒業し、名門企業に入ったというのに、入社後はその話題を肴に、先輩たちに何度も笑われた。

そのとき心に焼きついた、あの憎々しい顔。
──男は心の内で、押し殺した怒りと願望を二十年近く抱き続けてきた。

長年やってきた電気設備の仕事。年次点検、法定保守。その知識を使えば、いずれ中央監視局の巨大サーバルームに潜り込めるかもしれない。行くまでに何十年もかかる業務ローテーションだとしても、諦めるつもりはなかった。

自身の、監視義眼の同期ログは一般人でも確認可能だ。男は、毎年ほぼ同じ時期にわずかな「同期遅延」が発生していることを見逃さなかった。誤差範囲にすら入らないごく微細な遅延だが、男にはわかった。

──きっとこれが、法定点検のタイミングだ……。

サーバルームの、年一度だけのシャットダウン。全国民の視覚データが網の外に落ちる、唯一の瞬間。

そこに保守人員として入り込むため、男は十数年以上もかけてキャリアを積んだ。注意深く、慎重に、決して怪しまれぬよう……。

* * *

法定保守の日──。男は同僚十数名とともに、目隠し同然の状態で巨大なサーバルームへと案内された。作業員が「余計なもの」を見てしまう事件が多かったため、だろうか? 情報漏洩回避の観点からか、今では作業者には厳重な透明フェイスシールド型ブラインドの装着が義務化されているらしい。

そして、保守作業は厳格な分担制だ。初日は電源系と冷却系の開放と点検を担当する初日班。翌日は、ログ再調整と再起動を担う二日目班が入ると直前になって知らされた。

初日班が担当するのは停止および点検作業までで、作業終了後は全員速やかに退去させられる。システムの内部構造を長時間見せぬための、半ば儀式のような運用なのだろう。この手の大手サーバルームではよくある手法だ。

「鈍色の眼」の導入以降、確かに犯罪は激減した。罪をおかせば最後、問答無用で捕まる。緊急時は、警察からのデータ提供申請よりも先に、多層AIにより先行処理された情報が提供される仕組みらしい。

だが、仰々しい相互監視の仕組みにより、見えないフラストレーションは確実に蓄積していた。国民全員のストレス値が、義眼アプリの解析結果として誰にも言えぬ形で蓄えられている──そんな噂まであった。

男は作業に取り掛かりながら、悟られぬよう自分で仕込んだ「異常」が正常に働いていることを確認する。作業時に装着された面材によるブラインドは、外界の視界を完全に遮断するかわりに、作業員同士の目線や細かな手元の意図も互いに読めなくした。これは、細かい仕込み作業の際の視線を周囲から気づかれなくするのにかえって好都合だったと言えるかもしれない。

変圧器の絶縁抵抗値の微下落……。冷却ファンのランダム回転ブレ……。そして、内部ログに混ぜた「経年劣化のようにも見える」揺らぎ。

この仕込みで、二日目班に大幅な「追加作業」が見込まれる。保守は長引くだろう。初日班の自分には関係がない。予定どおり、夕方には解放された。

「サーバがダウンし、ネットワークが途絶しているなら、その時点でデータは取られない、安全だ」と、素人ならば思うかもしれない。

しかし、実はそうではない。正式に公開されている情報ではないが、ダークウェブから出た情報やら、義眼埋め込み医師の語った内容やらで、こっそり知られる「裏の常識」がある。

義眼デバイス・鈍色の眼には、キャッシュ容量が30GBあり、障害発生等でネットワーク不通の状態でも、AI圧縮された動画データが「最大24時間分」までは本体に蓄積される。そして、溢れた古い映像はリングバッファ方式で自動的に上書きされていく──。

そして、男ももちろん、その情報を把握していた。

だからこそ、今回の「罠」を仕込んだわけだ。

* * *

翌日。男はいつも持ち歩いている仕事用具のケーブルを懐にしのばせ、郊外の人気のないアパートへ向かった。

好きだった女。誰にも言えず、ただ心の底で神聖視していた存在。今、その命の最期の表情を、この手で永遠に刻みつけようとしている。

彼女がどの時間に、どの方向に向かって歩いてくるかも男は把握していた。

「……これでやっと、手に入る……」

人通りの少ない時間、暗い通り。男はケーブルを巻き付け、両手に力をこめ締めあげる。しばらくして、女の呼吸が止まった。静寂が、世界を満たす──。

今は、22時……。ここから24時間、二日目班が作業し続けてくれれば、「この時間」までのキャッシュの監視データは破棄される。

男は現場を去り、できるだけ離れた場所へと移動をはじめた。
まあ、自宅へ帰ることにすれば安全だろう。

タクシーに乗り込み、動悸もおさまらない状態で、頭の中で必死になって考えた。仕事柄ケーブルを持ち出すのは自然……問題ない。明日の休日も、目立った行動をとらず大人しく過ごしていればいい。

明日の22時以降に、保守作業完了の知らせを受ければ、その完了時から24時間前までの──つまり「穏やかに日常生活を送っていた」──データだけが中央に送られるはずだ...…。

しかして、その次の日の二日目班の作業日。

朝。昼。夕方……。男にとって、どれだけ長く感じられたことだろう。決定的な行動を起こした、22時。それまでに通知が来れば、そこで人生は終わりだ。

だが、男の期待通り、待っても通知が来ることはなかった。そしてとうとう、22時を過ぎた。気持ちにゆとりが生まれる。賭けに勝ったのだ。自分を捕まえられるものなら、捕まえてみるがいい。鈍色の眼の監視に頼り続け、能力の衰えた警察どもに、そんなことができるものか。

夜も寝ずに通知を待っていた男。保守終了、サーバ稼働開始の連絡が業務端末の内部チャットに届いたのは、深夜2時を過ぎたころだった。

男は勝利を確信し、安心して眠りにつくことができた。

しかし、自身の義眼の鈍色のレンズが、そのときひっそりと青白く点滅したことに、男は気づいていなかった。

* * *

その初老の医師は、スマートグラスでアプリのニュースを確認していた。

女を殺した男の幕切れは、なんともあっけなかった。無表情で彼を取り囲む警察たちに、目を丸くして驚く男……。

力任せに首を絞める姿も。
地面に横たわる女の、冷たく白い頬の線も。
そして死者の顔をしばらく見つめていたことも……。

二日目班の作業が終わり、サーバルームが再起動すると同時に、映像データはすべて中央監視局によって回収されていた。

──また、鼠がかかりおったか。

医師の男は、その犯罪者が捕らえられたニュース記事を追いながら、思考する。

──おおかた、中央監視局があえて流している義眼の偽スペックに騙された犯罪者といったところだろう。30GBのキャッシュ領域は嘘……実際は、ひとりあたり1TBある。義眼には、24時間どころか数週間分の映像を保存できる容量があるというのに。まだこの「ブラインド・トラップ」にかかるやつがおったとはな……。

医師はアプリを落とし、チェアに深く腰掛けた。

──真実を知るのは、私らCEEMO(シーモ:中央眼科義眼埋め込み医師)等の有資格者くらいのものだ。この情報を口に出したり、文字に起こすことは決して許されないが……。

ここで医師ははっとした。瞳を閉じて、にやりと口元に笑みを浮かべる。

──私も甘いな。中央監視局がCEEMOに知らせている情報とて、真実とは限らない、か……。

表向き安全に見える夜は、今日も静かに更けていった。


※以下の企画に参加させていただきました。

※以下は関連作品になります。


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財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。