卒業はクリームソーダ【風まかせ文芸部 / 卒業】
カフェの前を通るたびに思う。誰が食べているんだろう。
どう考えても高すぎて頼めない、でっかいパフェ。あこがれるのはきっと若い子たちだろう。でも、買う余裕があるのはもっと年齢層が高めの人たちな気がする。
私たちみたいなのは、クリームたっぷりのパンケーキだって、年に一度食べられればいい方。ちょっと背伸びしても、クリームソーダが関の山だ。
お母さんや、伯母さんがよく言っている。時の流れが怖いとか。年をとることが嫌だとか。今の私にはまだ、そういった感覚はない。けれど、その感覚を覚えてしまったら、あのパフェは今ほど輝いては見えない気がする。
どうせ考えてもいつも同じなのに。私はたまに、こうして立ち止まってしまう。ケースの中の偽物のパフェの前で。
* * *
卒業式が近かった。
もうすぐ、高校生活も終わり。長かったような、短かったような日々。
無難に過ごした高校生活だったけど。ずっと、引っかかっていることがあった。こと、というか人なんだけど。
清水咲良。体育のあとも、昼休みも。彼女はひとりで、他のクラスメートと違う行動をとっていた。
昼休み、ほとんど人がいなくなった教室。その窓際で、たいていイヤホンをつけてスマホを見るか、本を読んでいた。彼女の手元の本には、いつも水色のブックカバー。日の光が斜めに差して、照らされていた彼女の表情もよく覚えている。
「ああいうふうに一人でいられるの、楽なんだろうな」と思う反面、「でも、ああなったら終わりだ」という気持ちも強くあった。
後ろを向いて友人と話すとき、どうしたって視界の片隅に、清水咲良の姿が写り込む。ふとした拍子に、彼女がこっちを見たとき。私は目を合わせたら、何か見透かされそうな気がして、逸らしてしまった。
たぶん、ちゃんと話したのは、あの一度だけだったと思う。
ちょうど、一年くらい前。今年度すぐの時期で、たしか桜の咲いていた季節の朝早く。学校玄関口の自販機で、私がひとりでジュースを買おうとしていたとき。
ピーチソーダを選んだつもりだった。けれど、ガコンと取り出し口に吐き出されたのは、無情にも、飲んだことすらないブラックのコーヒーだった。ぽかぽかとした陽気な風にあてられたせいか、手が滑ったのか、理由はわからない。
貴重な百数十円をふいにして。それも買いたいものを買えるタイミングでやらかしてしまった私は、誰もいない自販機前で文字通り頭を抱えた。
そこに登校してきて、声をかけてくれたのが清水咲良だった。顔で、なんとなくお互い同じクラスっぽいことだけはわかっていた。
「どうしたの。」
「いやあ……桃のがよかったんだけどね。ブラック押しちゃってたみたいで。」
それを聞くと、咲良も同じように自販機に小銭を入れて、ピーチのボタンを押した。当然と言うべきか、出てきたのは、ちゃんとした桃だった。
「どうぞ。」
差し出された手に、ピーチソーダがある。私が固まっていると、彼女は少しだけ表情を和らげて言った。
「コーヒーの方は、私が飲むから。」
鈍い私は、ここでようやく、彼女が自分が飲むから交換するために買ってくれたのだと気づいた。咲良の声はやけに落ち着いていて、まっすぐな目をしていた。
お礼も言えないまま、彼女は私の手からコーヒーを抜き、桃を渡して下駄箱の方へ向かった。
後姿を見ながら、私はピーチソーダ缶のプルタブに手をかけ、炭酸の抜ける音を聞いた気がする。その場の私には、缶を持つ冷たい感覚だけが残されていた。
* * *
私は中学でのことがあったから。私は高校では、慎重に行動していた。
いつも決まったグループに属して、同じような格好をして。あまり自分を出さないように。そっとみんなの陰に、溶け込んでいた。
自販機前でのことがあってから、私は咲良と、もしかしたら友達になれるかもしれないと思っていた。けれど結局、私は愛子や七海といった、別の女子グループに属することになった。……というより、彼女の方がどのグループにも属さなかった、という言い方の方が正しいかもしれない。
咲良はずっとロングの黒髪で、お洒落な格好もせず、眼鏡をかけていた。でも長身でスタイルがいいもんだから、そのおかげで、嫉妬の対象になった。彼女は大人しくいつも本を読んでいることや、Vtuberのグッズをいくつか身につけていること。そういった部分も、標的にされていた気がする。
いつしか、どの女子グループからもハブられていて。みんなあんまり近づかないという構図ができていた。いじめってほどじゃない。彼女には、夜の街で働いているらしい、という噂だけがひとり歩きしていて、だから誰も近づかない。
でも、別に彼女は学校を休まないし、困ってもいないように見えた。本を読む横顔はいつも凛としていて、困惑や苦悩の気配はなかった。ブラックコーヒーを美味しそうに飲み、苦味を我慢している風でもない。
それが一層、私の興味を引いた。
* * *
私は、中学のころ、失敗した。
中一の春。つまらないことで、目立ってしまって。小学校のときから付き合いのあった幼馴染の男子とのノリが、一部の女子からウケが悪かったとかで。くだらないトラブルに巻き込まれて。登校に向かう足が重い時期があった。
できるなら、やり直したい。
あんな失敗で、三年間。駄目にしたとまでは言わないが、浮上するまでかなりかかった。溺れずに生還して、地元を離れた高校では「間違えないよう」に言動を選択してきた。
「印象、変わったね」「大人っぽくなったね」と、小中学校のころからの友人は口々に言う。そりゃあ、学校が違えば見えないこともある。
快活で、歯に衣着せぬ物言いをしていた私も。性格が大きく変わったとは思っていないが、どうしたって口数は減る。大人っぽい振りも、処世術的に身についたものだ。
その実、自分を押し殺して耐えていただけだったとしても。そこそこ安心で、それなりに安全な学校生活が保証されるのなら。引き換えにしたっていい。そう思って、高校三年間をやり過ごしてきた。
友人グループとはまあ仲良くやれているし。このまま卒業式まで凌ぐだけだ。
しかし咲良は、ひとりでも平気そうだ。本当は寂しかったりするのだろうか。中学のころの私は、誰かに声をかけてもらえたら、と思うことがたまにあった。
ただ、同時にこうも思う。
あの子の場合は、大丈夫なのかもしれない。
肘をついて、黒板を見ながら思う。
──私も、彼女のようだったら。あのパフェを一人で頼めるんだろうか。
教室のぬるい空気が、どこか息苦しく感じる。もうこのころ、暖房を入れるには、外も温かくなりはじめていた。
* * *
ある日、ちょっとした事件があった。卒業式のアルバムづくりについての、学級会の決定事項。グループ数名で、写真を撮って持ち寄ってページをつくることになった。
そこで、私のグループの愛子が、わざと清水咲良に声をかけた。
「ねえ。清水さんは誰と撮るのー?」
いつもひとりの彼女に対して、意地の悪い質問だった。クラスの誰もが、その答えに窮すだろうと考えた。しかし咲良は、淡々と答えた。
「お構いなく。私はひとりで撮るから。」
顔も向けずに、言い切った。あしらわれたことで、愛子の顔は真っ赤になっていた。まだ何か言い出しそうだったので、「まあまあ、もうやめなよ」と諫めておいた。
私の言葉も、思えば言わない方がよかったと思う。愛子の、クラスやグループでの立場は強いからだ。好きなようにさせてやればいい。でも、つい口が出たのは、たぶん私の意識が咲良の方に行っていたからだ。
へらへら笑うでもなく。どもることもなく。顔色ひとつ変えずにばっさり切り捨てた姿が、格好いいと思った。昔の私ができなかったこと。持っていなかったものを、そこに見た気がした。
* * *
「ほんとあいつ、まじむかつくよね。どうせ友達もいないくせにさ。」
愛子はそう言って、カップの水を揺らした。顔は笑っていたが、その声はどこか落ち着きがない。
「そうだよね。」
七海がそれに同調する。誰かの悪口や学校の愚痴。別にいつもの、下校途中のカフェでの日常だ。私は、反論しないように、うんうん、と頷く振り。これも、いつものことだった。
紅茶のカップに自分の顔の影が映る。
──紅茶も、安くないんだよな。
本当は、せっかく大事なお金を使うんだったら。この店なら、クリームソーダを頼みたかったな。
でも、言わない。
ひとりだけ、少し高価なものを注文するとか。変わったものに手を出すとか。人前では、仲間内では、しないようにしている。このときふと、桃のソーダを手渡してくれた、あのときの咲良の表情が脳裏に浮かんだ。
──あの子だったら……。
「げ、あいつ、いるじゃん。」
七海が指を差した方に、清水咲良がいた。ひとりで、スマホで何かを見ながらコーヒーを飲んでいた。
「ムカつくから、通りがかりに水ぶっかけてやろうか。」
愛子がカップの水を揺らしながら言う。私は黙っていた。別に誰にも迷惑かけてないんだから放っておけばいいじゃん。そう思ったけれど。
「てか、いかがわしいバイトやってんでしょ、あの子。」
「あー、あの噂。」
愛子が悪びれもせず、軽く言う。
「あの噂、流したの私だし。」
私はカップを持つ手が止まった。今なんて? 清水咲良が、みんなから距離を置かれているのって、それじゃ、愛子のせい──。
「それ……ちょっとひどいんじゃない? 」
思わず、言ってしまった。これまで沸々と私の中に溜まっていったものは、私の器は、もうこのころには摺り切りいっぱいくらいになっていたのかもしれない。
「は? なんで?」
愛子が眉根を上げて、こちらを睨む。言われた内容じゃない。彼女は、「私が意見したこと」に反発している。吐き捨てるように愛子は続けた。
「庇うんなら、あんたが写真一緒に撮ってやれば。」
卒業が近かったから。もう少しの我慢、と思っていた。カレンダーを見るたびに気が重くなっていた自分を思い出す。
なんで私は今、あれだけ自分の心を押しつぶした、「あっち側」の人間と一緒にいるんだろう。
「……そうだね。私、ちょっと声かけてみようかな。」
愛子と七海が、口を開けてこちらを見ている姿がどこか滑稽だった。それが、彼女らをまともに見た最後だったかもしれない。
* * *
私にとって卒業は、クリームソーダに似ていた。
さくらんぼに、アイスクリーム。いちばん上には、いつも目立つやつらがいて。底のほうには、名前も思い出せない顔ぶれが沈んでる。
でも、私があとから気になってしまうのはいつも。
アイスとソーダの間にある、溶けきらなかった氷の層。しゃりしゃりと甘くて、少しだけ冷たい。……でもなんとなく、忘れられない人。
その存在が、咲良だった。
高校生活で一緒に過ごした時間は、ほんのわずか。大学は違うし、今も頻繁には連絡を取りあえない。
「ねえ、清水さん。」
思い切って声をかけたとき。最初は、怪訝そうな顔をされた。
信用されていなかったと思う。元々愛子らのグループにいたのだから当然だ。けど、話しかけてよかった。彼女は私が、偽りの自分から卒業するきっかけをくれた恩人でもあるのだから。
打ち解けられたのは、共通の推しVtuberの存在が特に大きかった。コーヒーと桃ソーダを交換してくれたことについて、きちんとお礼を言えたことにも、ほっとした。彼女は彼女で、ひとりでも平気だけど、声をかけてくれてうれしかったと正直に言ってくれた。
あれは、卒業式の間際だったと思う。彼女の家に一度、お呼ばれした。
クリームソーダを頼みたかったのに頼めなかった、という話をしたら、咲良は笑っていた。
「そんなの、飲みたきゃ作ればいいじゃん。」
「えっ、クリームソーダって作れるの?」
そう言って彼女は、自宅でレモン炭酸水にメロンのかき氷シロップを入れて、アイスクリームを浮かべて出してくれた。
炭酸のはじける音。お店よりも少しチープだけど、誰にも気兼ねしない味が、胸に沁みたのを覚えている。
あれが私の、卒業の味だ。大きなパフェを頼める年齢になっても、あの味はきっと、変わらない。
私の手元には今も、ふたりで撮った写真が載った、卒業アルバムがある。
そのページを開くたび。
あのときの空気が、炭酸の気泡みたいに──ふっと、よみがえる気がする。
※以下の企画に参加させていただきました。
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。