善意の配膳【三題噺】
学生支援課。ボランティアセンター前の掲示板に、その張り紙はあった。
『【学生の皆さんへ】K県豪雨災害 ボランティア募集』
淡々と、日程や集合場所、保険の有無などの情報が載っている。
最初は、正直なところ、履歴書に書けると思った。深い理由があったわけじゃない。時期としてちょうどよかったし、行けば何らか人の役にも立てるらしい、という程度だった。
その日、俺はひとりバスで現地に向かった。友人にも声をかけたが、バイトやら飲み会やらを理由に断られた。単位にならないんじゃなあ、と言う者もいた。まあ、それもよくわかる。
九月の、夏休み後半。天気は悪くなかった。湿気を含んだ生ぬるい風が、車窓から入り込んできていた。
* * *
大雨の被害にあった、その町にたどり着いた。
現地の状況は悲惨だった。故障したエアコンを目撃する。家の外には、濡れた段ボールや家財が積み上げられており、その家の家主だという人が「去年替えたばかりだったのによ」と虚ろな表情で話していたのを耳にした。
少し前に、実家のエアコンも故障した。けれど、壊れてもすぐ業者を手配して数日後には稼働していた。このエアコンの場合、もう二度と動くことはないのかもしれない。
これまで自分は、災害ニュースは「見るだけの側」だった。でもそれが今は、現実の光景として目に入ってきている。
避難所の外にメンバーが集合した。
どうやら自分は今日、豚汁をふるまう手伝いをするらしい。大学には実家から通っていたし、普段はあまり料理をしない。そして豚汁は初めてだった。
少しいかつい感じの男性が現れて、名簿チェックが行われる。自治会の世話役かなにかなんだろうか。サングラスとあご髭が、ベテラン感を醸し出している。やけに手馴れていて、炊き出し経験も豊富といった素振りだった。
その人に、腕章やゼッケンのようなもの──現場ではビブスとか呼ばれていたけど──を渡される。初参加なので勝手が分からず「初心者です」と言った。
その言葉にサングラスと髭の男は「ああそう」、と特に気にも留めずに分担の割り振りを進めていた。まあ、俺の抱えている不安なんて、取るに足りぬものでしかない、ということかもしれない。
他のボランティアに来ていた人に聞いたところによると、リーダー格のその人は有名な人で、もちろん陰でのあだ名だろうが、「髭さん」と呼ばれていた。
分担を決めて準備を進めている頃、少し強めの雨が降りだした。天候がまだ、安定していないのだ。
「通り雨だろう。すぐ止む。」
髭さんはそう言って、手を止めずに準備を進めていた。
* * *
現場には、蒸した空気と、濡れた土。そして家財のまじった匂いが立ち込めていた。
俺は、野菜をひたすら切る担当に回された。最初は慣れなかったが、途中からは効率を考えてさばけるようになっていた。包丁の音は雨音に吸い込まれるように、静かだった。
単調な作業だし、バイト代が出るわけでもない。ただ、自分の行いが「誰かの助けになる」と思えることが、気持ちを前向きにしてくれていた。人を助ければそれは善行だ。やればやっただけ、良いと思っていた。
「寸胴、ちゃんと洗っといて!」
「味見は最後、俺がやるから!」
都度都度、大きな声が聞こえたと思うと、髭さんだった。仮設テントのビニール屋根を雨がばちばちと打ち付ける音に負けないくらい、よく通る声。彼自身も作業しながら、人員の手が空かないように現場を見て指示を出していた。バイト先に先輩でいると心強いタイプだな、と思った。
みんな、無駄口をきくこともなく、黙々と作業していた。俺は野菜を切る作業を終えたあとは火の番を任されて、その頃には小雨になり、晴れ間が差してきていた。
* * *
湯気とともに立ちのぼる、味噌の匂い。何度も汗をぬぐって、ようやく炊き出しの豚汁が仕上がった。最後に、折り畳みの机を二台並べただけの配膳台へ、寸胴を持ち上げて運ぶ。
ふたつのうちのひとつは、俺が運んだ。「運んでくれるか」と髭さんに言われれば、断るわけにはいかない。俺が任されたのは、肩幅が広くがっしりしていたからだろう。もっとも、スポーツなんてやったことはなかったが。
ここにいるみんなの善意を背中で引き受けたような感覚に、緊張が走る。足元も決してよくはない中、両手に力を込めて配膳台へ寸胴を移す。途中、鍋底が下に引っ張られ、身体が揺さぶられる感覚があったが、なんとか無事任務は遂行した。
そうしてできた炊き出しの列は、思っていたよりずっと静かだった。文句も出ないまま、ただ伸びていく。俺たちはメンバーそれぞれ交代で、配膳をした。お玉の感触と、鍋の縁が器に触れる鈍い音が、ときおり響く。
正直、揺れる汁の表面を目で追うばかりになってしまい、人の顔を見る余裕はなかったが、中には俺たちに感謝を伝えてくれる人も多く、心が温まった。
寸胴が軽くなってきたとき、ちょっとした出来事が起こった。
* * *
次に並んでいたのは小さな子どもだった。分量を量る手が止まる。
薄汚れた服を着て、見るからに痩せて、腹を空かせてそうだった。家の事情は分からないが、育ち盛りにこんな豚汁一杯で足りるもんだろうか。
列にはまだ、後ろに人があった。寸胴の中身は、傾ければ底が見えるかどうかくらいまで減っている。豚肉の数を確認して、この子に多めによそってあげられないだろうかと俺は思った。
「全員に行き渡らせるのが先だ。」
それは、隣でよそっている髭さんの声だった。横顔のサングラスの中に見えた瞳は、なんだか悲しい色をしていた。
次の人の分……。俺は、その子にも通常の量をよそい、誰の顔も見ないように、その後も配膳を続けた。
そして列が終わった。寸胴は、ひとつは空になり、もうひとつにはほんの少しだけが残った。
* * *
残った豚汁は、メンバーでひとすくいずつ、紙コップによそってもらって食べた。正直、味見程度の量だった。一番動き、一番疲れているだろう髭さんは、いらないと言った。
俺は、立ったまま、急いですする。顔に、湯気が当たった。匂いは、日常でよく口にする味噌汁のものだ。めちゃくちゃ、美味しい。美味しいし、温かいけれど、どこか落ちつかない感じが残った。
俺はこんなに美味しいものを、普段は何も考えずに食べていた。そして、気付けば解散となり、俺の人生初のボランティアの時間は終わった。
帰りのバスの中で、考えていた。
──ボランティアは、善意を人に繋ぐ行為だ。でも、よそってあげられる善意の量が、決まっているとき。
どうすればいい?
バスは変わらず、田舎の道を走っている。窓の外の景色が上下に揺れながら後方に流れていく中で、とりとめもない思いが、俺の中で浮かんでは沈んだ。
──髭さんはあのとき、何を考えていたんだろう。
履歴書に書けるからと参加した、このボランティアで。お玉を持つ、この手を止めたあの一瞬が、今も脳裏によみがえる。
俺は、履歴書に、今日のことをどう書けばいいのか。
まだ、わからない。
※以下の企画に参加させていただきました。
《今週の三題噺》
1.通り雨
2.故障したエアコン
3.豚汁
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書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。