見出し画像

空白の読み方【創作】

塙坂はねさかは、怪訝そうに僕のノートPCの画面を覗いた。

「しょーへー。なあにを、考えこんでんの。」
「ん、いや。」

知らず知らずのうちに、いつもの姿勢になっていた。考えごとをするとき、机から離れるように伸びた姿勢で、低く腰かける僕の癖。小説を書く部活でありながら、いるだけでなにも書けない日は多かった。

「自分のコメントを消して、高評価まで消して去る人の心境を推察していた。」
「ふーん。おもしろそ。」

塙坂は、面白くなさそうに視線を外した。僕がここで困っていたり、悩んでいたりもすれば面白そうにしたかもしれないが、僕もそうそう彼女のいいようにばかり思われたくなかった。

「それって、なにがあったの。」

塙坂は、離れた机で自身のノートPCをモニターにつなぎながら、こちらに話を振った。興味があるのかないのか、いまいちわからない。僕はかいつまんで説明した。

創作系のプラットフォーム。最近まで、その記事には静かなやりとりが残されていた。「自身のコメント欄を整理したい」という記事の作者に対して、それまでその作者の記事に多数コメントを残し、高評価を付けていたある読者が、そのすべてのコメントや高評価を削除していなくなった。そんなような話だった。

「僕はこれ、あんまり知らないプラットフォームなんだけど、高評価の仕組みとかコメントの影響とかどうなのかな。ハネちゃん、ここで投稿したことある?」
「あー、アカウント持ってたことあるよ。コメント欄、けっこう重要だと思うよ。おすすめにも乗りやすくなるから。」
「ふうん。コメント消したり、高評価を削除したりしたらその分、クリエイターからしたら、損するってことなのかな。」
「どうだろうねえ。」

そのクリエイターの主張は明白に見えた。

その削除して去った読み手が、記事に関連性が薄く、かつ自己主張の激しいコメントを複数回繰り返していた。

その読み手に対し、クリエイターはオブラートに包んで「ほどほどであればよいが、新規の方が入り込みやすい場所にしたいので」と言い換えて、コメント整理の対応をお知らせしていた。

要は、自分の記事のコメント欄の自治のために、コメントを削除させてもらうかもしれません、というお知らせだ。

そうすると「書き込んでよいと誤解していた、どうもすみませんでした」のような書き込みを残し、読み手が先の振る舞い、つまり自身の残した履歴の全削除を行ったという流れである。

ふっ、と塙坂が吹き出して言った。

「はっ、なんじゃこりゃ。寒いからエアコン1度あげて、って言っただけなのに、曲解して施設の全部屋のエアコンを消して回るみたいな行動だね。」

塙坂のたとえは絶妙だった。

「うん。で、去った人の心境を言語化できるかな、って考えてみると、けっこう面白いなって。ハネちゃんはどう思う?」
「……そうね。」

一瞬だけ表情が固くなる。少し考えて、指先で机の表面を二度ほど叩いてから言った。

「この読み手は、思い込みが激しくて『関係性の微調整』に耐えられない人に見える。だから、私も偏見マシマシで言うとすると……。

 内面の不安を、事実確認よりも先に『物語』にしてしまっている。

 だって普通の人は、距離をはかろうと牽制する相手がいた場合、仮説を立てると思う。証明が目的でなくても、客観的なデータや実験を通して、少しでも正しいものに近づくために。

 この場合は、距離の調整がそれにあたると思う。それでようやく、健全なコミュニケーションになる。

 例えば、読み手である自分の行動のどこかに『クリエイターにこう思わせる要素はなかったかな』とか。そういうちょっとずつの内省を含めた、仮説ね。

 この人は、拒絶されたとか、迷惑だったとか。そういう思い込みで『確定』扱いにしてる。 関係の調整をすっ飛ばして、関係の終了に飛躍する。

 距離を測る代わりに、ゼロか百かで処理するってのは、『潔さ』や『美学』の押し付けで、自分の不安処理を正当化しているだけ。

 相手の解釈権を奪って、イニシアチブをとった気にでもなっているんじゃない? 実際は『自分で自分を貶めている』だけの行為なのに。」

少し考えただけのはずだが、塙坂は饒舌で、淀みなかった。書くのも推敲が要りそうな文章を、よくもまあスラスラとここまで声に出して紡げたものだ。僕の古くなったノートPCよりもずっと、熱を持った語り口だった。

「……その、『自分で自分を貶めてる』の根拠は?」
「だって、コメントだけでなく高評価も消して回るって、『私は処理技術が未熟だ』っていう評価を自分に与えるだけじゃん。最初の高評価に自分の意思はなかったのか。コメントを書く前や消す前に相手のことを考えられなかったのか。

 流れから見るに、『自分の意思を撤回して消した』んじゃないよね。なにか言われた。その言われたことを理解しようともしないまま、わけわかんなくなって癇癪起こしてるだけにしか見えない去り方じゃん。

 要は対人認知も不安定だし、幼稚なコミュニケーションしかできないからこうなってんだと思う。

 決めつけ。思い込み。勝手に拒絶されたことにして、その関係性を、自分の手でなかったことにする。

 自分の美学だけで相手との距離を決めるって、要するに相手の境界を無遠慮に踏み越えてるんだよ。

 必要な距離調整を、勝手に関係断絶ドラマに変えて解釈して。

 ……最初は、善意で行動してたはずの読み手なんだよね、たぶん。じゃあ、その高評価の解除やコメント削除は、『善意だった証拠』を消して、自分の悪意だけをそこに残す行為だよ。

 『相手のため』でなく『自分のため』にやってる。……まあ、これも決めつけだって言われるかもしれないけど。

 少なくとも消した瞬間は、相手と関係していたんじゃなく、自分の感情とだけ格闘していたはずよ。

 人格的に自己中心的か、不安が強い場面で未熟な対処が出たかのいずれかじゃないかなと思うよ。」

ひとしきり早口で言い終えると、ふうと息をついて彼女はゆったりと腰をかけた。僕はなるほどなあ、と思いながら画面に視線を戻す。

「にしても、解像度が高いな。普段からそんなこと考えてんの?」
「いや、そういうわけじゃない。……さっきの『読者』のアカウント、あれ私だから。」
「は?」

僕は再び塙坂の方を見やった。彼女は今は落ち着いて自身のノートPCのキーを叩いていた。

「じゃあ、自分の話をしてたの?」
「そういうわけでもなくて。私は去り際にコメントはしたけど、コメントも高評価も消してないのよ。自分のアカウントを消したってだけで。」

打鍵音が止まる。古いノートPCが唸る音だけは残った。身体を傾けて、塙坂がこちらに顔を向ける。

「あのプラットフォームって、アカウント削除したらコメントとか履歴が消えちゃうみたいなんだ。」
「でも、そのクリエイターとの諍いがあったから、アカウント消したんじゃないの?」
「それも違くて。」

はにかんだように、笑って言う。

「ずっと、いまいち合わなかったんだよね。あそこで記事書くのも読むのも。

 だって、泣きそうになる話を読み終えた直後に、脱毛広告が出たりするでしょう。静かに読みたいのに気分が台無しになるっていうか。」

離れるのに十分な理由だと思った。僕も、少し閲覧してまったく同じことを感じていた。僕の場合は、脱毛の広告は出なかったけど。

「でも、悪いことしちゃったなって。あのクリエイターさん、私が癇癪起こして、痕跡を消して回ったと思っちゃったかもね。」

ギ、と椅子の音がして、再び、キーをタッチする音が生まれ始めた。塙坂の横顔からは、先ほどまでよりいくらか熱が引いたように見える。少しの間、沈黙が落ちた。夕暮れの光が反射して画面が見えにくくなる。僕はノートPCの位置と身体の向きを、ほんの少しだけ変えた。

「……コメントの整理したいって件もさ。」

僕は、自分の画面を見たまま、独り言のようにつぶやく。

「クリエイターさんは、たぶん創作環境を守る必要があったんだ。」

塙坂は、答えなかった。さっき、強く強く責めているように聞こえた言葉。それは相手の心情をはかり、申し訳ないと思ったからこそ、彼女の中でずっと反芻していた言葉だったのだろう。

「……読み手が離れるのも、自分の環境を守るためなのかもしれないな。」

僕がそうこぼすと、塙坂のキー音が、少しだけ小さくなった。僕の画面にはまだそのクリエイターの記事が開いていて、消えたコメント欄の空白だけが残っている。

僕はその画面を閉じて、あらためて白く広がる画面を開いた。

広告で読書体験を邪魔されるように感じた不快感。それは、クリエイター側の「コメント欄も含めて自分の記事の空間を大切にしたい」という気持ちに、どこか通じる部分がある。

今日の会話もきっと、今後の僕らの創作の糧になる。

部屋の中ではいつしか言葉のやりとりは消えて、自分と向き合うキーの音が、ふたり分響いていた。



※以下は関連作品になります。


いいなと思ったら応援しよう!

財布野紐ゆるみ 書いてる人も偉い。書いてないけど考えてる人も偉い。まぶしい。