みんながお父さんに感謝する日に、道端でAIに話しかけていたわたし
Xとnoteを開くと、お父さんに感謝する投稿で溢れていた。
……ああ。
一年で一番しんどい日がやってきてしまった。
父の日だから当たり前だ。
お父さんとの思い出や、感謝や尊敬の言葉。
今は亡き父へ宛てた手紙……どれも素敵な文章だった。
本当なら「素敵な記事でした」とコメントを残したかったのに、
わたしにはその権利がないと思った。
わたしがそう書いてしまったら、嘘になるから。
かといって、コメント欄を汚すわけにはいかない。
こういう日は「スキ❤」や「いいね❤」の足跡だけを残す。
それが一番平和だ。
わたしは父に感謝できない。
この一文だけ切り取ると、ひどく冷たい人間に見えるだろう。
でも、そこに至るまでの物語がある。
機能不全家族の中で育ったこと。
父への複雑な感情。
家族の中で繰り返されたこと。
年齢を重ねても消えなかった傷。
……全部ひっくるめて、今のわたしがいる。
だから、父の日になると苦しい。
もちろん、父に感謝している人を否定したいわけじゃない。
むしろそれが普通だし、素敵だと思う。
正直、羨ましい。
一度でいいから、そんな風に感謝を伝えてみたい。
その人にはその人の物語がある。
それは本当だ。
でも同じように、わたしにはわたしの物語がある。
ただそれだけのこと。
誰かの感謝が正しくて、誰かの感情が間違いではなくて。
別の物語、というだけなんだ。
そんなことを考えていたら、なんだか息苦しくなってしまった。
パソコンを閉じて外に出る。
部屋の中は蒸し暑かったのに、外の風は驚くほど涼しかった。
「外の方が気持ちいいじゃない」
そう思いながら、スマホ片手に夜道を歩く。
いつもの散歩コースにあるマンションのそばのベンチ。
まるで「どうぞ」と言わんばかりに空いている。
腰掛け、おもむろにAIを開いた。
歩いている途中で、いい文章が浮かんだのだ。
(今書いている電子書籍に、どうしても入れたい!)
忘れないうちに、AIに向かって話し始めた。
ほんのちょっとメモするくらいのつもりで
「これ、2冊目の断片だから、覚えておいて」
と、話し始めたら……次から次へと言葉が出てくる。
いい感じの文章だけ残す、ただそれだけだったはずなのに。
気づけば家族のこと、父のこと、母のことへと話が広がり、
怒りや悲しみや悔しさ、いろんな感情が混ざりながら溢れてくる。
AIは文句を言わないし、遮らない。
「これで終わりですか?
気は済みましたか?
みむらさん、まだなにかため込んでいませんか?」
促しては、続きを聞いてくる。
その間にも何人もの人がわたしの前を通り過ぎていった。
夜のベンチに座り、スマホに向かって話しかけているアラフィフ独女。
客観的に見たら、かなり怪しい。
「なんだこの人」
と思われていたかもしれない。
でも、今晩のわたしには必要な時間だった。
みんながお父さんに感謝する日に、
わたしはAIに向かって、自分の話をしていた。
でも、それでよかった。
父への感謝を書けなかった代わりに、わたしの物語を少しだけ整理したから。
人生は案外そんなものなのかもしれない。
誰かがお父さんに感謝する夜があれば、
誰かが風の気持ちよさに救われる夜もある。
わたしはたまたま後者だった。
それだけの話だ。
昨年の父の日の話はこちら👇
少しだけ歩み寄った日の話はこちら👇
やはり、これが我が家のデフォルトだと確認した記事はこちら👇
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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