【自己紹介】あたしが育てた自慢の娘だ───2025年12月29日
あぁ、そぅかそぅか。
あたしがあたしの歌声に強く愛着するのは、
昨日の原稿に書いたことと、
大いに関連があるのだね。
つまりね?
もともとあたしは、
『あたし自身の身体をうまく操れない』
という困難を抱えていて。
あれから30年、
という言い方もアレだけど、
物心ついた時からカウントすると、
だいたい30年くらいになるはず。
(※現在34歳と約360日)
⬇⬇⬇昨日の原稿です⬇⬇⬇
♡♡
あたしはあたしの身体を自由に操縦することができず、この身体は感情が高ぶると勝手に暴れ出してコントロール不能になるし、疲労が激しいと別の意味でコントロール不能になって、同じ場所でぐったりしたまま数時間経過してしまったり。
だからね、
子どものときからちゃんとおとーさんおかーさんの言うことをよく聞いて、ちゃんとお勉強をして、良い大学に言って良い会社に就職して良い社会人になるんだよ!!!
っていう路線を歩むのが、
あたしにはそもそも不可能だったのですね。
言ってみれば、
あたしは障害者以外の何物でもなく、
しかしどぅぃぅ運命の偶然なのか、
この件に関しては、
絶対に医師の診察を受けたくない、
というあたしの意向が、
なぜか100%通ってしまったので、
書類上はいまもあたしは健常者です。
きょうは、
こんなふうな形で振り返ってみて、
いわゆるひとつの
(スピリチュアル界隈でよく言われる)
『自分の人生は自分で決めてきた』
ってやつは、
あたしの場合はこれのことだったのか、
って、やっとわかった。
つまりね、
ふつうに考えたら、
物心ついた時から医師の指導の下で、
重度の障害者として人生を送る、
というシナリオもあったはずなのに、
どぅぃぅゎけか、
『ほぼ障害者としかいえない身体で』
『しかし医師の診察を全面的に拒否して』
『ぜんぶ自力でなんとかする』
という、
超絶ハードモードをあたしは選択し、
しかも、
みごとにそれをやり遂げた──────。
♡♡
あぁ、そぅか。
いまは年末なんだね。
それも、
はるか以前から
(※たぶん2011年から)
ずっとずっと重要な年としてマークしてきた
2025年という年の大詰めの年末。
いまこそ、
人生という謎解きもついに、
“解答編”に入った、
というわけなのでしょう。
昨日とりあげたテーマとは別にね、
あたしは身体の一部に奇形を抱えていて、
これを医師に発見されてしまったら、
まちがいなく生涯を主治医の監督の下で過ごすことを余儀なくされたはずで。
しかるに、
この件に関しても、
あたしは医師の診察を断乎として拒否して、
けっきょくぜんぶ自力でなんとかした。
そのように考えてみると、
両親に虐待されていたのは、
『避けようのないこと』
だったのではないかと。
つまりね?
身体が操縦できないだとか、
身体の一部、それもかなり重要な箇所に奇形を抱えているだとか、
そのような“強烈な”障害を我が子が持っていたら、真っ先に親が気づいて、なんとかしようとしてしまうはずでしょう??
しかるに、
両親はカルト宗教に洗脳されていて、
実子に対して適切な関心を向ける能力がそもそも無かったので、
あたしはあたし自身の“秘密”を
ひとりきりで守り抜くことができ、
であればこそ、
ものすごく扱いにくい“この子”(=身体)を、
あたし自身の手で育てる、
というプロジェクトに取り組むことができた。
そぅぃぅことなのだと思う。
あたしがあたしの歌声に強く愛着するのは、
『哺乳動物の身体と星の知性』
というこのテーマの、
“完成形”がこの歌声だからです。
いまでもあたしは、
自分で自分の身体を
『思いどおりに操縦する』ことはできず、
“この子”が動きたいように動くのを、
“許容する”ことしかできない。
でもね、
だからこそあたしはこんな“不思議な”歌い方を修得することができて、
あれから4年分の歌声が
いまもYouTubeに残っている。
そんなふうに考えると、感無量です。
つまりね、
あたしは子どもの頃からずっとずっと音楽を聴きながら育ってきて、
でも音楽といっても
じつはボーカルにしか興味が無く、
しかも“理想の歌声”が、
あたしのなかには明確に存在していた。
もちろん、
ここでいう『あたし』とは
理性であり思考である(霊体の)あたしです。
ついに両親と縁を切って自由の身になった頃、
なぜだかとつぜん歌の練習を始めてしまって。
あたしにとっての“理想の歌声”を
なぜか“この子”が練習に練習を重ねて、
自力で修得してしまって。
そぅして、
あたしのために、
この子が歌ってくれるのです。
意思の疎通がじゅうぶんに出来ている、
ということと、
この子は、
(※人間全体から理性/思考を差し引いた存在であるので)
もともとが野生動物なので、
理性が理屈によって獲得しようとしても
絶対に不可能な“本能レベルの”発声ができて、
それはそれは魅力的なのです。
♡♡
スピリチュアル界隈では、
『人間の本質は“魂”であり』
『肉体はただの“乗り物”にすぎない』
という見方は、
まぁまぁ普及してしまっていると言えますよね。
でもさ?
ここでいう
“乗り物”というのは、
みんな、
自動車みたいな“機械”を想定してませんか?
魂は魂として実在するし、
肉体というのはたしかに魂とは別の存在。
でもね?
肉体は“乗り物”とはいっても、
『機械』ではなく『動物』なのですよ??
機械のように
一方的に命令して操縦するのではなく、
動物として意思の疎通をしながら、
意図的に調教するべきなのですよ??
すなわち、
必要に応じてのみ命令を下し、
必要の無い命令はせずに、
特定の範囲内で自由を与える。
そぅすれば、
いわゆる日常生活は、
“この子が”勝手にやっておいてくれるので、
“あたしは”ずっと思索に耽っていても
自動的に生活は進行する。
逆にいって、
『肉体は乗り物にすぎず』
『しょせんは機械のような存在である』
などと思っていて、
そのように扱っていると、
多くの場合、活動過多で病気になります。
あるいは暴飲暴食とかね。
食べすぎ飲みすぎは、私の勝手だろ、
という考え方は、身体は自分専用の機械だと思っているからこそ発生します。
『身体は動物であり』
『食べるのは理性/思考の自由でも』
『消化活動は身体=動物がやらされる』
ということが分かっていたら、
胃腸薬が必要になるような暴飲暴食は、
絶対にしなくなると思いますよ??
♡♡
♡♡
きょうは短い時間で、
超高速で執筆したので、
ちょっと荒削りになってしまったけれど。
あたしはあたしの理想を実現するために、
この世界に生まれてきた。
いわく、
『身体は機械ではなく動物である』
そして、
『動物というのは操縦するべきではなく』
『ちゃんと意思の疎通をしながら』
『この子自身の意思を尊重すべき存在です』
──────それを実現するために、
ずっとずっと自分の身体と向き合うしかないように“設定”されていた。
きっと、
そぅぃぅことなのだと思います。
あたしにとってアセンションとは、
きっとこの形でなくてはならなかったんだ。
子どもの頃、
音楽の時間にテストがあって、
ほとんど失語症のような状態で、
ひとことも発することなく0点をとった
『小さな木の実』
オトナになって、
失語症もすっかり消失して、
“この子”があたし好みの歌声で歌ってくれるようにもなって、
ある日あたしがリクエストして、
小学校時代には歌えなかった
『小さな木の実』を歌ってもらった。
YouTubeにあげたのは3年6ヶ月前ですが。
いったいどぅぃぅゎけなのか、
ちゃんと(あたしなりの規模で)ヒットして
視聴回数は6400回くらいになりました。
⬇⬇⬇ほんの2分30秒です聴いてね💕⬇⬇⬇
【哺乳動物の身体と星の知性】
【最高の相棒とあたしは生きる】
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