ひとつだけの約束— 年に二回、私たちは集まる
プロローグ|年に二回、私たちは集まる
年に二回、私たちは集まる。
県外の妹夫婦に合わせて、
地のものが食べられる、
高級居酒屋と決まってる。
父と、父のパートナーと、
私たち姉妹の三家族。
声も大きく、笑い声が響く。
一見、仲のいい家族だ。
話題はだいたい、病気のことだ。
ガンも心臓も適度に悪い父が、
必ず言う。
「健康診断はちゃんと行けよ。
早期発見だからな。」
毎回同じ話に、
みんな初見かのようにありがたく頷く。
昔の父を知っている。
母に内緒でよく飲みに行った。
カルビをたらふく食べて、
マッコリを最高、
9樽飲み干した夜もあった。
スナックで歌いながら、
自慢げに私を紹介する父がいた。
私も”お父さん”をさせてあげて、
まんざらじゃなかったかもしれない。
今はアルコールも医者に禁じられている。
イケイケだった父は、
もうただのおじいちゃんだ。
でもそれくらいがちょうどいい。
すぐ調子に乗るから。
一章|家族だった頃
父が朝起きているのを、見た記憶がない。
毎晩午前様で、
朝ごはんも食べていなかったと、
後から聞いた。
飲むのも仕事、夜出かけていく父。
母も仕事で夜出かけていく。
自宅で泣きながら待つような
女ではなかった。
泣いていたのは妹の方だった。
私は泣き止まない妹のために、
どちらかに電話して、母を呼び寄せた。
妹は次女の特権を最大限に行使し、
長女の私は、妹に姉をさせられた。
それでも、家族だった頃がある。
ディズニーランドが初めて開園した頃、
まだ新幹線が東京駅まで走っていなかった頃、四人でパレードを見に行った。
母はマメで、
アルバムの写真一枚一枚に
コメントを付けていた。
海の写真に、「冷たーい、水かけないで」と。
だからひとつだけ、約束したんだろう。
浮気はしてもいい。
でも子どもだけはつくるな。
旦那が帰ってこなくても、
家族が壊れなければそれでいい。
惨めじゃなかったんだろうか。
愛はいらなかったんだろうか。
私はてっきり、母は父に気持ちなどないものだと思っていた。
ほんとのことに気づくのは、
ずっと後のことだ。
二章|納戸で寝ていた父
私たちが成長するとともに、
父と母の喧嘩がどんどんひどくなった。
物を投げるなんて日常茶飯事。
私のお気に入りのぬいぐるみで
戦っていた時は、
泣きながら死ぬ気で逆らった。
妹は二人の様子を見て、
「喧嘩はやめて」と大泣きしていた。
小学校高学年になると、
父の出張が増えた。
月に一度が、だんだん頻度を増し、
月に一週間しか自宅にいない、
逆転現象が起きた。
家全体がピリピリしている日が、
増えていった。
ある日、ものすごい喧嘩があった。
その頃には子ども部屋を与えられていて、
喧嘩が始まると、
そこに逃げ隠れするようになっていた。
その日を境に、父と母の寝室が別れた。
父が納戸に追いやられたのだ。
子どもながらに、おかしな出来事だった。
「お父さん何やってるの、
こんなところで寝て。」
そうからかったりしていた。
ある夜、納戸から声が聞こえた。
納戸と子ども部屋は隣同士だった。
明らかに父が辛そうだった。
怖くて、見に行けなかった。
次の朝、父が病院に行ったと母から聞いた。
隣にいたのに、助けてあげられなかった。
子どもながらに、後悔した。
盲腸だった。
薬で治療して、すぐ帰ってきた。
でも一ヶ月もしないうちに、
夜中に救急車で運ばれた。
また盲腸。今度は手術を免れなかった。
入院中は毎日お見舞いに行けて、
何かのイベントみたいで楽しかった。
父も母も和やかで、
母も世話ができて嬉しそうだった。
そんな家族団欒は、
父の退院で幕を閉じた。
私たちが学校に行っている間に、
父が着替えやら荷物やら、
ごっそり持って出て行った。
うちは見た目だけ、
母子家庭になってしまった。
三章|飼い殺し
ここから約25年の別居生活が始まった。
父は、出張と言って、ずっと長野にいた。
母いわく、
そこで出会った女性と暮らし始めたようだ。
一回り以上若い女性だそうだ。
そんな話を子どもにするなよ母。
私も妹も、大学卒業するまで、
父が学費を払ってくれていると思っていた。
でもよく聞いたら、
母が仕事での父への支払いを調整して、
差し引いていただけだった。
父の主体的な支払いではなかった。
それを聞いて、なんだかがっかりした。
娘たちが20歳になったら離婚しよう。
大学を卒業したら離婚しよう。
その度に、
父は内縁の妻につめられ
母は突っぱねた。
「籍は絶対抜かないよ。
あんただけ幸せになってたまるか。
一生飼い殺しにしてやる。」
母の生き霊かのようなセリフだった。
なんて恐ろしい、
可哀想な母なんだと思った。
四章|ザマァ見ろ
母から久しぶりに電話が来た。
何かと思えば、
お父さん、女と別れたって。
出てったんだってさ。
私にはふーん、
としか言いようがない内容だが、
母にとっては一大事なんだろう。
大袈裟に驚いて見せた。
次のお正月に実家に帰ると、
父が夕食に飛び入り参加していた。
何年ぶりだろう。
写真のフレームみたいに、
ぼんやりしか思い出せない。
ここから新しく思い出がつくられるのかな。
なんだか明るかった。
何より母が嬉しそうで、
いつもよりも増して豪華なお正月だった。
夜も更け、
どうするのかなと様子を伺っていたら、
父は代行を呼んで、城に帰った。
やっぱりそうだよな。それでいい。
母は片付けをしながら、
嬉しそうに今日のことを振り返っていた。
そして聞こえた。
ザマァ見ろ。
娘ながらに血の気が引いた。
全部計算なら、
母はなんてしたたかな、
我慢強い女なんだろう。
そうではありませんように、まだそう願った。
後から聞いた話だが、
内縁の奥さんはある日、
父が帰ってくると全ての荷物をまとめて、
黙って出て行った後だったそうだ。
父も母にしたことだった。
五章|同志
母の最期の4ヶ月間を、父と共に乗り越えた。
今の父は、お父さんとは
またちょっとニュアンスの違う人だ。
同志、という感覚がある。
母は最期に父に言っていた。
私がいなくなったら、
困った時しっかり面倒見てやってね。
よく会うようにしてね。
言われた通り、
堂々と食事に行くようになった。
必ずご馳走してくれる父と。
時々母の悪口に花が咲く。
お互い言える相手がいないしね。
今はお肉はカルビじゃなくてハラミ。
マッコリも一樽くらいしか
付き合ってもらえない。
母から聞いてきた父親像と、
実物が時々違って見える。
会っている回数が少ないんだから
当たり前といえばそうなんだが。
老いていく父を追いかけるように、
互いを知り合う時間が、
まだ必要なんだと痛感している。
しばらくして、父から知らせを受けた。
今付き合っている人と、家を建てて住む。
その人の名義で。
私たちに渡さないために。
結局父は、本当に子どもが大切だったのか。
本当によくわからない。
エピローグ|それも仕方ない
年に二回、父とそのお相手、
私たち姉妹の三家族で食事をする。
声も大きく、笑い声が響く。
一見、仲のいい家族だ。
みんな見てみないふり。
感じてるけど、感じていないふり。
結局父は、
本当に子どもが大切だったのか。
今でもよくわからない。
でも、
海で持ち上げられたことは覚えている。
ディズニーランドも。
お風呂で背中の絵を触ったことも。
分からないことだらけの父だった。
それでも仕方ない。
父もまた、
父になりきれなかった人だったのかもしれない。
年に二回、
私たちは集まる。
ここまで書いてきたものは、
全部、同じ場所に繋がっていました。
私が何を書いてきたのかは、
こちらに置いています。
▶︎ 全部、繋がっている。
▶︎ OSの女――母に作られ、暗闇を愛し、日常を夫と呼ぶまで|終章
▶︎ 2026年上半期の振り返り|私はずっと、同じ場所を書いていた。
