持つもの、持たぬ者/インドネシア一人旅
「足りない」と思う気持ちは、どこからやってくるんだろう。私たちは足りないものを探す想像力を使い、終わりのない「もっと」を追い続けている。
インドネシアのジャワ島。
世界最大の仏教遺跡・ボロブドゥール寺院の近くにある小さなMendut Temple(ムンドゥット寺院)。
数日前、友達にバイクを借りてそこを訪れた。
観光客の姿もほとんどなく、芝生で休んだり、大きな木の根っこを一周、裸足で歩いてみたりしていた。ひとりで。



真っ暗で静かな石の中で、三体の仏像が鎮座する。
「あーーーーーー」
口から出る音が耳に戻り、頭の中に響く。気づいたら30分経っていた。


この真下で「あーーー」って言うと良い◎
持たぬ者
あのときの瞑想が心地よくて、1週間後にもう一度訪れた。
前回見逃していた場所を見つけ、ドアが開いていたので入ってみたが誰もいなかった。
中にはベンチがあり、新聞が積まれていた。
翻訳アプリを開いて、新聞の言葉を調べていると、オレンジ色の布をまとった僧侶が階段を降りてきた。
「わ!! こんにちは」
びっくりして挨拶をした私に、彼も少し驚いていた。僧侶たちの住居だったらしい。
その僧侶はこれから食事に行くところだった。
インドネシアの仏教では、1日2食。朝と昼のみ。11時以降は翌朝まで何も食べない。ふと時計を見たら10時半頃だった。
「ごめんね!ご飯食べてきてください!」
そう言うと、彼はにっこり微笑んで
「ちょっと待っててね」と言って部屋に入った。

すぐに戻ってきた彼は、一冊の本と、手書きで「4 May 2025」と書かれたアラビカコーヒー豆を3つ、「全部あげる」と譲ってくれた。

「Terimakash!!!(ありがとう) あなたのお名前は?」

「Pannyavaro」
私の携帯のメモに名前を書き残した。
もらったコーヒー豆は、ホームステイの家族と、Ekoの家族に届けた。
なんだか嬉しい気持ちをシェアしたくなった。
豆を届けたときに教えてもらったのだが、彼はインドネシアで有名な瞑想指導者・仏教教育者で、出待ちをする人もいるくらい貴重な出会いだったらしい。
持つ者
数日後、ホームステイの家族とカフェに行ったとき、彼らの知人の男性と出会った。
その人が言った冗談に、私は少し引っかかった。
「体が不自由なふりをしたら、ユニセフからお金をもらえるかも」

「お金がないと何もできない」と言う彼のテーブルの上には、パソコン、車の鍵、時計......
「十分じゃん!!!」
「全然リッチじゃない!(携帯は)サムスンだけどね!」
ふざけた口調の彼にみんなが笑う。私はあの僧侶からもらった本を読み始めた。
「人間は“悪いこと”をする才能を持っている。才能とは、学ばなくてもできること。善は意識して学ばないといけない」
「愛」+「貪欲」=執着
「愛と貪欲が結びつくと、執着になる」と話す僧侶は、必要以上のものを持たない。そして、持っているものを惜しみなく与える人だった。
私たちは、何かを手に入れるたび、また次の「足りないもの」を探す。すでにあるものに気づかない限り、その探し続ける心は終わらないのかもしれない。
十分に持っているにもかかわらず、私たちが必要以上に「欲」を求め続けるのは、誰かにとって都合のいい社会の構造があるからなのかも。
いい学校に行き、いい会社に行く。「理想」を作る広告。
みんなが共通の理想を持つことに違和感を持たないこと。
夢か現実か。無いものを知りながら、あるものをしっかりと見ること。

