【連載小説】「執事はバッドエンドを導かない」第二十四話(エピローグ)
エピローグ
「ぎゃ~! カインは、もう触らないでぇ~!」
アメリアがカインの手からフライパンを取り上げたのは、昨日に引き続き今朝が二度目だった。
「アメリア、なぜです。お嬢様の朝食を作らねばなりません。今日こそ、『パンケーキ』とやらを……」
「だから、それがダメなんですって! 貴重な小麦粉を使って、昨日は一体何を作ったと思ってるんですかぁ! 外は真っ黒焦げで、中は謎の色のどろどろの液体、しかも、噛めないほど固いって……。形がぎりぎりパンっぽくても、あんなのお嬢様に食べさせられないですからね⁉ そもそも、カインはパンケーキが何かもよく分かってないんでしょう! 昨日の昼も晩も、芋料理。そろそろ作れるのは芋料理だけって、本当に気づいてください! 頼りのセオさんは昨日から姿が見えないし……、もう私、泣きたい~!」
「『パンケーキ』がダメでも、『オムライス』という料理の方を……」
「いけません! カインは、芋以外は暫く調理禁止です! とにかく、今日は私が朝食を作りますから、カインはもうすぐ船で到着される旦那様を迎えに行ってください。も~! 旦那様は、私が迎えに行きたかったのに~!」
アメリアは泣きながらカインのジャケットの後襟を摘まむと、キッチンからぽいっと放り出してしまう。
「最近の流行りものが分からなくても、昔からあるクヌーデル(芋料理)なら」とカインはキッチンの扉の取手に手を掛けたが、部屋の中から卵をボウルで溶く音がリズムよく聞こえ始めると、そのままアメリアに料理を任せることにした。
柱時計が午前六時を報せる。カインは畑に向かうと、「ある植物」の苗を土のついた根ごと布で包み、四日前にウェスト卿を見送った船の係留場所へと一人向かった。
船の係留場所から海を臨むと、雲の隙間から覗く朝日の光が海面にいくつも小さな光の島を描き、幻想的な景色が広がっている。水平線に近い場所で波頭が砕ける度に、海上に白い花畑が現れるようだった。
カインの抱える苗が白波に似た白い花を咲かせたのは、まだ雨降りしきる早朝のこと。この植物が花を咲かせるのは大変珍しいことだが、一晩の間に扇形の葉の重なりから六十センチほどの茎を真っ直ぐと伸ばし、夜が明ける頃にはその先に放射線状に集まった数多の蕾が小さな花を次々と咲かせていった。食べ頃の若葉の頃をとうに過ぎても、葉や花からは、にんにくに似た香りが変わらず匂い立っている。
生まれては消えてしまう波の花を眺めながら、カインは北にある山脈の村で生まれ育った少年を想像していた。
水と空気の綺麗な高山で育った彼は、きっと夏になればこの白い花を探して山を走り回っていただろう。花から種が生まれ、種からはまた数年後、春の喜びを与えてくれる若葉が芽を出す。彼は大切な人を喜ばせるため、どんなに手間が掛かろうと、こうやって大切に育てていたに違いない。あの戦争が、彼の生活を変えてしまうまでは──。
「セオさん。あなたが私を狙い続けたならば、いつか私の秘密に気づいたことでしょう。人は不死に憧れを抱くもの。それは、戦争の火種にさえなってしまうものなのです。私は、この先もただの伝説、おとぎ話として生きねばなければなりません。せめて、あなただけは故郷に戻れますよう」
カインはこの「キロトビ」の苗をジリアンに託し、リュヒート山脈に植えてもらおうと考えていた。他人に同情することはなくとも、彼の人生が戦争と結びついている以上、関係のないものと割り切ることはできない。
その時、カインのジャケットの裾を後ろから引っ張る者がいた。
「ねえ、あんたは誰? あんたも旦那様の帰りを待っているの?」
振り返ると、癖毛の金髪で、見たところ十三、四の年頃である少年がカインを見上げている。
「……ええ、そうですよ。私はお嬢様の執事のカインと言います。どうぞよろしくお願いいたします」
「ちぇっ、旦那様の側にいるのは、オイラ一人じゃないのかい。まあ、いいや。あんた、面白そうだし。それよりも、オイラは字の読み書きができないんだ。あんた、教えておくれよ」
「分かりました。お屋敷に戻ったら、一緒に勉強しましょう」
「やったあ! 勉強して、旦那様を驚かせるんだ!」
鼻根にあるそばかすの辺りをくしゃっとさせて、少年は眩しい笑顔を返す。
「ところで、あなたはパンを焼くことはできますか? 私は小麦を扱い慣れず、旦那様やお嬢様の食事にお出しするパンを用意できずに困っているのです」
「パンか。ライ麦でしか作ったことはないけど……。でもオイラ、料理は得意なんだ。何とかなるかな」
「ええ。キッチンには、分かりやすくメモの書かれた料理本が何冊もありますから、きっとできますよ。私も手伝います」
「旦那様のためなら、オイラ、精一杯頑張るよ!」
無邪気に笑う少年にいつもの薄い笑みを向けながら、ある考えがカインの頭を過る。
果たして、この一連の「物語」を描いたのは、一体誰だったのか。十年前、突然現れたこの少年の正体を、ウェスト卿だけは知っていたに違いない。少年に文字の読み書きを教えたのも、おそらく彼だ。ウェスト卿は、セオのしていたことに気づいていたのではないか。アメリアがこの屋敷に来る直前に執事としてここへ呼ばれたのは、もしかすると……。
いや、依頼主の真意を探ることは俺の仕事ではないか──。
「ほら、あちらを見てください。海の向こうに船の姿が見えてきました」
「ほんとだ! おーい! 旦那様――!」
少年は、飛び跳ねながら海に向かって大きく腕を振った。波間に浮かぶ船が、航跡を描きながら真っ直ぐこちらへ向かってくる。雨雲はいつの間にか風に流されて、少年の瞳のようにきらめく日の光が、船の航路をいつまでも照らしていた。
その日、カインは無事にレイラの正式な執事となった。ジャケットのラペルホールには、ウェスト卿から賜ったウェスト家の紋章でもある「烏の嘴」が刻まれた金色のバッジが輝いている。
今夜もレイラは、たくさんの書物の積まれた机上で例の『本』に物語を綴っていた。
「お嬢様。今夜はどんな物語を書かれているのですか」
「内緒。まだ結末は決まってないけど、いいアイディアが浮かんだの」
「よいアイディア、と言いますと」
「嫌よ。カインには絶対教えてあげないんだから」
夜の八時を過ぎると、昼間にウェスト卿から散々土産話を聞かされたせいか、レイラはベッドに入ってすぐに眠ってしまった。例の「本」をテディベア代わりに、今宵も子どものように無垢な寝顔を浮かべている。
「それでは、明日も平和な一日を。おやすみなさいませ」
カインはブランケットをレイラの肩まで被せると、灯りを消そうとベッドサイドのランプに手を伸ばす。
するとその時、ベランダから窓をコツコツと叩く音がした。
窓を開けると、一羽の大きな烏が手すりに留まっている。烏は「カア」と一度だけ鳴き、光る宝石をカインの元に残して去って行った。
「呪いを解きたければ、この宝石の持ち主を探せということか」
生暖かい夜風が部屋に吹き込むと、「うふふふ」と女たちの笑う声がする。耳を澄ますと、どうやら彼女たちは同じ言葉を繰り返しているようだった。
「……そうか、ミア。あの子の名前は、ミアだ」
三百年の時を経て、カインはようやく妹の名前を思い出した。
(了)
《参考文献》
・「鷲と烏」(菊池寛 譯編『イソップ童話集』(小學生全集;第三巻)、興文社、1927年12月、128-129頁)
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これからも、ちょっと暗くて怪しい、けれどどこか楽しい彼らの冒険が、世界のどこかで続いていきますように。
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