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MVP ARCHIVE HISTORY | Economic : Great Depression 1929-1939 / 世界恐慌 - 一つの危機が世界を変えた

Great Depression (1929-1939) / 世界恐慌 - 一つの危機が世界を変えた

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世界恐慌 - 一つの危機が世界を変えた

1929年10月、アメリカ・ニューヨークの株式市場で株価が急落した。
この出来事は、世界恐慌 を象徴する瞬間として知られているが、世界恐慌 は「 株価が暴落したから起きた不況 」というだけの出来事ではない。

1920年代に積み重なっていた金融投機、信用膨張、生産と消費の不均衡、所得格差、第一次世界大戦 後の国際債務、金本位制による制約など、複数の問題が互いに接続し、一つの危機が別の危機を生み出していった。

世界恐慌 とは、近代化によって深く結びつき始めた世界経済が、その結びつきによって危機までも世界へ伝播させた出来事だった。

繁栄の1920年代

第一次世界大戦 後、アメリカは世界最大級の工業国・債権国として急速に存在感を高めていた。

自動車、電気製品、ラジオなどの大量生産が広がり、都市化と大量消費社会が進展する。株式市場にも大量の資金が流れ込み、株価は上昇を続けた。

その一方で、経済の内部には不安定な要素も存在していた。
株式購入には借入資金が広く利用され、株価上昇そのものがさらなる投資を呼び込んだ。

工業生産能力が拡大する一方、農業部門では 第一次世界大戦 後から価格低迷と債務問題が続き、
表面的な繁栄の背後で、信用、生産、所得、消費の間に次第に大きな歪みが蓄積していった。

1929年 株式市場の崩壊

1929年秋、株式市場の上昇に対する不安が広がると、投資家による売却が急増、10月24日の「 Black Thursday 」、そして10月29日の「 Black Tuesday 」を中心に株価は急落する。

借金によって株式を購入していた投資家は大きな損失を抱え、金融機関にも影響が広がり、世界的な連鎖へとつながっていく。

銀行から企業へ、企業から家庭へ

当時のアメリカには現在のような連邦預金保険制度が存在していなかった。
銀行経営への不安が高まると、人々は預金を引き出そうと銀行へ殺到した。銀行は資金不足に陥り、多くの金融機関が破綻する。

企業への融資も縮小、設備投資は減り、生産は縮小、労働者を解雇する結果、失業者が増加、家庭消費が冷え込む。
このデフレスパイラルに入り抜けられない状態となる。

危機は一方向に進んだのではなく、互いを増幅する循環を形成していき、1933年頃には、アメリカの失業率は約25%に達した。

なぜ「世界」恐慌になったのか

アメリカで始まった危機は、やがて世界へ広がった。
第一次世界大戦 後の世界経済では、アメリカからヨーロッパへの資金供給、ドイツの賠償金、連合国の対米戦時債務などが複雑につながっていた。

アメリカの金融機関が海外への融資を縮小すると、その影響はヨーロッパ各国へ伝わった。
さらに多くの国が採用していた金本位制は、各国政府や中央銀行が自由に金融政策を行う余地を狭めていたため、各国は自国経済を守るため関税を引き上げ、輸入を制限する。

しかし、一国の輸入削減は別の国にとっては輸出減少になる。
各国が自国を守ろうとした結果、世界貿易そのものが急速に縮小していき、世界経済の危機が国境を越えて伝播したのである。

社会を変えた大量失業

企業の倒産と大量失業によって、多くの人々が住居や生活基盤を失った。
アメリカでは失業者や家を失った人々が集まる簡易住宅地が各地に形成され、「 Hoovervilles 」と呼ばれた。

農村部では農産物価格の下落や債務によって農家が土地を失い、さらに1930年代の大干ばつと砂嵐「 Dust Bowl 」が農業地域を襲った。
仕事を求めて地域を移動する人々も増加、恐慌は経済制度だけではなく、人々の生活、家族、地域社会、そして政府への信頼まで揺さぶった。

政府は何をするべきなのか

世界恐慌 以前、経済活動への政府介入は現在より限定的だった。
しかし、失業者が数百万人、数千万人という規模に達すると、「 市場が回復するまで待つ 」という対応だけでは社会を維持することが難しくなる。

1933年、フランクリン・D・ルーズベルト がアメリカ大統領に就任、ルーズベルト政権 は銀行制度の改革、公共事業、雇用創出、農業支援、金融規制、社会保障などを含む大規模な政策群「 New Deal 」を展開する。

政府が経済と社会にどこまで関与するべきなのか、世界恐慌 は、この問いを国家運営の中心へ押し出した。

回復と第二次世界大戦

ニューディール 開始後、アメリカ経済は恐慌の最悪期から大きく回復、銀行制度は安定し、生産や所得は増加し、失業率も低下した。

しかし1930年代末になっても大量失業は残っており、1937年から1938年には再び深刻な景気後退も発生した。

その状況を大きく変えたのが 第二次世界大戦 だった。
1939年にヨーロッパで戦争が始まると軍需生産が拡大し、アメリカでも国防支出が急増、1941年の参戦後には、国家が航空機、艦船、車両、兵器、燃料、食料などを巨大な規模で調達する戦時経済へ移行した。
工場は大量生産を続け、労働需要は急増する。

ニューディール によって進んでいた経済回復の先で、戦時動員が残っていた大量失業と未利用の生産能力を急速に吸収していった。

世界恐慌が変えた世界

大量失業と社会不安は各国の政治を揺さぶり、民主主義への不信、保護主義、国家主義、政治的急進化を強める背景の一つとなった。

特にドイツでは、世界恐慌による深刻な失業と社会不安が、ナチ党 が支持を拡大する重要な環境となった。

世界恐慌 から 第二次世界大戦 へ、単純な一本の因果関係が存在したわけではないが、世界恐慌 によって生じた経済的・社会的・政治的不安定が、その後の世界秩序を大きく変える背景条件となった。

危機はなぜ拡大したのか

世界恐慌 が残した最大の問いの一つは、なぜ一つの金融危機がこれほど巨大な社会危機へ拡大したのか、ということである。

株式市場、銀行、企業、雇用、家庭、貿易、通貨、国家。
銀行が止まれば企業が止まり、雇用が失われ、消費が減り、その影響が再び企業と金融へ戻っていく。
さらに国際金融と貿易によって、その循環は国境を越えた。

世界恐慌 は、近代経済が持つ巨大な接続性を示した出来事でもあった。

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