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ワルシャワ条約機構 - 1955年設立の東側軍事同盟
1955年5月14日、ソビエト連邦と東ヨーロッパ諸国は、ポーランドのワルシャワで「 友好協力相互援助条約 」に署名した。
この条約に基づいて成立した政治・軍事同盟が、一般に「 ワルシャワ条約機構( Warsaw Pact )」と呼ばれている。
設立時の参加国は、ソビエト連邦、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア、東ドイツの8か国だった。
第二次世界大戦 終結から10年後、ヨーロッパには NATO と ワルシャワ条約機構 という二つの軍事同盟が存在することになった。
1955年 ワルシャワでの条約
北大西洋条約機構( NATO )は1949年に12か国によって設立された。
1952年にはギリシャとトルコが NATO へ加盟し、1955年5月9日には西ドイツが正式に NATO 加盟国となった。
その5日後の5月14日、ワルシャワで友好協力相互援助条約が締結された。
条約では加盟国間の協議、相互援助、共同防衛について定められた。
ヨーロッパで加盟国の一国または複数国に武力攻撃が行われた場合、他の加盟国は国連憲章第51条に基づく個別的・集団的自衛権を行使し、必要な援助を直ちに提供することが規定され、条約の有効期間は当初20年間とされた。
組織の構造
ワルシャワ条約機構 には、加盟国による政治協議委員会( Political Consultative Committee )と、加盟国軍による統合軍( Unified Armed Forces )が置かれた。
統合軍には最高司令官が置かれ、その職は機構が存在した期間を通じてソビエト連邦軍の将官が務め、統合軍司令部の参謀長もソ連軍の将官が務めた。
一方、それぞれの加盟国は独自の政府と軍隊を維持していた。
ワルシャワ条約機構 は、各国軍が完全に一つの軍隊へ統合された国家組織ではなく、加盟国軍を共同軍事機構の中で運用する構造を持っていた。
1956年 ハンガリー
1956年10月、ハンガリーで大規模な反政府運動が発生した。
ハンガリー政府を率いたイムレ・ナジは、複数政党制への移行などを進め、11月1日にはハンガリーの中立を宣言するとともに、ワルシャワ条約 からの離脱を表明した。
11月4日、ソビエト軍はハンガリーへ大規模な軍事介入を行った。
戦闘によって多数の死傷者が発生し、ナジ政権は崩壊した。
新たに成立したカーダール政権の下で、ハンガリーは ワルシャワ条約機構 に残留した。
1968年 チェコスロバキア
1968年、チェコスロバキアではアレクサンデル・ドゥプチェクの下で政治・社会改革が進めら、「 プラハの春( Prague Spring )」と呼ばれている。
1968年8月、ソビエト連邦を中心とする ワルシャワ条約機構 加盟国の軍隊がチェコスロバキアへ侵攻、ソ連、ポーランド、ハンガリー、ブルガリアなどの軍が参加した。
ルーマニアは侵攻に参加せず、アルバニアも参加せず侵攻に反発した。
チェコスロバキアで進められていた改革は、その後停止された。
アルバニアの離脱
アルバニアは1955年の設立時から ワルシャワ条約機構 に参加していた。
しかし1960年代に入ると、アルバニアとソビエト連邦との関係は悪化し、アルバニアは機構の活動への参加を停止していった。
1968年、チェコスロバキアへの軍事介入後、アルバニアは ワルシャワ条約機構 から正式に離脱、これによって加盟国は7か国となった。
NATOとワルシャワ条約機構
冷戦期のヨーロッパでは、西側諸国を中心とする NATO と、ソビエト連邦・東ヨーロッパ諸国による ワルシャワ条約機構 が同時に存在、いずれも、加盟国への武力攻撃に対する共同防衛・相互援助を条約に規定していた。
NATO にはアメリカとカナダを含む西ヨーロッパ諸国などが加盟し、ワルシャワ条約機構 にはソビエト連邦と東ヨーロッパ諸国が加盟していた。
ドイツも分かれていた。
※西ドイツは NATO、東ドイツは ワルシャワ条約機構 に参加
1989年から1991年
1989年、東ヨーロッパ各国で政治体制の大きな変化が続いた。
同年11月にはベルリンの壁が開放、1990年10月3日、東西ドイツが統一され、旧東ドイツはワルシャワ条約機構から離れた。
その後も東ヨーロッパ各国では政治体制の転換が進んだ。
1991年2月25日、ワルシャワ条約機構 加盟国 は軍事機構の解体に合意、1991年7月1日、チェコスロバキアのプラハで ワルシャワ条約 そのものの終了が正式に決定、同年12月にはソビエト連邦も解体した。
1955年に成立した ワルシャワ条約機構 は、36年間でその歴史を終えた。
条約と、その36年間
ワルシャワ条約 は、加盟国への武力攻撃に対する相互援助と共同防衛を規定していた。
その一方で、機構が存在した36年間には、1956年のハンガリーへのソビエト軍の介入、1968年の ワルシャワ条約機構 加盟国軍によるチェコスロバキア侵攻、アルバニアの離脱なども起きた。
1989年以降、東ヨーロッパの政治体制は相次いで変化し、東西ドイツも統一さ、1991年、ワルシャワ条約機構 は解散した。
一方、1949年に設立された NATO はその後も存続し、冷戦終結後にはポーランド、チェコ、ハンガリーをはじめ、かつてワルシャワ条約機構に参加していた複数の国が NATO へ加盟した。
同じ国が、異なる時代に異なる軍事同盟へ参加する。
ワルシャワ条約機構 の成立から解散までの36年間は、冷戦期のヨーロッパに存在した国際構造と、その後に起きた変化を記録している。

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