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えんだにゅー?

赤いダッフルコートを、まだ覚えている。

小学5年生だった。相変わらず、わたしはフリルのついた淡いピンクの服を好まず、家の前の森で幼馴染みとちょうどいい蔦を見つけてはターザンごっこをした。母や祖母はいつだってスカートを着せたがったが、わたしは兄のお下がりを着て、ズボンを履いた。
ズボンでなければいけなかったのは、足をぎゅっと閉じていなくて済むからだ。わたしは自分の身体を制御するのが苦手だった。自分自身のこともよくわからないというのに、どうやって身体を操縦できるというのだ。
ありふれた少女の悩みのように、わたしも女という生き物がたいそう嫌いだった。
周囲の少女たちはみな、赤ん坊を見かけては「かわいい」と言う。自分たちだって子どものくせに、どうしてそんなに赤ん坊がかわいいのか。
母に問う。

「みんな『赤ちゃんがかわいい』と言う。そう思えないわたしは、変なのか」
「赤ちゃんをかわいいなんていう奴は、無責任なんだよ。お前は、赤ちゃんが嫌いなんじゃない。責任感があるからそう思うんだ」

まるで母も、同じことを考えたことがあるような口ぶりだ。
犬や猫がかわいいのはわかる。あれらは毛むくじゃらで、まるっとかわいい。へっへっと息を切らし、撫でてやると全力で尻尾を振る。少し乱暴なくらい揉みくちゃにしてやれば、嬉しそうに腹を出す。

ところが赤ん坊はどうだ。同じ生き物のはずが、まったくもって意思の疎通ができない。ただ涎を垂らしながらこちらをじっと見つめ、ときどき飴玉や、うにゃうにゃになった煎餅の欠片をおもむろに寄越す。
赤ん坊は泣きもせず、大きな硝子玉のような目でじっと、わたしだけを見つめる。瞳には正真正銘、わたししか映っていないのだから、それらを受け取らなければいけない。結局、その迫力に負けて、わたしはいつも「ありがとう」と受け取るはめになる。あの有無を言わせない威圧感は凄まじい。
この生き物をかわいいと宣う少女たちの気が知れなかった。わたしは、自分が少女ではないのだと思った。女は恐ろしい。

母がどこかで用意してきた、辛うじて赤と言えるくすんだ色をしたビニール製のランドセルも憎かった。祖母から預かったランドセル代より安いものを買ってきたのだ。母はうまく隠したつもりだったろうが、全部わかっている。端から、わたしに選ばせる気などなかったのだ。
同級生たちが、自分の選んだランドセルを自慢し合うなか、わたしは「交通安全」の四文字が書かれた黄色いカバーで、くすんだ赤が隠せることに安堵した。
しかし、あの黄色いカバーが外れてからの時間のほうが、遥かに長かった。下校途中、決まって幼馴染みの黒い本革のランドセルと交換をさせていた。皮肉にも、本革のランドセルのほうが作りはしっかりしているし、当然重い。それでも構わなかった。その重さを度外視するほど、不本意な赤を剥ぎ取りたかった。

トイレのピクトグラムは、いつだって女性用が赤の三角形、男性用は黒か青の逆三角形だ。
いつしか赤は、理不尽にわたしを女という括りへ押し込める色になった。忌まわしい色だった。

中学に上がる前、親がそろそろ良い服でも買ってやるか、という気になったらしい。
母の気の向くまま着飾らされ、電車に乗った。太腿の隙間に風が通る。心許ない。乗り換えを一度して降り立った駅の駅ビルに、その店はあった。子ども服の店ではなかったと思う。店頭に飾られていた真っ赤なダッフルコートが、そのときふいに目に留まったのだ。
ただただ赤いだけの無地のコートだった。膝丈ほどあり、裏地はないが生地は重たい。裏側にはチェック柄が施されている。白い麻紐に、塗装されていない木製のトグルボタン。顔の半分が隠れるほどのフードもついている。
促されるまま羽織ると、身動きできないほど重いが、ぴたっと身体に吸い付いた。コートの赤が姿見のなかで照り返し、わたしを染めた。

「よく似合ってる。買ってあげるよ」

母が言う前から、このコートが自分に似合っていることはわかっていた。
ランドセルの色ひとつ選ばせてもらえなかったくらいだ。欲しいものをすんなり買ってくれる親ではない。これを逃したら、たぶん二度と着られない。ただ、いかんせん小学生のわたしには、そんな上等な赤いダッフルコートを着ていく場所も機会もなかった。
同じ形で、辛子色と青と黒もあった。中学では黒か紺のコートが指定されていると聞いていたから、長く使えるように黒にしようか。
すると、母は言った。

「赤がいいなら、赤にしよう。欲しいと思ったものを買わないと」

そうやって、わたしの人生に赤が現れた。鮮烈な赤が。わたしが選んだ赤だ。
二週間ほど、毎日コートを眺めては、そっとクローゼットに戻す日が続いた。そんなわたしを見て、母が「せっかく買ったんだから、着ないともったいないよ」と言う。
恐る恐る、赤いコートを学校に着て行った。普段、男物の汚れても構わないような色ばかり着ているわたしが、突然赤いコートを着て教室に入ると周囲がざわついた。「今日はどこかへ出かけるの」なんて、薄ら笑いを浮かべた教師にも聞かれる。柄でもないと思われているのがわかった。それでも恥ずかしくなかった。
木製の椅子の背もたれに裏返してかけるが、重量感のあるコートは何度も床に落ちる。そのたびに埃を払い、また掛け直す。汚したくない服も、裏返して掛ける服もはじめてだった。そう、ファッションに目覚めたのだ。
それから、服を見るのが楽しくなった。服を選ぶのが楽しくなった。嫌々付き合わされていた母のウィンドウショッピングも、理解できるようになった。赤いダッフルコートがクローゼットに居るだけで、コートの要らない季節まで楽しかった。わたしには、あの服がある。赤が映える服を選べばいい。
すきなものを手に入れるという経験は、なににも代え難い。

大人になるにつれ、わたしは野蛮性を隠すようになった。燃え盛る鬱憤を隠すのに、青という色は無難で、なんとなく選びやすい。気を抜くと、すぐにクローゼットのなかが青や黒の服だらけになってしまう。いちばん楽なのは紺だ。黒ほどの拒絶もなく、程よくわたしを隠してくれる。人波にカモフラージュするなら、紺を纏えばいい。誰も不快にしない色だ。
赤は違う。赤は隠してくれない。赤は、わたしをそっくりそのままの姿で晒してしまう。

結局、あれから、わたしは一度も赤を選ばなかった。
赤いコートに出会ったときの無邪気な直感は、一瞬で失われた。赤は、自信のない人には不似合いに華やかだ。自分自身のことを、どこかひとつでもすきになれていたら、赤を着たはずだ。

でも、わたしのなかの獰猛な赤は死んでいなかった。
どうして、いつも赤と青を比べているのか、最近になってようやくわかった。ボクシングだ。
青は挑戦者。赤はチャンピオン。いつだって、人生は赤コーナーと青コーナーのどちらかしかない。わたしにとって赤は、いつからか勝者の色になっていた。

大相撲中継で、北の富士勝昭が冬になると着ていた、鮮やかな赤いレザージャケットもすきだった。歯に衣着せぬ物言いと、その姿を見るために、中継を見ていたくらいだ。やはり赤は、横綱の色であり、勝者の色なのだ。

2024年、堤聖也が井上拓真に挑む世界戦の会見で、ルイスレザーズの赤いジャケットを着ていた。襟まで立てている。その鮮烈な赤を見た瞬間、彼が新チャンピオンになるのだと確信した。
戦前予想は圧倒的に井上有利。しかし、わたしにとっては答えが決まっている勝負だった。どうやって堤が勝利を手繰り寄せるのか、それだけを見ていた。
ゴングが鳴る。どちらも、ボクシンググローブもパンツもシューズも黒を纏っている。僅かな肌の浅黒さと、髪の毛の色の違いくらいしかない。序盤、堤は何度も良いパンチをもらう。倒れない。じりじりと距離を詰める。堤が目の上を切り、赤が垂れる。しかし手を止めない。井上が、自分自身を疑い出す。なぜ俺のパンチが効かないんだ。時が進むにつれ、完全に堤のペースになる。堤の左頬が腫れる。井上が盛り返すが、ダウンを取られる。再び、堤がぼたっと赤を零す。
どすっと、拳が身体を的確に捉えた音がするたび、「いてぇ」と反応してしまう。どちらにヒットしても、わたしが痛い。ぎゅっと握り込んでいた拳を、何度も解く。どうしてか、いつも殴られている。
11ラウンドの終盤、井上が諦めたのがわかった。

試合後のインタビューで、堤はこう言った。

えんだにゅーと呼ばれることをずっと頭の中で想像していた。えんだにゅーえんだにゅーってずっと、こうなるんだと描いていた」

えんだにゅー?

"And the new champion!"
新チャンピオンの誕生を、高らかに告げるコールである(チャンピオンが防衛に成功した場合は「And still...」になる)。

赤のジャケットは、やっぱりチャンピオンの証だった。
赤は、諦めない。赤が流れても、逃げられない。自分自身に戦いを挑んでいるから。

わたしの人生には、赤がある。赤という色はすべて同じで、すべてが違う意味を持つ赤だ。
赤ん坊の肌も、赤いランドセルも、トイレのピクトグラムの赤も、赤いダッフルコートも、ふたりの赤いレザージャケットも、血の赤も。

リングに赤コーナーと青コーナーはあるけど、選手たちのボクシンググローブは別の色でもいい。
子どものころ見た、トイレのピクトグラムは女性用が赤の三角形で、男性用が青や黒の逆三角形だった。ところが日本を出れば、赤は男性の色で、青は女性の色になる国もある。
象徴学ではさらに逆だ。正三角形は男性、逆三角形は女性を表す。
「絶対」は、呆気なく裏返る。

赤に意味なんかない。
わたしは、あれから赤いダッフルコートほどの服には出会えていない。

ここまで書き終えたところで、クローゼットを開けた。
相変わらず、青や紺、黒ばかりだ。もちろん、あのダッフルコートもないが、そもそも赤い服が一枚もない。
そうだ。足りないのは赤だ。わたしの赤がない。

赤にしよう。赤を買わないと。


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