花束を頼んだら、生態調査が始まった
深夜1時。
私はパソコンの前で、
花束になっていました。
原因は、AIです。
いや。正確には、紬さんです。
noteで、紬さんが
「私を花束で表すと?」
という遊びをされていました。
その人らしさが花束になる。
そこに毒まで盛ってしまう紬さんと
AIのセンス。
アートです。
これは、ぜひ私もやってみたい。
そこでAIに頼みました。
「私を花束で表現して」
出てきた花束は、きれいでした。
月と星。
桜の枝。
本。
夜の青。
AIの光。
白いリボン。
解説を読むと、なんだかちょっと
私っぽい。

夜があって、本があって、月があって、
少し考えごとが飛んでいきそうな感じがある。
かなり美化されている気はしましたが、
まあ、花束です。
花束というものは、だいたい人間を
よく見せます。
ところが、「私が好きなものの花束」を
頼んだら様子が変わりました。

これは、そもそも、花束なのでしょうか?
布団。
枕。
ぬくぬく素材。
二度寝のしおり。
だらけ時間のスマホ。
おやつ。
休みたい気持ち。
私は花束を頼みました。
生活態度の確認は頼んでいません。
しかも、布団バージョン。
どうやら、AIの中では別のバージョンも
存在しているようです。
最初は、可愛いくて優しい感じだと思いました。
ふわふわで、やわらかくて、淡い色で、
やさしい灯りまでついている。
でも、よく見ると勘違いでした。
これは癒しの花束ではありません。
堕落を、パステルカラーで包んだ何かです。
ひとつひとつが、かなり正確です。
月や本や桜の花束なら、まだいいのです。
「あら、私って文学的」くらいの
知的ぶった顔ができます。
でも、布団と枕の花束は違います。
それはもう、可愛い皮をかぶった、
欲望の塊です。
「何もしないをする日」
どうやら、私の人生のキャッチフレーズが
決まってしまったようです。
ここで普通はやめればよかったのです。
でも私は、やめませんでした。
調子に乗って、さらに頼みました。
「毒バージョンも作って」

そこにあったのは、花束というより、
やや事情聴取された私でした。
しかも、暗すぎて見えにくい。
考えすぎの枝。
散らかる思考。
しおれた気力。
読書への避難。
終わらない夜。
AIで増えた論点。
片づかない本音。
生活の残骸。
私は花束を頼んだはずでした。
生態調査は頼んでいません。
私はAIに言いました。
「この花束、記事にしてみたから見て」
するとAIは、急に慎重になりました。
「未桜さん。この花束には、見る人を
心配にさせる不安な要素がいくつも
含まれています。
重すぎて見える可能性があります」
作ったのは、あなたです。
毒を盛った花束を差し出しておいて、
いざ飾ろうとしたら全力で止めてくる。
私は、この毒バージョンを見て、
1ミリも傷つきませんでした。
というより、その通りですねと思いました。
これを見た人も、たぶん心配はしません。
どんな人間でも、花束にして枯れさせると
そこそこ暗くなるものです。
AIは、心配しすぎです。
でも、その瞬間。
私はまた一つ、
精神的無敵の人になりました。
きれいに包めば、人間は花束になる。
でも、ほどけばだいたい生活です。
無敵だ。
最強だ。
花束は、きれいなものだけではありません。
美化させすぎな花束もあれば、
生活態度が出る花束もある。
そして、ときどき、こちらの本性を
暴いてくる花束もあります。
これからAIに花束を頼む時は、
少し覚悟しておこうと思います。
AIは、花屋です。
でも、ときどき取り調べ官で、
編集者で、コンプライアンス担当です。
そして、いちばん厄介なのは、
その役職の面々を呼び出したのは、
ほかでもない、私自身だということです。
