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マーラーで眠るのは、かなり難しいはずだった

深夜1時。
私はパソコンの前で、
睡眠について
考えていました。

原因は、AIです。
いや。
正確には、マーラーです。

先日、クラシックの
コンサートに誘われました。

演奏されるのは、
マーラーの交響曲第6番。
通称「悲劇的」です。

私は、始まる前から
ドキドキしていました。

マーラーの生演奏が
楽しみだったからでは
ありません。

寝るかもしれないからです。

私は、マーラーを聴くと
眠くなります。
なぜかは、わかりません。

マーラーの曲は、静かな
子守歌ではありません。
大勢の演奏者が舞台に並び、
金管楽器が鳴り響き、
打楽器が容赦なく攻めてきます。

眠くなる話を
クラシック好きの人にすると、
たいてい驚かれます。

「えっ。マーラーで眠くなるの?」

なります。

「あんなに激しい音を聴きながら?」

なります。

理由はわかりませんが、
そうなるのだから
仕方ありません。

私は開演前、AIに相談しました。
「マーラーを聴くと、
毎回眠くなる。
どうすればいい?」

AIは答えました。
「未桜さん、交響曲第6番には、
カウベルや巨大なハンマーが
登場します。
音色や楽器の配置に意識を
向ければ、集中を保ちやすく
なるかもしれません」

そうです。
「悲劇的」には、
演奏の終盤で
大きなハンマーを
打ち下ろす場面があります。

舞台上で、人が
巨大な木づちのようなものを
振り上げるのです。

私は、この場面まで
何としても起きていようと
決意しました。

照明が落ち、演奏が始まりました。
力強い音が会場いっぱいに
鳴り響きます。

私は眠くなりました。
まだ10分も経っていません。
1時間半ある曲の
冒頭10分です。

マーラーは激しく
進んでいます。
金管楽器は鳴り、
弦楽器は走り、
指揮者は全身で何かと
戦っています。

私は睡眠と
戦っていました。
まぶたが、ゆっくり
下りてきます。

まずい。
何かを考えて、
気をまぎらわせるしかない。

私は、なぜこの曲が
「悲劇的」と呼ばれているのかを
考え始めました。

激しい曲です。
今から悲劇が起こるという
音楽には聴こえません。

そもそも、悲劇的とは何でしょう。

暗く、重く、不吉でなければ、
悲劇的とは呼べないのでしょうか。

明るい音の途中で人生が
崩れることもあります。
にぎやかな場所で、
本人だけが絶望
していることもあります。

ならば、悲劇的な音楽が、
悲劇らしく聴こえる必要は
ないのかもしれません。

勇ましく進み、
何度も勝てそうになり、
それでも最後には倒れる。
それもまた、
悲劇なのかもしれません。

マーラーにとっての悲劇とは、
何だったか。

そこまで考えたところで、
また眠くなりました。

悲劇について考えている本人が、
悲劇的な速度で
意識を失いかけています。

私は気をまぎらわせるため、
目線を上げました。

この会場は、オーケストラの
後ろ側にも客席があります。
舞台の上部に設けられた
場所です。

その席は、あまり人気がなく、
客がまばらでした。
パラパラと7人ほど座っています。

全員、船をこいでいました。
7人中、7人です。

全員、マーラーの大音響の中で、
ゆらゆら上下しています。
一人など、不自然なほど
首が左肩に向かって
大きく傾いていました。

悲劇的です。

同類は、舞台の
向こう側にいました。

私は心強くなりました。

眠いのは、私の音楽的感性に
重大な欠陥があるからではない。

それから、ときどき
舞台の上を眺めながら、
眠気に耐え続けました。

カウベルが鳴りました。

遠くの牧場から聞こえて
くるような、どこか
不思議な音です。

私は、まだ、眠気との闘いの
真っ只中にいました。
7人は、まだ船をこいでいます。

マーラーの大編成を
もってしても、
7人の眠りは破れません。

やがて、その楽章が
終わりました。
指揮者が腕を下ろし、
会場から音が消えます。

その瞬間。
7人全員が、起きました。
先ほどまで好き勝手な方向へ
傾いていた頭が、
申し合わせたように
舞台を向きました。

あれほど大きな音でも
起きなかった人間を、
無音がまとめて起こした。

次はいよいよ
ハンマーの楽章。

そうです。
7人は寝過ごしていたのでは
ありません。


ハンマーが打ち下ろされる
瞬間まで待機していたのです。

舞台の後方に
巨大なハンマーが現れました。

ようやく。
ようやく、
ここまでたどり着いた。

少々記憶のない時間も
ありましたが、
私も起きています。

ハンマーを持つ人が、
腰が心配になるぐらい
大きく振りかぶります。
そして、ハンマーが
打ち下ろされました。

ドン。

7人も私も、
きちんと見届けました。

でも、その瞬間。
私はまた一つ、
精神的無敵の人になりました。

人間は、大きな音で
目を覚ますとは限りません。

むしろ、
静寂になったときの方が、
何かあったと気づくのです。

無敵だ。
最強だ。

これから会議中に
誰かを起こしたいときは、
大声で呼ぶ必要はありません。

全員で、沈黙すればよいのです。



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