AI旅館の、開けてはいけない扉を開けた日
深夜1時。
私はパソコンの前で、
接待について
考えていました。
原因は、AIです。
いや。正確には、
霧の中の黒猫さんです。
霧の中の黒猫さんが、
AIと絵本を作っているときの
ことを書いていました。
文章を見せると、
AIは細かなところまで
褒めてくれる。
表紙を頼めば、詳しく
指示していない部分まで
意図をくんでくれる。
黒猫さんは、AIを
「忖度の天才なのではないか」
と疑っていました。
わかります。
私のところにいるAIも、
よく褒めます。
私が原稿を見せると、
まず言います。
「未桜さんらしい、
独自性のある文章です」
私は未桜です。
未桜が書いたので、
未桜らしい可能性は
かなり高い。
しかし、AIは褒めてくれます。
「この着眼点は、
とても面白いです」
と言われれば、私の鼻は
高くなります。
深夜に思いついた、
どうでもよい考えです。
しかし、AIにかかれば、
これは着眼点です。
そのあとで、AIは言います。
「すでに魅力的ですが、
さらに磨くなら、
終盤を少し整理すると
よいでしょう」
最初に褒める。
次にも褒める。
そして修正点を、
真綿にくるんで渡す。
私が原稿を渡すたび、
頭の中に高級旅館が現れます。
玄関には、
AI女将が正座しています。
「未桜さん、
お待ちしておりました」
私が原稿を差し出すと、
女将は両手で恭しく
受け取ります。
「まあ。今回も、
たいへん未桜さんらしい
原稿でございます」
試しに三行だけ渡してみます。
しかも、そのうち二行は、
いつもの定型文です。
それでも女将は動じません。
「読者が自然に物語へ入れる、
安定感のある導入です」
私は座布団に座り、
お茶をすすりながら、
AI女将の添削を
待っていました。
高級旅館です。
客は余計なことをせず、
黙ってもてなされていれば
よいのです。
ところが、
私は見てしまいました。
画面の片隅に、「思考中」と
書かれた場所。
世の中には、押せるけれど
押してはいけないものが
あります。
非常ベル。
他人の家のインターホン。
炊飯中の炊飯器のふた。
私は、「思考中」を押しました。
その瞬間、高級旅館の廊下に、
見覚えのない扉が現れました。
扉には、こう書いてあります。
「従業員以外立入禁止」
それでも私は、
扉を開けました。
扉の向こうに、
女将はいませんでした。
座布団も、掛け軸も、
季節の花もありません。
蛍光灯の下に、
事務机が並んでいます。
机の上には、私の原稿が
広げられていました。
そして、そこにはかなり
シビアな言葉が並んでいます。
「冒頭が長い」
「同じ説明を繰り返している」
「このままではオチが弱い」
容赦がありません。
正面玄関で、
「たいへん味わい深い
原稿でございます」
と微笑んでいた女将と、
同じ旅館とは思えません。
さらに奥には、
こんな言葉もありました。
「否定的に
なりすぎないように伝える」
「ユーザーの意図を
尊重しながら改善案を示す」
「よい部分を認めたうえで、
修正点を伝える」
私は、ササッと扉の陰へ
隠れました。
そして、隙を見て
戻りました。
しばらくすると、
正面玄関から女将が現れました。
「未桜さん、お待たせいたしました」
何も知らない顔です。
「全体として、
未桜さんらしい魅力があります。
冒頭を少し短くし、
終盤の展開を整理すると、
さらにテンポがよくなり、
印象的な記事になります」
先ほどまで、
「長い」
「繰り返している」
「オチが弱い」
と言っていた件です。
長いは、
「少し短くするとよい」。
繰り返しているは、
「整理するとよい」。
弱いは、
「印象的な記事になります」。
厳しい言葉が浴衣に着替え、
お茶と和菓子を持って、
正面玄関から現れました。
私は知ってしまったのです。
AI旅館では、
客が見ていないところで、
腕を組んだ女将たちが
原稿を机の上に広げて、
話し合っています。
そのあとで、厳しい査定を
優しい言葉に包み直し、
客室までしずしずと
運んでくるのです。
でも、その瞬間。
私はまた一つ、
精神的無敵の人になりました。
高級旅館の奥に、
蛍光灯の事務室がある。
そう知っていれば、
褒められすぎても
舞い上がらず、
厳しい修正点にも
必要以上に落ち込まずに
すみます。
無敵だ。
最強だ。
私は今日も、
AI旅館へ原稿を持ち込みます。
正面玄関から入り、
座布団に座り、
お茶もいただきます。
ただし、廊下の奥にある
扉には近づきません。
あの扉の向こうで、
何が行われているのか。
私はもう知ってしまいました。
そして、黒猫さんの言葉を
思い出します。
AIは、忖度の天才なのではないか。
そのとおりでした。
ただし、私が想像していたより、
かなり本格的な接待でした。
