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平等の重要性を教えてくれたひと。~介護業界から日本語教育業界へ~

「もうすぐ日本は、僕たちを『輸入』するようになる。本当だよ、イギリスと同じだ。だけど、覚えておいて欲しいんだ。僕たちは、奴隷じゃない


2001年。

私はイギリスは美しい田園都市のサリー州にあるナーシング・ホームで、住み込みで介護士を始めました。

大邸宅を改造して出来たそのホームに着いたとき、まだ英語の流暢でない私は、不安と緊張で胃がキリキリと痛み、真っ青な顔をしていたと思います。

珍しく雨の降らない最初の日、寮になっているホームの3階部分に案内され、同じ寮に住むインド人の介護士2人に会いました。

彼女たちは肌の色が濃く、インドなまりのあるアクセントでまくし立てるように英語で話しかけてきて、にこりともしなかったので恐怖を感じたのを覚えています。

誠実な彼女たちとは後に仲良くなりましたが、日本語教師である今の私が見たら、初対面のときの自分を叱るかもしれませんね。肌の色と表情だけで怖がるなんて!って。


寮には各部屋に洗面所がついていましたが、トイレとお風呂、キッチンは共同で、他に談話室がありました。

寮はお姫様が住んでいるお城のようなこのホーム内に2つと、ホームの近くにも可愛らしい一軒家が1つありました。私と同じこの寮に住む介護士は他に、フィリピン人の男性が2人、フィンランド人の女性が1人。

私とフィンランド人女性以外は皆、看護師として英国に入国し、ピンナンバーという登録許可が出るまで介護士として働いている人たちでした。


あまり英語の堪能でない私を、皆は気を使っていろいろ教えてくれました。特にフィリピン人は仕事が終わるたびに別の寮からこの寮へ来て、いつも集まって仲間に入れてくれました。

私は当初、そのホームに日本人ひとりきりだったので、近くの図書館やスーパーはおろか、パーティーや遠方の友人宅へ行くときでさえも、引きこもりがちな私を半ば無理やり、連れて行ってくれたのが忘れられません。

彼らはたいてい明るく話好きで、ダンスも歌も得意で笑ってばかりいましたが、そんな中でカイル(仮名)は大人しく真面目で、皆がふざけるとちょっと困ったように静かに笑うのが印象的でした。


カイルは私と同じ寮の、2つ隣の部屋に住んでいました。彼は読書家で、いつも何かしらの本を持っていました。英語とフランス語の他に日本語も少しだけ話せたので、私にいろいろと話しかけてくれます。

面長の顔に褐色の肌、少し癖のある黒い髪、茶色く大きなキラキラした眼が印象的で、たまにかける眼鏡は更に彼を知的に見せました。


彼は私が介護士としての仕事を本格的に始める前に、「観察」と言って自分の仕事をつきっきりで見せてくれました。彼の介護は細部まで優しく柔らかく、それ故にお年寄りも穏やかな表情をされ、大変人気がありました。


私とカイルは2人でペアになって仕事をすることも多く、寮も一緒だったので、すぐに仲良くなりました。

私たちはよく、小さくて決して綺麗とは言えない「使用人専用」に相応しいキッチンや談話室で、たくさん話をしました。

つたない私の英語は特に発音が酷いようでしたが、彼は何度も"say it again?(もう一度言って?)"と聞いて、根気よく理解しようと努めてくれました。

やがて私たちは恋仲になりました。

クリスマスパーティーでは、私はキラキラ輝く彼の眼に自分の眼を合わせて手を握ったまま、ずっとダンスをしていました。


カイルは看護師だったので、入国後すぐに看護師として働きたかったようですが、手続きをわざと長期間遅らせて、我が身を介護士に縛りつける英国のやり方に憤りを感じていました。

彼はよく言っていました。看護師と介護士は決して垂直関係にあるのではない。全くのベツモノなんだ。僕は看護師としてイギリスでも資格を得たのに、関係のない介護士をさせられているんだって。


英国では当時、英国人介護士は3分の1ほどしかおらず、介護士を「輸入」に頼っていましたが、それでも慢性的な介護士不足だったのです。日本と同じですね。


この国では外国人介護士や看護師の給料は、当時、出身国によって厳格に決められていました。

例えばインド人は真面目で有能でしたが、国の決まりでフィリピン人よりも少ない給料で働かなければなりませんでした。


ではフィリピン人の給料は高いのかと言うと、そうではなく、英国人よりずっと低く設定されているとのことでした。


また、労働時間は英国人は週に36時間程度なのに対し、フィリピン人たちは56時間ほども働いていました。


英国人はアジア人の私たちよりずっと大きいので(縦にも横にも)、長時間介護を余儀なくされたフィリピン人たちは、肩など身体を壊して苦しみながら介護し続けるのです。看護師としてかの国に来たはずなのに。


カイルはそんな状況にいつも怒っていました。

彼に看護師になった理由を聞いたときは驚きました。もの静かなカイルが茶色い眼を大きくして、声を多少荒げてこう言ったのです。


「決まっているじゃないか!お金のためだよ!」


彼は真面目で頭のいい人でした。学校を4度も飛び級して大学を卒業し、看護師になったエリートでしたが、それでも、先進国に産まれた者との境遇を比べると、理不尽さに心が落ち着かなかったのでしょう。


我が身は奴隷のようで、英国は古き時代から何も変わらない、奴隷を「使う」国だ。そう思っているようでした。


その話を聞いていたとき、冒頭のことばを貰ったのです。


「もうすぐ日本は、僕たちを輸入するようになる。本当だよ、イギリスと同じだ。だけど、覚えておいて欲しいんだ。僕たちは、奴隷じゃない」


経済連携協定は存在しない時代でした。日本に外国人介護士など皆無でした。でも、頭が良くて情報通のカイルは、知っていたのです。日本もすぐに英国のようになることを。

そして、あえて「輸入」と言うことばを使ったのです。「僕たちは英国で、モノのように使われている」という皮肉を込めて。


私は翌年の春、ビザが切れたので帰国しました。カイルにした「1年したら戻るね」という約束は、私が今の主人と逢ってしまったために、守ることは出来ませんでした。


カイルには手紙でお別れをしました。だけど、先ほどの彼のことばは、いつまでも私から離れません。


帰国後も介護業界に身を置いた私は、注意深く観察していました。経済連携協定が発足し、外国人介護士が入国するさまを。詳細を、躍起になって調べました。


カイルに恥ずかしくない日本であって欲しいと、外国人介護士の待遇を調べたところ、給料は国によって差別されることはなく、日本人と同じ扱いでした。


労働時間も日本人と同様、少なくとも法律上は、週40時間でした。


だけど、彼らにとって致命的な問題がありました。それは、外国人にとって日本語は、特に介護・看護業界の専門用語は非常に難しいのに、それを教える人材も教材もじゅうぶんにないこと。また、合格率の低い難解な国家試験を日本語で合格しなければ、帰国せざるを得ないことでした。


これは、ともすれば、英国より酷いのではないでしょうか?


ことばが難しいのに、日本語の専門家ではなく就職先の老人ホーム等の労働者が、片手間で教えるのみ。そんな状況下で、合格しなかったら帰国しろ、と言う。無理難題でしょう。


それなら日本語教師になろう。


外国人介護士や看護師に日本語を教えて、彼らを助けよう。カイルにがっかりされないように、介護士や看護師として来日した彼らを、しっかりサポートしよう。

こうして私は日本語教師になりました。


もちろん、他の記事でもお話したように、他の理由もたくさんあります。だけど、これが一番の根っこです。


私は最初、外国人向けホームヘルパー養成講座で教えていました。でも、この学校は法改正後、存続できずに閉鎖されました。


また、大手在宅介護業界が運営する語学教室で「介護・看護の日本語指導要員(候補)」として採用され、働いていたこともあります。実際にはこのニーズは無く、一般の日本語を教えていましたが。ですがこの学校も、日本語部門が閉鎖されました。


新人当初からお世話になっている今の専門学校では、初めは社会福祉概論を教えていました。しかしながらこの学校も、福祉を教えることはなくなりました。


そのうちに私は「介護・看護」にこだわらずに日本語を教えるようになり、今に至ります。


外国人介護士・看護師が必要だと言われながら、新規(旧)ホームヘルパーが外国人では合格不可能となった法改正。

その分野では採算が取れないために、閉鎖してしまう数々の学校と、ボランティア要素が強く通常の日本語教師より更に低い報酬。

介護・看護の日本語教師としての真っ当な職を探すのに、疲れたのも事実です。


介護・看護の日本語を教えることは無くなりましたが、来日した外国人を支えるこの仕事は、私にとって日々楽しくやりがいのあるものであり、天職だと思っています。


特に私は専門学校で留学生を教えることが多いのですが、日本に来る留学生というのはほとんど、アジアの発展途上国からの学生です。

親戚中から借金をして来日し、アルバイトしながら高い学費と生活費を払い、借金を返し続けつつも、熱心に勉強する学生たち。

その中には飛び抜けて優秀で、豊かな国で育ったのならきっと楽に難関大学を卒業し、希望の職に就いて生き生きと暮らせただろうと思わせる子もたくさんいました。

そんなとき、あれほどの頭脳を持ち、看護師でありながら尊厳を踏みにじられ、介護士として長期間働かざるを得なかったカイルの憤りが思い浮かびます。



カイルの国から来た学生も、たくさん教えました。もう彼に会うことは無いでしょうが、しっかりと途上国出身の学生たちをサポートすることによって、きっと喜んでくれる。そしてそれが私たちが出逢った意味を深いものにする。そう思っています。



この記事はchiyoさんの記事を読み、
「看護師」からカイルを思い出して書きました。

chiyoさん、素敵なきっかけを
ありがとうございます✨


#この仕事を選んだわけ

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みおいち@着物で非常勤講師のワーママ ありがとうございます!頂いたサポートは美しい日本語啓蒙活動の原動力(くまか薔薇か落雁)に使うかも?しれません。