見出し画像

隊長のビールと坊ちゃんのワイン 25.

第一話から読む
https://note.com/miosan303/n/n667d9b1af522


 ここは監督官のコンラードが怒る場面のはずだった。

 ユリアンは勝手に艦隊もどきを仕立てて海上で敵に突っ込み、さらに勝手に出陣して、勝手にアルバの代表者のような顔で振る舞った。やむを得ない状況であったものの、本物のアルバの代表者たるコンラードに苦言を呈されるのは当然である。
 しかしなぜか、監督府で一番怒りを露わにしているのは叔父のレグルスだった。

「貴様の監督不行き届きのせいだ」

 レグルスが本気で怒っているのは初めて見た。地を這うほどに低く抑揚のない声音が、監督官執務室の床にずっしりと響いた。

「無事だったからよかったものの、もし万が一にも何か、口にするのも憚られるおぞましい事態になっていたら、私は貴様を八つ裂きにした上埋葬も許さない所だった」
「だから私にもどうしようもなかったと言っているではありませんか」

 塩湖から帰還したユリアンがヘラスを連れて、大急ぎで監督府に赴くと、ちょうど時を同じくしてレグルスもデメトリアに戻っていた。
 応接室に通されたユリアンは即座に跪いて許しを請おうとしたが、レグルスは執務机を両の手で叩いてそのままコンラードと睨み合っている。

「そもそも軍団の動かし方に問題があったのでは? もう少しケメト側に気を遣っていただきたかった」
「ケメト軍にはケメト軍の司令がいるであろう。私はあくまで、ケメト駐留のアルバ軍の司令官だ。ケメトの動きに対処するのは監督官であるお前の仕事だ」
「だから私は事前にレグルス殿に申したはずです。アルバが変則的な動きを取れば、あの肝っ玉の小さいケメト王が大騒ぎすると。あの方の御気性はご存じだったはず」

 コンラードも負けてはいない。
 二人は共に行政官を務めたことがあり、気心が知れてしまっているからこそ、言葉に遠慮がなかった。

「ケメト王に悟られぬほどこっそりしては、パルサワ側にも情報が伝わらぬだろう。わざと派手に移動したまでのこと。そこまで王の動きの予測が立っていながら、軍の半数の大移動などという愚行を防げなかったとは、監督官の職務怠慢だ。抗議する」
「ならば抗議なさればいい。職務不適格だと元老院に訴えてくださって結構。私はなりたくてこんな面倒な任に就いたわけではありませんので」

 見ていられない。ユリアンは立ち上がってレグルスの肩を掴み、執務机から引き離す。

「叔父上、僕から見ても不可解な動きでありました。国王と上手く話が付かなかったのであれば、せめてアルゲアス将軍と話をなされば良かったのでは」
「まあ、時間がなかったのだが。アルゲアス将軍はあまりこちらを信用していなかったようだし、イリホル殿も警戒が強くて腹が読めなくてな」

 レグルスから見ても、ケメト軍はアルバ帝国に心を開いていなかったのだ。
 改めて、今回の攻防に勝利したことに安堵する。もし塩湖が突破されたり、港でなんらかの被害が出ていれば、両国の信頼関係はさらに悪化していたことだろう。

「ユリアン様、あなたもです。言いたいことは色々とありますが……軍船を装って海戦に割り込んだとか、勝手に前線に出たとか、とにかく様々な危険に飛びこまれたこと、分かっておいででしょうか」
「ご迷惑をおかけした。船の件は僕の勘違いがあり、不要な作戦を立ててしまったのだ」
「勘違いで戦場に出る人間がありますか。まったく、クラディウスは変人ばっかりだ!」

 コンラードは手に持っていた書類を机に叩きつけて立ち上がる。普段は寡黙な人物だが、怒りですっかり饒舌になっている。

「ヘラス、貴様もだ! 勝手に監督府の兵士を動かしおって、一体どう始末をつけるつもりだ!」

 怒鳴りつけられたヘラスは入室してからずっと跪いたままだ。

「どのような罰でも受ける覚悟にございます」
「そういえば、ヘラスは一体どうやってあの手勢を?」

 現在ヘラスに部下はいない。ユリアンがモレア市から連れて来たクラディウスの私兵は、ほとんど塩湖に連れて行っていた。
 もしヘラスが動かせるなら監督府の私兵しかいないとは思ったが、一体どんな手を使ったのだろうか。
 コンラードは鼻息荒くヘラスを指差した。

「勝手にその辺の書類と私の印章をくすねて、詰め所に駆け込んで人を寄こせと恫喝したそうですよ。顔見知りとはいえ、それですっかり騙されて出て行ったヤツらも大いに問題があるが……あまりの剣幕に従ってしまった、などと申しており、まったくどいつこいつも」
「な、なにぃ! ヘラスそなた、書類の改ざんを⁉」
「も、申し訳ございません。ユリアン様の窮地に出来ることが他に思いつかず、つい」

 ヘラスは両膝を折って床に額をこすり付けた。
 そんな大問題を引き起こしていたとは思いもしなかった。監督府の軍を勝手に連れ出すなど、軍紀違反どころか下手をすれば国家背任。鞭打ちか、市中引き回しか。
 ユリアンは慌ててヘラスの隣に跪き、コンラードに頭を下げた。

「従者の不始末は主人の責任。処罰ならば僕に!」
「ユリアンの救出のためにしたことだ。情状酌量の余地はあるだろう」

 レグルスは強気なままで、再び執務机ごしに詰め寄る。コンラードは部屋に響き渡るほどの大きな溜息を吐いた。

「もうすでに弁明書を書き上げてあります。よもやユリアン様を思い暴走した従者の独断などと書けるものか……ケメト軍移動への対処として、急ぎ私が先方隊として送り込んだという顛末にしてありますので、追認をください」

 コンラードは先ほど叩きつけた書類を拾い上げ、レグルスの鼻先に突きつけた。

「仕事が早いな。優秀な監督官殿で助かった」

 飄々と笑うレグルスに、コンラードは今度は手で机を叩いて怒りを表した。

「クソッ! 早く金を貯めて、こんな仕事辞めてやる!」



 火事で失われたアルバ市民街には、新しい邸宅が建ち並び始めていた。
 アルバ帝国とケメト王国は新しい友好親書を取り交わす方向で話し合いが進んでおり、コンラード監督官は忙しい日々を送っているそうだ。
 さらに、パルサワ王国にも親書を送るという話が出ている。これは帝都の元老院での可決で、つまりはご機嫌取りだ。大混乱を引き起こすには至らなかったが、パルサワの思惑は一部分は成功を収めたことになる。

 ユリアンは再びデメトリアを離れることにした。
 湖畔のネフェルの屋敷を発つ朝、見送りに出てくれたサーラが涙ぐみながら別れの挨拶をする。

「お元気で、お気をつけて……またいつでもいらしてくださいませ。お会いできる日をお待ちしております」

 まるで家主のような口ぶりだと、パセルがそれをからかった。
 ヤコモはいつも通り抑揚のない口調で「ヘラスさんのことは任せて」と言ってくれる。
 実はヘラスは無理をして走り回ったせいで足の裏が再び破け、まだしばらく療養が必要になってしまったのだ。今もあの居室の寝台で横になっている。

 港まで送ってくれたのはネフェルだ。

「アルバまで帰るのは、随分久しぶりなんじゃないか?」
「そうであるな。二年近く帰っていなかった」

 堤を歩きながら、ネフェルと取り留めのない会話を交わす。
 ユリアンの行き先はアルバ市の実家だ。モレア留学からデメトリアへ渡り、図らずも初陣を飾ったことを家族に報告するのは少し楽しみだった。

 戦士になりたいと思っていた。その願いは叶わないと知っていた。きっともう二度と戦場に立つこともないだろう。ただ、憧れの戦士である母や叔父、長老や、ネフェルのような本職の武人に、よくやったと言ってもらえることは、ユリアンのこの先の人生の武勲となった。

「第二の故郷、と言うであろう。僕はアルバの次に、モレアの神域ピュートーに親しんでいたので、いずれピュートーを第二の故郷と呼ぶようになると思っていたのだ」
「ピュートーにはクラディウスの長様がいるんだろう。いい所なんだろうなあ、神域の守村ってのは」
「ああ、素晴らしい土地だ」

 船はすでに港に停泊していた。デメトリア市からアルバ市まで、およそひと月かかる。
 今日もデメトリアは快晴だ。この地に雨が降ることはとても珍しい。ついにユリアンは雨どころか曇天のデメトリアも見ることはなかった。

「第三の故郷もあってよいだろうか」

 間もなく桟橋だ。小舟が待っている。ユリアンの緋色のトーガを認めた案内人が、こちらですと手を振っていた。

「なんだ、ケメトの方が第二の故郷になるって話じゃないのか。欲張りだなあ、坊ちゃんは」

 ネフェルはさよならとも、元気でとも、またいずれとも言わずユリアンを送り出した。
 そんなことをわざわざ口にする必要はないのである。
 ユリアンは漕ぎ出した小舟から大きく手を振った。ネフェルもそれに応えて太い腕を振る。

 すぐに戻ってこなくてはならない。
 今度こそ、ワインを二十本持って。


end.

いいなと思ったら応援しよう!

みおさんは今日も小説が書きたい よかったらサポートお願いします!